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ホアヒンへの旅


2004−12−26(日)にスマトラ沖で大きな地震が発生し、これにより大津波がランタ島を襲いました。
私が泊まったホテルもどうなったであろうと気になります。
一日も早く、復興されます事を危難いたしますと共に、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
ランタ島への旅(一人旅)

●2004年5月2日(日)

2004年のゴールデンウイークはタイ南部への旅になった。日本出国の前日、南部での銃撃騒ぎがあったので、もしやばかったら、行き先変更のつもりであった。

例によって早朝からのゴルフで汗をかき、そして美味しいタイ料理で腹ごしらえをして、TAXIにてホアランポーンの駅へ向ったのは午後3時30分でした。
午後5時5分発なので、十分な時間があるはずであるが、途中、渋滞にはまるかもしれなかったが、そこそこの渋滞で午後4時には駅に着いた。
本来はドンムアンの国内空港から国内線で飛行機にてクラビまで出かければ、どうという事のない普通の旅である。しかし、タイの友人は1等寝台車の旅行は経験しておいたほうが良いとの、アドバイスをいただいたので、 今回は、バンコクからスラタニまで寝台列車、スラタニでバスにするか、それとも車をチャーターするかは、その時の流れにして、出発した。

しかも、このスラタニの近くのアオナンとかピピ島ではなく南部の秘境のランタ島まで行くつもりでした。そこまではバスは出ていないであろうとは想像していたが、何とかなるさと思って行き当たりばったりで出かけた事が後から後悔する事 に遭遇するとは思ってもいなかった。
ただ銃撃戦の事は気になっていたので、常に携帯電話を使って情報を得たり、発信したりしながら旅するつもりでいた。
ホアランポーンの駅に着いたので、すぐに出発の列車の確認をした。窓口に聞いてみて、チケットを見せると、最も西よりの10番線に停まっている列車に乗ることはすぐに理解できた。

このホアランポーン駅の全景が下の写真である。右はその内部。
ホアランポーン駅                ホアランポーン駅
ホアランポーンの駅に概観であるが、この駅は日本で言えば上野駅かな? 地方からバンコクに出てくる玄関口であり、故郷へ帰る基点でもある。常に客が大勢待機している。夜ともなれば周囲に屋台とか 客引きがうろうろする。
右の写真は内部から外側を見たところ。 左右には2階になっていて、大きなTVが映っているし、食堂とか売店は数多く存在している。

1等寝台のチケットは現地の駐在員に依頼しておいたので、容易にGETできたのですが、本来はなかなか取り難い様であります。
2名で一部屋なので、ルームメイトがどんな人になるか不安が少し期待が少しの、何とかなるであろうという軽い乗りでこの旅を計画したものでした。しかし、まずはこのルームメイトの話からご披露いたしましょう。

彼は名前をサム(SAM)という21歳の青年でした。国籍はカナダ、学生でした。寝台車の個室に入ってくると彼は、まさに立て板に水の感覚で自己紹介から出身地の話とか、多くの事をペラペラと30分くらい発車前にしゃべり続けた。そして、定刻に発車した車窓から見るバンコクの下町の様子を、故国のカナダと違いすぎる事を一生懸命に喋り捲った。ブリティッシュ・コロンビアの綺麗な街並みに育った彼の眼には、ホアランポーンからチャオプラヤ川を渡るところあたりまでの線路沿いの地元のバラックには、驚かされたみたいであった。さかんに”クレイジー”を連発していた。
とにかく良くしゃべる、少し黙ってくれないかなと思うくらいであった。この状態で12時間もご一緒するのはいささか苦痛であるなと感じた。
発車して20分くらいするまでは、列車はノロノロ運転で、飛び乗ろうと思えば乗れるくらいのスピードであった。そんな中、夕食のルームサービスの注文が来たが彼は夕食は要らないと言い張った。TACはカオパット定食のセットを注文した。

初めての長期遠距離列車であったので要領を得なかったのでルームサービスをお願いしたのであったが、ナコムパトムの駅にて駅弁とか食事物をプラットホームにて売っていたので次回にはこちらを選択するつもりである。
こちらの方がローカル色豊かですし、量とかメニューが選べますからね。それに各段に安いはず!
なお、この列車には2等寝台とか料金の安い立席の車両もついているので、おそらく車内にも物売りが乗り込んできているであろうと思います。1等寝台には一般の人が全く乗り込めないような構造(必ず車掌室を通らなくては車両に乗り込めない)であるので、安全上はおすすめであるし、トイレも西洋式とタイ式の2個が最後尾についていた。さらにこの西洋式のトイレの中にはシャワーもついている。(サムがスリタニに到着前に使ってみたら水しか出ないとぼやいていた)
ルームサービスは午後7時頃に持ってくるのであるが、サムは当初、食事は要らないと言っていたのに、腹が減ったと言い出した。止むを得ないのでカオパットを追加注文をさせたが、あの早い英語を女性車掌が理解したのか疑問であった。彼はライスのみを注文したと言い張っていた。とにかく全くタイ語が出来ない彼は全て英語で推し進めるのにはびっくりするやら感心するやら!日本人の私にはこの冒険(無謀?)が理解しにくかった。
7時をかなり過ぎた頃、カオパットクンの定食が届いた。カオパットとスープといくらかの野菜がついていた。これを二人で分け合って食べた、そして数分遅れで届いた彼のカオパットも分けて食べた。美味しかった。しめて400バーツであったが高かった。

食事の後、彼はタイバーツを持っていないと言い出した。なにー?よくそれでタイ国内を旅行しているな!
仕方が無いので彼の持っていた20US$の現金とタイバーツを交換してあげたら、彼は頭を深く下げて、本当に喜んでくれた。
ホアランポーン駅                黄金の仏像
左の写真はホアランポーン駅の内部。多くのお客が ふるさとへのお土産を持って、列車の出発を待っている。出発が定刻で無い事も多いのでこのように 床に直接座り込んで出発を待つのである。
右の写真はこのホアランポーン駅から歩いて5分くらいの所にある”ワットトライミット”でありる。 黄金の仏像は時価いくらか分からないくらいではないだろうか?お時間があれば少し見物しても良いと思う。中華街(ヤワラート) の外れにあり、観光客でごった返す観光SPOTでもある。

一人旅は良いものであるが、このように2名の個室を利用する時には、やはり気心の知れた友人とご一緒することの方をおすすめしたい。
腹ごしらえを終わって暫くすると窓の外は真っ暗で何も見えない、夕日が沈んだ後は漆黒の暗闇である。相変わらず、サム君おしゃべりが続くのですが、車掌がやってきて、ベッドメイキングをしてくれた。私はその間にトイレに行って帰ってきたら、彼は下のベッドで本を読んでいた。(本当は私が下のベッドであるが、彼が変わってくれと言ってきたのだ)上の段に登って、おもむろに明日の朝の予定表を眺めたり、荷物の整理をしていたらうとうとしてきた。横になったら、睡魔に襲われて、そのまま寝込んでしまった。

列車は時々長時間止まってたり、また走ったりしていることが夢うつつの中で発生していた。、スラタニへの到着予定は午前4時過ぎであった。寝ぼけまなこで時計を見るとなんと午前4時を指していた。
しまった、寝過ごした、と思ってあわてて外を見た。列車は停まっていた。なんと薄暗いプラットホームに人影は無い。ここがスラタニか、時間的にはぴったりであるが、いかにもわびしい。急いで車掌室へ行って、ここはスラタニか?と聞いたらあと1時間かかるとの返事であった。 ああ、良かった、と思って個室に帰って、サムにあと1時間でスラタニであるので、そのつもりでいろよと、声をかけた。

歯を磨き、顔を洗って荷物の整理をしていつでも降りられるように準備をして、ベッドに横になって見るとも無く外を見ていたが、真っ暗の中でところどころに明かりが走っていく。それから1時間くらいが経過したのでまた車掌室へ行くと”あと20分”との答えが返ってきた。個室に戻り”こんなに遅れるのか?”と予定の変更による今後の行動を考えていて、うとうとしたら、さらに30分が経過したところで車掌が”あと10分でスラタニに着くと言ってきた”1等寝台なので必ず車掌が起こしてくれるみたいであった。(乗り過ごす心配などはない?)

● 5月3日(月)

朝の4時の予定が7時過ぎにスラタニに着いた。比較的に大きな駅であった。降りた瞬間にプラットホームの金網越しに客待ちの青年が、どこへ行くの?と声をかけてきた。いよいよクラビの旅の出発点に立った。
まずは夜行の疲れを取るために駅前の旅行代理店を兼ねている食堂に入ってカオトムを食べた。
食べている間にこれからの予定とバスとか船の交渉である。価格は均一料金みたいであった。一人当たりの料金は
   ・サムイ島:160バーツ
   ・クラビ  :150バーツ
   ・プーケット:180バーツ
   ・ランタ島:400バーツであった。

ここで400B支払って、バスとクラビからのスピードボートを確保したつもりであった。
さらに、この代理店の説明があり、帰りのbookingもしておいた方が良いとの事であった。
それもスピードボート、バス、さらにバンコクまでのVIPバスの座席も確保して、850バーツで買えるので、買ったほうが良いと勧められた。帰りの席の確保が不安であったので、買う事にしたのであるが、これが裏目に出るのは帰りの5日の日となるが、この時には気が付かない。(つまりスピードボートが4月までしかないのにスピードボートの券を買わされてしまったのだ。これがタイなのである事をしらされた)
ここですでに予定よりも3時間位の遅れであったが、次の列車が来るのを待っていた。つまりホアランポーン発午後7時代の特急が到着するまでバスは待っていた。

スラタニの駅前から乗ったクラビまでの客はわずかに3名であった。こんなに少ないのかと思い。20分位したところで変な路地でスピードボートの券を持っている者はここで降りろと言われた。スラタニの街中の一角と思われた。
大丈夫なのかな?と思いながら、降りると旧式のバスが停まっている。これに乗れと言われたが、本当なのか疑わしかったが他に選択肢は無い。乗ってみると、すでに多くの乗客が乗っていた。なるほど、周辺の各所からここへ乗客を集めて、まとまってからクラビへ出発するのであろうと推察できた。乗客の構成は地元民50%西洋人50%であった。日本人は私だけでした。

このスラタニの街の一角からクラビのバスターミナルまでは予定では3時間くらいかかると言われていました。
とにかくこの旧式のバスでクラビの街まで行きました。そして街中から少し外れた所にてバスは停まりました。そこで殆どの客がおりますので、ここはクラビか?と聞くとうなずくし、ここで降りるしかないと思って降りました。
降りたのは出発から2時間と少し過ぎていて午前11時頃でした。まずはここのインフォメーションに聞くと、私の持っているスピードボートは発着していない事、従って、同じ料金でバスでランタ島まで行ける事、それにはここであと10分くらい 待っていて欲しいと言われました。

仕方が無いので、10分くらい待つ事にしましたけれども、1時間たってもバスは来ません。そこでバスターミナル(ボーコーソー)はどこか?と聞いたら、ここが バスターミナルだとの答えが返ってきました。”うっそ、本当(チンチン)”ここは周りが未舗装ですし、周囲にバスが1台も無いではないか。しかし彼は ここがバスターミナルなのだからここであと10分待ってくれと言う。また10分か?と思いながら、待つしかないなと思って、ビールを1本注文した。
待つこと1時間半で小さなワンボックスがこの案内所に来た。これに乗れとの事であった。トホホ、何だよこれは・・・、と思いつつ乗ってみると 現地の家族連れと、現地人数名で、私の席は選択肢のない1席が空いていた。この案内所からバス会社に、ここでチケットを持った客が何名いると電話をして、それぞれ の案内所を廻って満員になってから出発する仕組みみたいであった。

満員の小型のワンボックスカーは一路4号線を南下して行きました。ランタ島まではどのくらい掛かるかと調べておきましたが約2時間で、途中2箇所のフェリーボートに乗って到着するのである。最初のフェリーでランタノイ島に渡り そして次のフェリーでランタヤイ島へ渡ります。一般的にランタ島とはこのランタヤイを言います。

車は予想とは異なり130Kmでぶっ飛ばします。前の車を次から次への抜き去りまして4号線を南下して右に曲がりました。その角から40分くらい走ってフェリーにつきました。そして、予想よりも早く、次のフェリーにも乗れました。 ここも満車になり次第、出発する仕組みみたいでした。
ランタ島はランタノイ島にフェリーで渡ってから、車で20分くらい走ってまたフェリーに乗る。そしてランタヤイ島に上陸である。

スリランタ           スリランタ
左の写真はランタヤイから離れた直後のフェリーから島を見た。正面の建物の右端にチケット売り場があった。料金は知らない。運ちゃんが支払ったから!でもこのように乗ってしまえば 満車になるまで待っていて、満車になったら出向である。客は車に乗ったまま、暑いからエンジンは掛けたままでエアコンもフル稼働。もちろん輪留めなどは掛けないので 何か事があったら、数人は死んでしまう。かといって車の外にでて、万一の災難に備える気にもならない。マイペンライの世界
右の写真は対向して来たフェリーをパチリと撮って見た。(2004-5-5撮影)

・SRILANTAFへ
今回予約して泊まったSRILANTA RESORT HOTELのHPへのLINKです。

スリランタ           スリランタ
左の写真は今回泊まったスリランタ リゾート ホテルの全景である。 手前は止まったコテージ側で中央に道があり、この道をまたいでFRONTとか食堂とかプールに行ける。正面遠くは海であり、水平線にはピピ島が見えていた。(2004-5-3撮影)
右の写真は左の写真のかやぶき屋根の建物の拡大であるが、ここでタイマッサージもしたり、 この写真のようにヨガみたいなものを実施していた。静かな空間と時間が流れていてホテルでこんな雰囲気を味わったのは初めてであった。

午後2時頃に予約しておいたスリランタ リゾートに到着し、のんびりとした、何にも無い島を2泊して、ポケー  とした時間を使いました。幸いな事に小型バンがホテルまで送ってくれました。
とにかく何もしないで海にでも眺めたり泳いだりするだけならばこの秘境は満足できます。
真正面にピピ島が見えましてここの夕日は格別であります。(写真群を操作ミスで削除となり残念であります)
●5月4日(火)
朝は激しい雷雨であった。でもタイでは珍しくはない。雨季も始まりだしたし、あるいみ予想の範囲であった。
でも雨は程なくやんで、青空も見えてきました。

スリランタ           スリランタ
左の写真は右の写真の石垣が夜ともなると ライトアップしてこの様になる。ロマンチックな空間が演出され、一人旅には毒であったが美しい事には代わりが無かった。
右の写真はこのホテルのプライベートビーチである。人は殆どいなかった。 ホテルの従業員の数の方が客数より多いのではないかと思った。この海に潜ると、波に砂が巻き上げられ、独特の世界であったが、魚の影は見かけなかった。 水平線に浮かんでいるのがピピ島である。このピピ島のはるかかなたに2年前に訪れたプーケットがある。(2004-5-4撮影)

とにかく、なーんにも無い。だから良い。海を眺めて、適当にプールにも入り、本を読みながら腹が減ってきたら 食堂で、美味しいタイ料理が食べられる。
雨は1時間くらいで上がった。部屋はバンガローの高級なヤツと言った感じのコテージである。エアコン、冷蔵庫、シャワーとかベランダがついていた。
その部屋から海岸にある食堂まで歩いていって、朝食である。結構美味しい。 バイキング料理であるが、タイ料理だけでなく西洋料理も並んでいた。
食後には、近くを散歩したが海と砂浜以外には何にもない。あるのは静けさだけだ。

水着に着替えて、プールで一泳ぎしてみた。快い水の感触と強い日差しを感じながら、次に、海に出てみた。
遠浅の海は波が少し高かったせいもあるが、透明度はイマイチでした。潜ってみたが魚にはお目にかかれなかった。一昨年のプーケットのコーラル島での魚の 群れを期待したが、ここでは無かった。多分ツアーでこの周辺の島々をまわれば、きっと多くの魚たちが目を楽しませてくれるはずである。
泳いで少しの疲れを感じた後は、プールサイドで寝そべりながら本でも読んだら最高である。
ここに一人出来ている日本人にお二人見かけたが、声は掛けない。お互い、待ったりすることを期待してきているはずである。
それ以外は皆、裕福なタイ人家族と、ファランたちであった。
夜はまた、格別に美しい。何にも無い所に、ところどころライトアップされる。それがまた幻想的でロマンチックである。 一人で来るところではないかもしてない。そのくらい美しいところであった。

星空を眺め、のんびりと冷たいビールを傾けながら日ごろの喧騒を忘れさせてゆっくりと自分を見つめるなり、待ったりするのに時間を使う。
静かな一日が終わった。
スリランタ            スリランタ
左の写真は海側から門の方向を眺めたところ。右の建物ではヨガが実施されていた。左の生垣のところに右の写真の食堂がある
右の写真は食堂から海を眺めてみたところ。ここも朝昼夜の三食、お世話になったが 景色はいいし、空気は綺麗だし、なんといっても味が良い。でもお値段は高めでしたよ。
とにかくしたい事をして、と言っても何もしないでまったりする2日間が終わり、いよいよ帰る日がやってきた。 今度来る時には、必ず、二人で来ようと心に誓った。
●5月5日(水)
この日はタイ国王の即位の日で祝日であります。
この日はゆっくりと起きた。フロントで12時の車をチャーターして島の北の端のサラダン港に向った。この料金でも もめた。TAXIもトクトクも無い島なので、チャーターするしかない。通常のTAXIならばせいぜい40バーツであろう。
それも舗装の殆ど無い悪路を走る。料金は車1台ではなく一人いくらと言う運用である。同宿人とのシェアーで費用を浮かせようと思ったのであるが だめである。その料金550バーツであった。それを450バーツにまけさせて、サラダンに着いたのは12時15分であった。
このサラダン港でびっくりした。なんと帰りのスピードボートが運行していないのである。運行していないチケットを 平気で売る旅行代理店、運行していないスピードボートの港まで客を高い料金で送迎するホテルの車。誠に腹立たしかったが ここはタイなのだ。”マイペンライ”の世界なのだ!と言い聞かせて平常心を取り戻すのに、必死であった。”ジャイエンエン”と言ってきた。 タイ語で冷静にしてください、と言う意味であるが、これが冷静でいられるかと自問自答して、スピードボートのチケットを 握り締めた。あのスラタニの旅行代理店で騙された事になる。クラビからのVIPバスの予約券も怪しくなってきた。

少なくとも4時までにクラビに行かなくてはこのVIPバスもパーになると思い、車のチャーターをするしかない。”タオライ?幾ら?”と聞いたら なんと、2500バーツと言うではないか。足元を見て、チャーターするしかないので高めに言ってきた。ここでもめたら 帰れないし、下手すると刃物沙汰になるので、2000バーツにまけさせて(スピードボートのチケットを置いていく事を条件) 小型トラックの助手席に座った。
止むを得ないとはいえ、悔しさが半分こみ上げてきたが、そんな事より、帰りのVIPバスに乗れるかどうかに気持ちは移っていった。 気持ちは高ぶっていても車内の快い冷房でうとうとと眠ってしまいました。途中のフェリーに乗るときだけは、起きましたが 約1時間半のドライブでクラビのスピードボートの乗り場に下ろされました。
でも途中でこんなアクシデントがありました。
クラビはなだらかな坂の多い街であります。この緩やかな上り坂を反対側から車を追いかけて来るご婦人が見えました。
見ると運転席側の扉が開いたままノロノロと走り出した車をこのご婦人が必死の形相で追いかけ運転席に飛び乗ったのと 私の乗っている車が”ガチン”と音を立てたのとは1秒も無い出来事であった。
推定であるが坂道に停めた車のサイドブレーキを乗っていた子供が外してしまったか、または彼女がこのサイドブレーキ をかけないで降りたかのどちらかだと思う
運ちゃんが降りて、事故の交渉をしている。あーあ、また揉め事であるが、今回は私は無関係なので、交渉がまとまるまで待つしかない。
どこに何が起こるかわからないとても信じられない旅行になってしまったのですが、皆様も十分お気をつけてください。
なんだかんだありましたが、とにかくスピードボート乗り場まで到着しここでおろされました。
クラビのスピードボートのターミナル            クラビの地図
左の写真はクラビのスピードボート乗り場のインフォメーション。ここからピピ島 にも行けるし、ランタ島にも行ける。本来、スラタニで買い込んだスピードボートのチケットでランタ島から ここまでこれたはずである(2004-5-5)撮影
右の写真はクラビ周辺の地図である。クラビは左の写真のほぼ中央にある 半島の根元にある。この半島の根元付近を拡大したものが右の地図である。この右の地図の中央の海に面したところが クラビである。このクラビから南の方向に国道4号線が南下しているのですが、地図上では南の方向に半島のように見える所 は実は島であり、この島がランタ島である。

待ってましたとばかりに客待ちが寄って来て、どこに行くのか?と聞いてくる。
 すかさずVIPバスの予約券を見せて、ここからバンコクまで行けるのか?と聞いたら、OKの返事が来た。
時は午後3時丁度、助かったみたいだ。
ここにあと1時間いればすばらしいVIPバスが俺を迎えに来てくれる。
そういえば夢中になっていたので気が付かなかったが少し空腹感が出てきたので、このターミナルの前の食堂で軽い食事を取って のんびりと、ターミナルに戻ったのが4時少し前であった。

ところがである4時に近いので、このターミナルの正規の職員にVIPバスのチケットを見せて、あと何分でバスは来るのか? と質問したら、なんと驚くなかれ、ここにはバスが来ないと言い張る。
おいおい、先ほどOKと言った連中はその場にはいないので文句を言うわけにもいかず、(言っても通じないであろうが・・・。)
一瞬頭が混乱した。でも救う神もいるものでこの職員が盛んにバス会社に電話していた。
そして、話がついたみたいで、ここに小型ピックアップ(いわゆるソウテイ)が来るのでそれに乗れと言って来た。 一瞬また騙されるかなと思ったが、もう時間が無い。イチかパチかこのソウテイに乗ってみた。このソウテイにはファランが 一杯乗っていた。
約15分ほど乗ってついたところはどうも長距離バスの発着所のようであった。
降りてすぐにVIPバスの予約券を見せると、胸に赤いマークを貼り付けてくれた。  これで間違いなくバンコクに戻る事が出来る確信が持てた。

良く見るとここは前が川になっていた。それも海が近いと見えて川幅がかなり広い。おそらくクラビ川の河口近くにある  、あるバス会社の発着所であろうと思われてた。行きに立ち寄ったバスターミナル(ボーコーソー)とは似ても似つかなかった。
クラビのバスのターミナル            車内
左の写真はクラビの河口付近にあるVIPバスの出発地にある案内所。 ここで、スラタニで買い込んだVIPバスのチケットを搭乗用の券に切り替えてほっとしたところであります。(2004-5-5)撮影
右の写真はVIPバスの車内風景。売り込む時の写真は3列でリクライニング もほぼ水平にまでなった写真を見せ付けられましたが、実際は4列で窮屈で、リクライニングも、それほど倒れませんでした。
定刻を過ぎる事30分で、バンコク行きのVIPバスがやってきました。 2階席の前から2列目に陣取って、バンコクまでのバス旅行の始まりです。バンコクまでの途中で2度ほど食事休憩がありました。 それぞれ40分くらい休憩いたしました。
午後4時30分に出発して、バンコクに着いたのは翌朝の7時頃でした。途中殆ど眠りましたので、景色などは目に入りませんでしたが、 5時ごろ通過したホアヒンとチャームでは1年前にここで楽しんだ思い出を、思い浮かべながら、車窓を眺めていました。

VIPバス            休憩所
左の写真はVIPバスの最前列から見るクラビからスラタニに向う景色
右の写真はバスが停まる、休憩所の風景
バスが停まった。5月6日の朝である。客が降り始めた。しかし見覚えが無いところである。
南バスターミナルのはずなのだが、何度も訪れているこのターミナルの面影は無い。

”ここはバンコクか?”と聞くと皆うなずくし、全員下ろされたので、私も降りるしかなかった。
不安がよぎったが、バンコクの中ならばスクンビットのホテルまでTAXIでたどり着けるはずであるので、その不安も たいした事は無かった。
とりあえず、TAXIを停めて、ホテルまで向った。少し走った所に民主記念堂が見えたので、”ああ、ここはカオサンの近くなのだ” と納得した。チャオプラヤ川を渡らないでカオサン付近で降りたのだった。
ホテルには8時前に到着し4日間の旅は終わった。

VIPバス到着地            チャオプラヤ川
左の写真は南バスターミナルではなくここカオサン付近のこの写真の所でバスを下ろされた。。(2004-5-6)撮影
右の写真はこのバンコク到着の日の夕方訪れたシャングリラホテルのロビーから みたチャオプラヤ川の夕日である。(2004-5-6)撮影



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