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2007年8月のタイ訪問

2007年8月の訪タイ(イサーンからパタヤ、サムイ島を経て南のクラビの海まで)

2007−8−8(水)

まだフィリピンから帰国して1週間しか経っていない。でも毎年恒例になっているお盆休みの訪タイの為に、セントレアにやってきた。

すでにWeb Check Inしてあるので、気楽にカウンターに航空券を差し出すと、JALのお嬢様が、急に険しい顔になった。このJL737便がパリからやってきてセントレアに到着後、バンコクに向かうのだそうですが、パリから到着するのが遅くなるのだそうです。どのくらい遅れるかが不明の為、チェックインが出来ないとの事であった。

私は、待ってもいいがラウンジが使えないのが困るので、仮の搭乗券を発行してくれないか?と頼んだのですが、機械が受け付けないとの事で断念しました。でも今回は荷物が多いし重いし、こんなものを持ち歩くわけにも行かないで困惑していると、上役らしい女性がやってきて、午前10時の便に変更できるかもしれませんと言ってくれた。

ありがたい、数分のWatingで、OKのサインが出た。

助かった、これでバンコク到着が午後2時になるので半日、遊べる事になる。何が幸いするか分からないのが世の中である。

Web Check Inしておいてよかった。

さあ、これからタイの旅行が始まるぞ。

 

2007−8−9(木)

定宿のスクンビットのホテルに1泊したあと、近くの旅行代理店に出掛けた。

ノンカイまでの寝台車の予約と、友人とのサムイ島への旅行のホテルの確保、さらにその後のクラビのホテルの予約などであった。

ところがノンカイまでの寝台車が満席で取れなかった。仕方が無いので、同じイサーンでも東の果てのウボンラチャターニに変更した。2等の寝台の下の席がとれた。

もちろん、友人とのサムイ島への旅行のホテルの確保、さらにその後のクラビのホテルの予約は順調で、それぞれ、約2000バーツ/泊のホテルであった。

その後、日本にいる友人にホテルの確保が出来た事をメールして、この日は終わった。

といってもこの日の夕方、ホアランポーンへの地下鉄に乗り込んでイサーンへの旅を始めた。寝台列車は9番線に留まっていた。駅内の売店でピーナッツとコップを買い込んで乗りこんだ寝台車は快適でした。

バンコクのホアランポーンを出た寝台列車はいつも、最初の数キロは徐行運転である。なぜならば、この線路沿いに多くのスラム街が存在し、線路に人が出てきても可笑しくないし、10回線ある線路が単線に集約されるのである。

従って徐行運転するのですが、この光景を見たアメリカ人が“おお クレイジー”を連発していた旅が数年前にあった。初めてこれを見た人は確かにクレイジーと言うであろう。

しかし私は見慣れてしまって、決してクレージーとは言いませんが、たまたま、徐行ではなく停車してしまった。

大きな窓の下を見ると、かなり暗い部屋の中にわずかに動く子どもの姿があった。多分5歳前後の女の子が二人居た。“サバイディーマイ:気分いいかね?”と声をかけたら、振り返って、“サバイディー:気分いい”との答えが返ってきた。屈託の無い明るい答えであった。

そのあと、“コンイーブン”つまり日本人だとの声が聞こえた。私はタイ人が良く着る黄色の王様崇拝のシャツを着ていたのですが、こんな子どもでも私が日本人であることが分かる事が不思議でならなかった。私達日本人は日本人とか韓国人とか中国人との見分けはつかないように思えてならない。しかしタイ人のこんな小さな子どもでも日本人と見分ける事が出来る事に驚いたのである。

多分、タイ語の発音の不確かさ、ならびに、しぐさが微妙に日本人であるのであろう。

“ポム コンイーブン:俺は日本人だよ”と答えを返したら列車は静かに動き出した。

この2等寝台はエアコンがないのでわずか500バーツ弱でしたが、1等寝台よりもこの2等寝台の方が私は好きだ。なぜならば、大きく開いた窓からは涼しい風が目一杯入ってくるし、この1畳ばかりの空間は誰からも犯される事も無く、旅を満喫できる。窓には満天の星空だ。

1等寝台はセパレートされていて窓が小さいし、少し狭い。

安全上は1等の方が良いけれど、旅はローカルの雰囲気が出ている方が良い。

とにかく。すばらしい寝台列車の旅をしながら、翌朝の6時30分にウボンラチャターニに到着した。

 

上の写真はウドンタニの駅 07-08-10撮影。    右の写真はロイヤルゴルフクラブです。07-08-14撮影

2007−8−10(金)

到着した事は事実であった。線路がもうないのだからここは終点である。

でも、この駅の周りには何にもないのでがっかりした。こんな田舎か?しかも山が見えない。従ってこの近くの国境は川によって決められるのであろう。

山が無い事は、建物を作る時の埋め立てに土が無い事を意味する。その昔私は日本は山ばかりだから平野が少ないのが発展の妨げになっていると信じていた時期があった。しかしこれは間違いでした。山は緑に覆われ、新鮮な酸素の供給源であるし、豊かな食材の宝庫でもあったし、前記したように建物を作る時の埋め立ての土を排出する重要な役目を担っている。この国では土地も高いが、この土地に埋め立てる為の土も土地代と同等の価値がある。

私はとりあえず、駅前のトクトクを捕まえて近くの市場に行く事を命じた。ここで朝飯を食べる為だ。

クッティオを少し食べて、市場を一回りした私はホテル探しを始めた。

1泊100バーツとか200バーツのホテルを紹介されたが、お湯は出ないしシャワーも無いので、もっとまともなホテルは無いのかといったらここで1番高級なホテルであるウボンブリ リゾート ホテルに連れて行かれた。

1泊1100バーツである。

ここで泊まることにした。

のんびりとホテルライフを楽しみながら、時間を見つけてバスターミナルに行ってみた。途中、結構。都会的な雰囲気もあるところを通り過ぎて約5km走ったところにバスターミナルはあった。

とにかく驚いた事にはここからタイの至る所にバスは発車していたことである。バンコクはもちろん、チェンマイ、パタヤまでも直行便があった。

ここからラオス国境までバスが出ていた。多分2時間くらいでいけると思います。200バーツでした。でも私は行っても何も無いと決め付けて次の機会に順延しました。のんびりとメコン川を眺めるだけに終わってしまうであろう国境越えが、なんとなくむなしく思えてきたからです。もう少し明白な目的をもって来た時にこの国境を越えてみようと思いました。

帰りはバスで帰ろうかなと思ったが、安全を考えると列車の方が良いので、帰りも列車にした。その為、ソウテイに乗ってダウンタウンまでやってきて、その後、マッサージをしたあと列車の駅まで行ってみました。

たまたま、週末だからであろうけれども、2等寝台は満席でした。仕方が無いので1等寝台を予約してホテルに帰りました。

優雅なホテルで読書と水泳をして、持ってきた焼酎を水で割りながら1日を過ごしました。

でもここは少し高いし、ダウンタウンから離れていて、面白くないので、明日は別のホテルに移動するつもりだ。 

 

2007−8−11(土)

ホテル探しとウボンラチャターニの散策の為に、TAXI(ホテルの専用車)に乗ってダウンタウンまでやってきた。

適当に歩いてみたら、ホテルは見つかった。SRI ISAN HOTELである。1泊640バーツでしたが部屋はまずまず、エアコンもあるし、TVもあるし、ホットシャワーであった。

今夜はここに泊まるとして、市街を散策してみると、中心となるようなものが無い、適当に賑やかで適当にさびしい。コラートとはまた違った雰囲気で、なるほど、これが国境の街なのかと思った。カラオケの大きな店も無くマッサージの店もかなり離れた所にぽつんと1軒だけ発見した。マッサージの腕前は可も無く不可もなくと言った所で、特別お奨めではない。

退屈な時間をなんとかつぶして夕食には屋台でビールとバーミーナム(ラーメン)で済ませた。ビールが40バーツ、バーミーナム:タイ式ラーメンが25バーツでした。

単純にここで暮らせば年金で余ってしまうなと思った。

2007−8−12(日)

朝方、全米プロの放送を見ながら、ゆっくりと起きた。タイガーウッズのすばらしいプレイをこのような田舎町(ラオス国境の街)で見るとは思わなかった。

良い時代である。

ホテルのロビーのインターネットを試したら、なんと日本語も使えるではないか。早速メールの確認と家族へのメールを送信し、BLOGも更新してみた。

なにもない田舎町でも日本と通じる時代である。今、携帯電話を持っているが使う必要がないので困っている。SKYPEもあるしインターネットもあれば、携帯電話は要らないのではないのかな?(その逆かな?携帯さえあればインターネットも不要かも)

こんな田舎町にも日本人は来るのでしょうか?私はこの3日間全く日本人らしき人を見かけませんでしたが・・・・・・・?

西洋人もわずかに数人見かけただけでした。

街中で私の勤めていた会社(私はすでに定年退職した身)の看板を大きく掲げたお店があったので、入ってみると、そこには社長以下数人の社員がいまして、私は日本人である事とバンコクの販売会社の社長とは友人である事を告げると、社長は感激し、一緒に写真をとろうといってくれました。バンコクの会社の社長の名前を私が言うと、もちろんその社長も知っていまして、しかも私のふるさとである静岡の話しをすると2度ほど静岡に行った事があるとの事で、本当に頭の下がる思いがしました。こんな田舎の端まで販売網を増やしていった諸先輩の努力に感謝であります。

雨季のイサーンは涼しい。汗もかかないし、快適だ。時々雨に見舞われるが、そこはゆっくりと雨宿りすればよい。大抵は30分くらいでやんでしまう。お陰でいつも澄んでいる川が赤い水に濁っているのが欠点だが悪い気はしない。今頃の日本は猛暑であろう。

外はのんびりと昼寝をするトクトクの運転手とかお客のいない市場は閑散として湯方の雑踏を待っている。

ここで感心した事がひとつある。それはごみが少ない事だ。道路はきれいで、整理されている。ごみが無い市場と言うのはフィリピンのネグロス島のノマゲッティーを思い出す。多分ここの住人はきれい好きなのであろう。一つ一つはなんとなく旧式で古さを感じるが、全体のバランスは決して汚くない。きふるしたTシャツでもきちんと洗濯してある。人々の顔も当初想像していたイサーンのイメージではなく目鼻立ちが整ったタイ人であった。美人も多い。思い直したイサーンでした。

 

2007−8−13の早朝、寝台列車は何のトラブルも無く、バンコクに到着した。地下鉄でスクンビットまで行って、すぐに定宿にチェックインして、シャワーのあと少し寝た。その後、昼近くなって、ゴルフでもしようかなと思い、UNICOに出掛けたが、ここは今年から様変わりしていた。ゴルフクラブハウスも新築し、コースも改善され、あの荒れたグリーンもかなり良くなっていました。

 

この13日からはゴルフの連続である。これが目的で来たのであるが。いつもの話題なのでこの期間は割愛する。しかし、今年のゴルフはスコアが最悪でした。とにかく飛距離がガクンと落ちたし、距離感がつかめないので、どうしてもアイアンを大きめに選択した。それが失敗の元、散々の成績の7レンチャンでした。ちなみに先記したUNICOにロイヤルゴルフ、ブラパ、バンプラ国際ゴルフクラブ、バンパコン、サハプルック、プレジデントでした。

 
パタヤのホテルからの眺めです。2007-8-14撮影。

14日にはゴルフの都合でパタヤに移動し、パタヤのホテルを基点に行動しましたが、19日にはサムイ島に移動しました。本来は列車とバスと船を乗り継いで行くと面白いのですが、今回は飛行機にしました。

ドンムワンではなくスワンナビーム空港からのflightでしたが、国内線はひとつ下の階から出発する事が分かりました。

サムイ島は3度目の訪問でしたので、今回は島でのんびりで、タオには出掛けませんでした。でも、もしタオ島に行かないとこのサムイは全くの単純な島になります。海も決してきれいではありません。近くの島へのスキューバダイビングもありません。

 
上の写真はディナーを食べた東屋です。        右はサムイ島の朝焼け

ここのところは良く理解しておかないといけません。サムイはタオがあるので価値があるようです。本来タオ島に飛行場があるほうが便利で効率が良いのですが・・・・。

数年前訪れた安くておいしい海鮮の店(ピースン)はなくなっていました。また東屋での夕食もしましたが、ホテルの名前が変わっていました。

少しでも売り上げが変化すると変わってしまうのですね。

のんびりと過ごしたサムイ島はこれと言ってレポートはありませんでした。以前のページを参照ください。

さて、サムイ島に3泊したあと今度はクラビのアオナンビーチに移動する事にしました。これが初めての経験なので、どうするか迷いましたが、チャウエンビーチの旅行代理店に出掛けて、“アオナンに行きたいのですが”とタイ語で話しかけると、船とバスをパックしたものがあるのでそれが良いとのリコメンドでした。但し早朝の6時30分の出発です。ホテルへのピックアップも含めて500バーツでした。以前のぼられた料金で、船とバスの料金まで出ました。ピックアップされた車は定刻にフェリー乗り場に到着しました。

 

これは便利でした。ホテルから港まで以前はTAXIにぼられましたが、ピックアップされましたので楽でした。しかし料金を支払った時には領収書のみ貰えましたが、切符が手元にありません。ピックアップに来た運転手が変な紙切れ(手書きのもの)を私に手渡して領収書と交換です。そしてその紙をフェリー乗り場にある切符売り場に持っていくと、フェリーの切符とバスの切符2枚の合計3枚の切符と交換してくれました。

ここのあたりのいい加減さと帳尻の合い具合がタイらしいところでした。もしだまされれば、500バーツはおじゃんですが、すべて上手くいきました。

 左の写真はフェリーの中の各地行きのバス。

そして、目の前に止まっている多くのバスの中からクラビ行きのものを選んで乗り込めばあとは、クラビのバスステーション(ボーコーソーではありません)まで乗せて行ってくれました。7時間の旅でした。

このバスステーションはクラビの郊外にありました。初めてなのでどこの当たりかは分かりません。クラビタウンは確か川が前にあって、各島への渡り船が発着する所でしたし、ボーコーソー(バスターミナル)はかなり田舎の畑の中にあった記憶がありました。

このバスステーションは初めてでした。ここのあたりのコンタクトが上手くいかないとこの地方の旅は難しくなります。

しかし、クラビからアオナンまでの行き方が良く分かりませんが、何とかなるだろうと思っていました。バスは途中で運転手の休憩を取り入れます。そこでブランチも食べるのですが、良くした事にここに旅行代理店がありました。そこでクラビからアオナンへの行き方を聞いたら、TAXIは高すぎてよくないので、1台のミニバスをチャーターして何人かでシェアーするのが良いとの事、なるほど、早速バスの乗客にシェアーを呼びかけました。フランス人夫婦と観光人の新婚さんと私の5人がアオナンへ行くみたいでした。他にイラン人が4名居たのですが、シェアーを嫌いました。(異教徒だからかな?)従って5名のシェアーでのミニバスとなりひとり100バーツで完了でした。もしTAXIならば1300バーツだそうです。

午後2時ごろアオナンの予約してあったホテル(アオナン サンセット ホテル)に到着し、一休みです。

 

2007−8−23

本来はピピ島がメインですが、以前、プーケットから行っていますし、今回はこのクラビの近くの島々に行きたいと思っていました。スキューバの申し込みをしたら、すべてピピですし、3200バーツかかるとの事でした。

今回は近くの島を訪問してみました。

     タップ島

周囲をきれいな海に囲まれて、きれいな魚が泳いでいました。かなり人気が高い島と思われます。海水浴もいいし、ここからチキン島まで歩いて行ける浅瀬がありました。そこには多くの観光客が徒歩で島から島に渡っているのです。縦に長い魚がパンを投げ込むと寄ってきます。ここで一日を費やしてもいいと思いました。

 
タップ島です。右の写真のようにタップ島から向こうのチキン島に歩いて行けます。2007-8-23撮影。

     チキン島

この名前は島の南側に突き出た岩があるのですが、それが鶏の頭に似ていますので、その名がついたそうです。この魚影が最も濃かったと思いました。パンを投げ込むと群れを成してパクついてきます。すこし潜ると多くの魚が群れを成してゆったりと泳いでいました。スノーケルンでこれだけ良く見えるポイントは初めてです。スノーケルンでは最高の場所だと思います。

 
チキン島の名前の通り上の写真のような岩が見えます。 魚は豊富です。

     ポダ島

この島はチキン島の隣にあるのですが、アオナンビーチからもまん前に見えている島です、白い砂浜が特徴で、前に大きな岩の島が存在していました。この島の前に海上警察の船が浮かんでいましたし。かなり人気がある島だと思います。さらにパンを投げると浜辺の数十センチの所まで魚たちが群れを成して寄ってきます。ここも一日を過ごすのには最高なロケーションではないかと思いました。

 
このように岸辺にまで魚が寄ってきます。

アオナンビーチの海は必ずしもきれいではありませんが、この島までくれば、本当に美しい海にありつけました。

     プラナン島

ここは大きな洞窟がありました。でも私はこの島はお奨めいたしません。洞窟は見る価値はありましたが、平凡ですし、海がきれいではありません。良くした事にここには魚が全く見当たりませんでした。

 

一日を終わって、タイマッサージをして寝ましたが、小さなアオナンの海岸は静かで、わずかにほぼ中央の裏通りにオープンバーが数軒固まっている所があるだけで、遊ぶものはありませんでした。

 

バンコクへの帰路、旅行代理店でVIPバス(500バーツ)の切符を買って、ホテルで待っていた。予定の午後3時を過ぎても、ピックアップにやってこない。気がもんで、そろそろ電話でもして確認をしようかなと思っていた所にソウテイがやってきた。よかった。そこにはフランス人夫婦が乗っていた。“バンコクへ行くのか?”といきなりの質問。どこからやってきたの?と矢継ぎ早の質問で、相変わらず欧州人は気が早い。ドイツ人の英語は聴きやすい。やはり後から学んだ言語なのでどこと無くスピード感がないせいかな?

約30分でアオナンからクラビのバスターミナルに到着した。数年前は畑の真ん中にしょぼい建物がぽつんとあっただけだったのに、今回は見違えるほど立派な建物だった。どうも,PP FAMILYというバス会社ともう1社が共同で建てたみたいでした。少なくともバスターミナルではなくバスステーションとの事でした。乗車の際、なんとパスポートを求められた。バスに乗るのにパスポートとは・・・・さすがに国際バスだからね。乗客の中にはタイ人は皆無。

前の席は4人ともドイツ人、左の席は英国人の老夫婦、後ろはフランス人夫婦、一人旅の私は、前から2番目の席に座っていたら、若いご婦人が、Is this sheet taken?と言ってきた。なんとUKの御婦人だ。とにかく車内は欧州人で一杯になった。午後4時30分にバスが発車した。

となりのUKの御婦人と、ロンドンの事、スコットランドの事、エジンバラの事、さらにTATTOのすばらしい演技について話した後、車窓の夕焼けを見ながら一路バンコクへのバスの旅を楽しんだ。英国人の英語は難しい。前記したがドイツ人とかフランス人の英語はどこと無くブロウクンで聴きやすい。

発車時に、英語と日本語のVTRが流された。簡単なこれからの案内である。つまり午後8時にスラタニに到着し、午後0時に休憩をとり、早朝の5時30分にバンコクに到着の予定というだけのものである。しかし英語はまだしも、数回流れるVTRが日本語が必ずながされるのだ。前の席のドイツ人が、この画面はお前は分かるのか?と聞いてきた。もちろんだよ、と答えると、この画面が分かるのはお前だけだからお前はスペシャルパーソンだ、とふざけて言った。私も日本の航空機でほとんど外国人が乗っていないのに英語で必ずアナウンスする機会をいくつか持っているが、その時は無駄な事をするものだな

と思っていたが、今回はたった一人の日本人の為に、日本語のVTRが流れる事にいささか違和感(または焼きもち?)を覚えたのかもしれない。

とにかく、凄いスピードで飛ばすバスは予定よりも10分早くバンコクに着いた。

まだ暗いのでどこに着いたのか分からない。少なくとも南バスターミナルではない。

ついたところにはTAXIの運転手が群がって客引き合戦だ。

私は冷静に自分の荷物を確認し、流しのTAXI(この方が安全でぼられない)を捕まえてホテルに戻った。

バスがついたのは民主記念塔の近くの大通りであった。カオサンのすぐ近くだ。

TAXIの窓からその混雑振りを横目で眺めながら、そうかカオサンの近くなんだとあらためて眺めながらスクンビットへと急いでもらった。

 


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