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カンチャナブリ訪問

●2004ー9月のカンチャナブリからナムトクへ

毎年訪れているバンコク、このバンコクからカンチャナブリへの旅をした。今回は終点のナムトクまで行こうと張り切っている。スクンビットのホテルには朝7時にはチャーター車がやってきた。
車は朝のバンコクをつき抜けチャオプラヤ川を渡って一路、ナコンパトムへと向った。このナコンパトムは日本で言えば奈良みたいな位置付けかな?大きな仏塔があり、ここへは多くのタイ人がお参りに訪れる。たまたまカンチャナブリへの通り道にあるので立ち寄らない手は無いのであります。

       
左はナコンパトムの仏塔です。大きいですねここを一回り廻ると30分くらい掛かります。途中に右のような涅槃像があります。黄金で飾られたこの像は例のワットプーにあるものに似ています。でも足の指に指紋がありませんね。(2004-9-19撮影)

ここで小休止した車は一路カンチャナブリへ、思っていた以上に時間がかかる。
実は事前に列車の時刻を調べておきました。カンチャナブリの駅発午前10時50分である事を知っていました。あと1時間しかありません。少しナコンパトムで遊び過ぎてしまった。でも通常は遅れるので何とかなるとタカをくくって走っていました。カンチャナブリ駅に到着したのがぴったりの10時50分でした。
列車はすでに到着していて観光客が乗り込んだ後でした。あわてて乗り込む私達でした。

      
上の車内写真は3等列車です。私はこの列車に乗ったのですが、我々の仲間が先頭の1等車に300バーツで乗り込みました。その仲間の話ですと300バーツで軽い食事と飲み物が付いていて、窓からは外の眺めがすばらしく良いことずくめであったそうです。次の機会にはこの1等車に乗るつもりです。右の写真は戦場に賭ける橋をわたる列車です。この鉄橋を渡っている歩行者はところどころにある避難所にて待機します。(左に見える人が退避してる)2004−9−19撮影

        
この映像は2004年9月19日、カンチャナブリから終点のナムトクまでの汽車の旅の時、窓の外にカメラを向けて撮りました。
左はクワイ川、右は断崖絶壁であります
この数キロ手前があの戦場に賭ける橋であります。
このようにここでは多くの客が窓の外の景色を眺める絶好のロケーションであります
この断崖を多くの連合軍の捕虜を動員して、タイからミャンマーまで鉄道を敷設した日本軍でありました。そのご苦労と当時のむごさをこの写真で味わっていただけますでしょうか?
今でこそ観光客が訪れるこの地にて、我々の親の代において、当地で犯した戦争犯罪については、後世まで伝え抜いて2度とこのような事の無い世界を構築していかなければなりませんし、この償いをしていかなくてはなりません。
 


       
ナムトクに行くまでにこの川岸にリゾートホテルがあります。それがこの上の左の写真です。乗客は右の写真のように身を乗り出してこの光景を眺めています。


        
終点のナムトクです。プラットホームはありません。左の写真のように乗客は列車から直接大地に降り立ちます。
右の写真はもう少し歩いてみたとkろです。正面の山の向こうはミャンマー?なのでしょう。まさに国境に近いなという感じでした。

         
上の右はナムトクの有名な滝です。ここで地元の子供達が滝つぼで泳いでいたり。水遊びをしていました。
右は列車から見たクワイ川。正面の山はもうミャンマー。

ナムトクにて待っていたチャーター車に乗り込んで、戦場に賭ける橋まで戻ってきました。
ここで一休み、歩いてこの鉄橋を渡り、まさに昔の戦争の不幸な時代を考えてみました。
そして、車の中で一眠りしている間にスクンビットのホテルに到着しました。

●2002ー5月のバンコク市内

毎年訪れているバンコクへ今年もお出掛けしました。ゴールデンウイークをフルに使って!皆様も是非”天使の住む都”へお出掛け下さい。

●カンチャナブリ・・戦場に賭ける橋

カンチャナブリ、それは我々日本人と欧州ならびにオーストラリア人にとっては忘れられない名前の一つである。 あの第二次世界大戦中にこのタイからビルマ(現在はミャンマー)まで死の鉄道が敷かれた事であまりにも有名だからだ。

第二次世界大戦記念館 第二次世界大戦記念館
左の写真は第二次世界大戦記念館。この粗末な台が当時の捕虜が使ったベッドです。 うなぎの寝床みたいな博物館を入る、入り口から少し進んだ所の写真です。
右の写真は第二次世界大戦記念館の出口なのです。記念館と言っても当時の日本軍のチェックが厳しく、 証拠になる物は全て廃棄させた為と言われています。 当時の面影を残すものは殆ど有りません。もし持っていたら銃殺なのでしょう。故に展示されているのもは寂しい物ですが、後世に訴えている物が何なのかは分かります。
2002-5-6 撮影
連合軍墓地 戦場に賭ける橋
このカンチャナブリで無くなった連合軍の墓地です。二十歳前後の若者が日本軍の強制労働でこの地に果てた事実は多くの 欧州人の心に焼き付いているし、観光客も一字一字ゆっくりと読んでいる。日本人にとっていたたまれない、気持ちになってくる墓地です。とても暑い日でしたが、一つ一つの墓地を 丁寧に見つめながら、お参りしている、欧州人の老夫婦には、頭が下がりました。
右の写真は戦場に賭ける橋。ここが有名な橋なのです。この橋を作り、当時のビルマまで兵器や兵員や武器弾薬の輸送を託したのでしょう。
2002-5-6 撮影
戦場に賭ける橋 戦場に賭ける橋
戦場に賭ける橋。この時にはブーゲンビリアが美しかったが・・・あの当時は?今は観光客で賑わっています。
戦場に賭ける橋を歩いてわたる。鉄橋ですので、それほど恐くは有りませんが、板、数枚を交互通行しますし、足でも つかえたら、川に落下する恐れはあります。気をつけて渡って下さい。
2002-5-6 撮影
戦場に賭ける橋を渡る汽車の中 汽車
戦場に賭ける橋を渡る汽車の中。冷房も無く、決して快適な椅子でもないが、満員の客を乗せて、ビルマ国境近くまで、行っている。 この写真は丁度橋を渡っている最中で、客は窓の外に目をやって、クワイ川の美しさを端野しています。なお、料金はカンチャナブリ駅から5バーツ(15円)で約1時間半の汽車の旅が出来ます。
右の写真は戦場に賭ける橋を過ぎて1時間程走ると高級リゾートホテルがクエー川に浮んでいる。右は断崖絶壁、左はクエー川で、この鉄道を開設する時の苦労がしのばれます。 ここの食堂で昼食を摂りましたが、結構美味かった。(アローイ、マーク)
2002-5-6 撮影
汽車
川はリゾートホテル、山は絶壁を削って鉄道を敷いた。こんな所でゆっくりと1日を過ごすと、時計がゆっくりと廻っている事が実感出来ます。 帰りはここから、車でカンチャナブリまで戻りました。

2002-5-6 撮影


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