トップページに戻る

ソウル散策

2014-2-15追記

最近の韓国政府ならびに、韓国国民の反日の運動にはもう切れました。1965年の日韓基本条約を無視し、日本からの巨額な援助によって、韓国が復興できたのに、その恩恵を全く理解しないで、ありもしないでっち上げの事柄を戦後の歴史の中で突然持ち出して、反省と保障をせよと言っている。一度、もうこれからは決して何も言わないから、今回だけ謝ってほしいという外交には、もうだまされてはいけない。もう韓国は相手にしないし、決して訪問はしないであろうと思います。

以下はまだ、良い時代の時に訪れたソウルです。


すでに15カ国もの外国を訪問しているのに、最も近い外国である韓国へは行った事が有りませんでした。 しかし、2001年11月に先輩と二人で行く機会がありました。

以下、日程とか見所を紹介いたします。

第一日

名古屋空港を飛び立ったJALが仁川国際空港に到着したのは午前11時30分であった。 珍しく、霧がたち込めて視界が200mくらいしか利かなかった。なんだか今回の旅行を暗示するような気がしたが・・・・。 今回は特別価格のツアーで出掛けたので、まずはそのツアー差し回しのバスで梨泰院(イテホン)の免税店と新羅免税店へ連れて行かれた。 その後ホテルに入ったがチェックインは午後3時であった。ツアーを申し込む時に、この買い物には必ずお付き合いくださいと念を押された理由がわかった。

荷物を部屋に運び込んだ後、水とジュースを買いにホテルの近くを散策した。幸いすぐにコンビニが見つかり、言葉は通じないが、なんなく目的を 達して、近くを散歩しながらホテルに戻った。

午後4時に現地にいる先輩の友人のYさんがホテルのロビーに迎えに来てくれた。
いよいよ始りである。しかし外がまだ明るいので、どこに出掛けようか迷ってしまった。しかも霧で遠くが見えない。 やむを得ないが、時間がないのでとりあえずソウルタワーへ行ってみた。TAXIに乗り込んでタワーまでわずか10分でついたけれど、霧で市内はまったく見えないが、回転レストランで 一休みしながら、本来ならこの方向に”xxが見えるのですよ”とYさんの説明を聞いて時間を潰した。霧の中にぼんやりとネオンが少し見えただけのソウルタワーとなった。
ソウルタワー 明洞の夜
左は霧の中でも点灯すればきれいなソウルのシンボル。(11/21撮影)
右はレストランを探しながらうろうろしながら撮影。明洞の夜は凄い人、人、人の波

ソウル市内のどこからでも見えるシンボルであるこのタワーに上ってみた。あいにくの霧で視界がイマイチでしたが良い思い出になりました。

その後、夕食はどこにしようと相談し,明洞に決めた。相変わらずの行き当たりばったりの旅行である。ロープウェーで夜景を霧を通して見ながら、山麓の駅に降りた。 多分、明洞までは歩いて10分くらいのはずである。でも坂道ばかりで階段が多い。逆に明洞からソウルタワーにロープウェーで行くとしたらこの坂道を上がるのは疲れるかなと思った。 そんな考えをしながら、歩いて行くと程なく明洞に着いた。”イヤー、凄い人込みだ!”さすがに中心街である。
ファッションの街、そして食道楽の街、若者の街、明洞の夜は深夜まで賑わう。夜店もあるし、何だかおばさんが歌を歌って金を集めてもいた。日本の原宿と行った感じかな!
しかも活気がある。夕食をどこで食べようか探しながら、歩いていくと、 程なく、全州中央会館の看板が目に入った。その隣りの店も気に入ったが、ガイドブックの説明には勝てずに全州中央会館に入った。

Yさんによるとこの店は決して安くないとの事でしたが、 とにかく腹ごしらえする事にした。
オーダーしたメニューはチジミとパジョン(海鮮のねぎ焼)、それにお店のお薦めカルビである。少し控えめに食べようと思っていたのであるが、ついつい 食べ過ぎて、さらに注文した冷麺はオーダーSTOPした。おいしかった韓国料理を食べて、夜の明洞を散歩して、Yさんと別れた。その後ホテルまで地下鉄で帰って一日が終わった。


第二日

翌日はゆっくりと起きて朝食を8時に取った。昨夜のごちそうがまだ胃の中に残っている感じがしたので、焼きたてのパンを1個とジュースのみの軽いものにした。 外はかなり深い霧で、行き交う人の流れをパンをほうばりながらレストランの外をぼんやりと眺めながら、2日目の作戦を頭に入れ直した。食事後にさっそく地下鉄に乗って行動開始である。

まず行った所は2002年の6月に開催されるワールドカップの開会式会場になる予定のサッカー場である。 あいにくの霧でその素晴らしい会場の全景を見る事が出来なかったが、地下鉄の駅前はまるで円形劇場みたいな階段で、駅の近く時はサブグランドの完備されている、りっぱなものでした。 数人の作業者が植木の手入れとか駅前の床の補修とかサブグランドの手入れに働いていましたが、あとは開幕を待つばかりといった感じでした。
ワールドカップ会場  地下鉄の駅
ワールドカップ駅の構内にあった宣伝用の電飾と地下鉄のホーム。(11/22撮影)

あいにくの霧の中なので写真が取れませんでした。従ってやむを得ず、全貌が理解出来るこの駅の構内の電飾をデジカメに収めてきました。

霧でどうする事も出来ないので、次の景福宮へ行く事にしました。このワールドカップの駅で”xxxxxx”とハングルでご婦人に問い掛けられました。なんと韓国人に間違えられましたが、 日本語と英語で、韓国語がまったく判りませんと答えました。なにかスタジアムへの行き方を聞きたがっていたみたいでしたが・・・すみません・・役にたたなくて。
ソウルの地下鉄は素晴らしい。恐らく世界一であろう。つまりお客様本意であるからだ。まず、安い!殆どの所へ¥60で行ける。そして1号線から 6号線まで、殆ど全てのソウル市内を網羅していてくれる。乗り換えの駅に着くと必ず音楽とか鳥の声などがさりげなく聞こえてくる。さらに全ての駅が番号化されているので 分かりやすい。など、営団地下鉄の幹部も一度は乗ってみたら如何でしょうか?

勿論、移動は地下鉄だ。一乗りほぼ600ウオン(¥60)でどこでも行ける。 昨夜のYさんは今日はお仕事で、約束は夕方からである。それまではハングル語がまったく話せない 私たちの度胸の散歩なのである。この地下鉄でとんでもない事が起こった。乗り合わせた瞬間に、若い女性に席を譲られた、どうも、この俺らしい。 考えてみたら黒い帽子の下から白髪が見えているから、老人に見えたのでしょうね。席を譲ってくれる優しさに感謝したが、その反面、まだ若い気でいたのにトホホ・・・。 でも韓国では先輩とか老人に席を譲るのは、当たり前みたいで、僅か3日間の間に数回席を譲られた。
間違いも無く乗り換えもスムーズに行って目的の景福宮の駅に着いた。光化門の横から中に入った。すぐに目に入ったのは光化門であった。
光化門 慶会楼
景福宮に入り口の光化門の前にて
恐らくこの風景がソウルの代表的な風景の一つなのでしょうね。当日は霧が出ていたがその分、風が全く無い。お陰でとてもきれいだ。(11/22撮影)

想像していたよりもはるかに大きな規模の景福宮。その入り口で記念の写真。珍しく本人が映っている。
光化門の向こうには、大きな勤政殿であったが、工事中で、残念!

さらに中に入って行くと外交にも使われていたという韓国一大きな楼閣である、慶会楼は湖面にその美しさを浮かべ、景福宮の中心的な建造物である事がすぐに理解出来た。
この慶会楼の周りをゆっくりと時間を掛けて歩いてみた。
今回の旅の中でも最も充実した時間を持てたものの一つになった。きれいだ!
さらに歩いて行くと、 多くの学生が修学旅行のようにここに来ていた。ここは韓国の心の中心地なのであろう。
それなのに1592年の豊臣秀吉の朝鮮侵略、壬辰倭乱において、その多くが焼失してしまった事は、誠に残念である。 また、1910年代の日本の朝鮮統治下で、多くの建物が移築、撤去された事も悲しい出来事であり、日本人として、心から韓国人にお詫びしなくてはならない。
国立民族博物館の塔 門の前の番人
国立民族博物館の塔と昌徳宮の前の敦科門の前にいる民族衣装をまとった門番。
(11/22撮影)
国立民族博物館の塔の前は多くの市民の憩いの場になっている。遠くからでも見えるこの国立民族博物館の塔も忘れられないシンボルの一つ。
奥には国立民族博物館の塔がなぜか、日本に対する怒りの如くそびえていたのが印象的であった。その昔、王様の休憩所であった香遠亭をゆっくりと眺めながら、建春門から外に出た。

次は昌徳宮へ行く事にした。なんなくTAXIを捕まえたが例の模範TAXIではなかったが昼間の事だし、近くだから、ガイドの地図で、”ここへやってくれ”と日本語で指差すと”OK”と答えが返ってきた。
ハングルが出来なくても何とかなるものだ。

昌徳宮へ着くとチケット売り場に行って700ウオン(¥70)を払ってチケットを買って門まで行くと、丁度、入場をしているではないか。ついている・・とあわてて、最終列で滑り込みセーフ・・・(入場は時間が決まっているのです)
”しまった”これは韓国語の団体だ。日本語は1時間後だ。仕方が無いので、勝手に歩き出すと、”団体で行動して下さい”と、日本語で注意された。何にも分からない韓国語のガイドさんについてまわった1時間になった。
仁政殿 昌徳宮の紅葉
壮大な2層構造の仁政殿。両側に並んでいるのは、臣下の位を表す杭。(11/22撮影)
昌徳宮の紅葉
この石の庭に位の順に臣下が座り、王が威厳を保って命令したのであろう。
50人くらいの中に日本人らしい人が数人いたが、・・・・。
でも言葉は分からなくてもすばらしい建造物の迫力は理解出来た。ここでも壬辰倭乱においても1910年代の日本の統治下においても、この大事な文化遺跡の多くが焼秩した事は、誠に申し訳ないと日本人なら誰でも思う筈だ。
昌徳宮の紅葉がきれいでした。来週からはスゴク寒くなりますよと言われたが、最後の紅葉か?
その後、昼食を取る事にしたが、手頃なレストランが見つからない。しばらく歩いてみたら、1軒見つかった。しかし日本語はどこにも見つからない。”エーイ、入ってしまえ。結構、韓国人が入って混んでいるから、美味い筈だ” と心を決めて、奥座敷に座った。
店のおばちゃんが”xxxxx”と声を掛けてきたが、全然通じない。こちとら腹減っているので、早く注文したいのだが・・・。
そっこで奥の手として、”るるぶ”を取り出して、その中から韓国料理というページを開いてきれいな写真に向かって、”これ出来るの?これは?”と日本語で質問だ。
こんなやり方でも結構通じるものだ。結局、スープの中に牛肉の薄切りとか麺とかが入っているもの(塩付)とチジミと飯をオーダした。このオーダにサービスとして、キムチ3種類、 まめ、干しえび、海草のあえなどが出てきた。結構何とかなるもので、おいしかった。おばちゃんが食事の途中に特別サービスらしく、ちその葉っぱ(?)の重ねたものを皿に入れてもってきてくれた。 この珍客に食べさせようとの心配りみたいだ。その葉っぱを1枚1枚はがして、飯を包んで食べると、その葉っぱのエキスみたいな物が何ともいえず、おいしかった。とにかく言葉は全く通じなかったけれど、貴重な経験であった。 ビール1本を含め、締めて2人で15000ウオン(\1500)の昼食であった。
その後、宗廟まで歩いて、見学してみた。歴代の王と王妃の位牌の安置所である。ここも壬辰倭乱において焼失し、その後再建された物である。
結構疲れたが、東大門まで歩いてから地下鉄に乗って、さらに南大門に出掛けた後にホテルに戻った。
東大門 南大門
東大門南大門
何と本当に賑やかと言うよりは雑踏の中に東大門が有りました。ゆっくりと見ている人などはいない文化財でした。
南大門はこれまたソウルの代表的な観光SPOTであると共に最古の木造建築物。
夕方、Yさんがホテルまで来てくれた。早速大同生命の有名な63階の高層ビルに向かった。外は昨日と同じように、かなり濃い霧であった。地下鉄で近くまで行ってからTAXIに乗り換えてたどり着いた。最上階までエレベータで登ってみたが お客は殆どいない。当たり前である。外が殆ど見えないのであるが、わずかに見える車のヘッドライトが韓国経済のたくましさを物語っていました。

高層ビルの見学を終わってソウルの中心街へ戻るのであるが、Yさんはバスで行こうと言い出して、我々は大賛成した。
何でも経験だから。しかし、これがまた大失敗で、その乗ったバスは行けども行けども、ソウル市庁には着かなかった、それどころか、だんだん、車の数が少なくなっているし、時間がドンドン過ぎて行く。
Yさんもついにバスの乗客に近くに地下鉄の駅はないかと聞き出した。なんと、地図から見るとソウルの北外れの駅の近くに下りて、地下鉄を乗り継いでソウル市庁に着いたのは、8時になっていた。

その後、貞洞劇場に出掛け韓国の伝統的な演劇を見に行った。本当は観光客用のコリアハウスに行くつもりでしたが、Yさんが苦労して入場券をGETしておいてくれたので、本当にありがたかった。(簡単には手に入らない。・・・ ツアーで行くならば高いお金を出すので手に入るが・・・)すでに演劇が始っていて、我々のブッキングした席に案内嬢が案内してくれた。 台湾に出掛けた時に本物の京劇を見に行って、なんにも分からなくて苦労したが、今回は、演劇を見ているだけで大筋の内容が理解出来るし、結構面白かったし、韓国の心の一部に触れた思いだった。
民族演劇
貞洞劇場に出掛け韓国の伝統的な演劇を見に行った(11/22撮影)
面白い民族演劇を堪能しました。とにかく観衆と俳優が一体になって、すばらしい時間と空間を保っています。本当は撮影禁止なのだそうですが、遅れて行ったので、知らずに撮影してしまった1枚です。他意はありません。撮影してスミマセンでした。
1時間くらいで終わるものと思っていたら、なんと終演は10時を過ぎていた。まだ食事をしていなかった我々は急ぎ、地下鉄に乗り込んで、ホテルの近くで食事とする予定でした。しかし 大失敗で、乗り換えの駅を通過してしまったのだ。
車内でぺちゃぺちゃお喋りをしていた事もあるし、Yさんがいたのでお任せになっていたのも、原因であった。仕方が無いので、次の乗り換えで、別の線に乗り換えて近道をする事にして、乗り換えた。その乗り換えた電車が数駅過ぎた所で ”あれ、おかしいぞ。反対の方向へ乗っちゃった。”仕方が無い事と、腹が減った事で、場末の駅に降り立って、駅前の鶏の専門店にて夕食とした。
鶏のカルビとチジミを食べた。空いた腹に落ち込んで行くカルビが美味かった。
食後、その場末の駅にてYさんと別れた。来た路線の逆をたどれば、ソウルの中心街に戻れるはずだった。そこで発車の電車に飛び乗った。 ”数駅過ぎると、どうも行先が違うみたいだ”と気がついた。よく失敗をする日だなと思いながら、時計を見ると真夜中の12時を過ぎている。
このままでは、どこに行ってしまうのやら分からないので、とりあえず、乗客に次の駅にTAXIはあるかを聞いた。駅前にTAXIがいると言ったので、次の駅で降りた。
真夜中なのに結構、人が多い。どうやら金甫空港に近い所に来てしまったみたい。全く逆だ。TAXI(模範)を拾ってホテルに着いた時には午前1時頃だった。(ちなみにTAXI代は結構走ったのですが、11000ウオン・・¥1100で済みました) TAXIは本当に安くて助かった。

第三日

前日はアクシデントの連続であった。今日は最終日なので、少し余裕を持って行動した。
朝食は昨日とは違うお店に入って、軽く紅茶とパン一切れで、行動開始とした。朝の8時30分にはホテルを出た。帰るばかりに、荷物をまとめて、その荷物をベルキャプテンに預けて、 さあ、スタートだ。
例によって地下鉄を乗り継いで、昨日の市庁の駅にたどり着いた。この駅前にある徳寿宮に入っていった。
徳寿宮の入り口  徳寿宮の中の博物館
徳寿宮の入り口を入った瞬間徳寿宮の中の博物館、これは西洋のかおりのする数少ない建造物(11/23撮影)

ここは王族の私邸として建てられた所で、例の壬辰倭乱の時に王宮が焼失した時に、臨時に王宮として使われた所である。
ここもゆっくりと見ると3時間くらい必要で、思ったよりも見る所があり、来て良かったなと思える所である。

静かな韓国庭園の中にこの様な荘厳な建造物が存在する事に驚きを感じました。
ここを出たのが12時過ぎであった。昼食は近くのレストランで冷麺とカルビを1個ずつ取った。韓国最後の食事を味わって、ロッテデパートへお土産の、キムチと岩海苔を買込んで、ブラブラしながらホテルに帰った。

空港への途中で旅行会社が強制的に土産物屋に立ち寄る。この店が曲者だ。全ての商品に正札がない。強制的に座らされて、キムチの説明と試食をさせられる。そして注文をとる。なんとロッテデパートの約3倍の値付けである。多分その旅行社へのバックマージンが 入っているからとは思うが、やめて欲しいものである。ここで何も買わないで出てきたのは私だけでしたが、相当勇気がいる事である。(買わないでいる時間に店員が来るし、勝手に車に戻れないし、座らされて説明を受けて、試食もさせられても買わないでガンバルのはツライ)
初めての韓国で出来るだけ安く上げたかったので、今回はツアーにしたが、次からは航空券のみ手に入れて、ホテルはネットで取ろう。 それにしても日本の有名な旅行社なのだから気持ち良くリピートしたくなる旅を提供して欲しいものだ。

わずか3日間の旅であったが、暇をみてまた再挑戦をするつもりである。楽しかった!

トップページに戻る