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チェンマイの思い出


2006−3−30日から2泊3日でほぼ同じコースを家族旅行いたしました。そこで写真のみ追加いたします。・・・・・一部は紹介文も掲載します。

2004年1月23日から3日連休になった。

■2004年1月23日(金)
伊豆方面にお出かけの方々の参考になればと思い、旅行記をまとめてみました。
久しぶりの静岡からのドライブは快適で順調であった。沼津ICから沼津市内に入り、いつも立ち寄る沼津港の隣の食堂街に立ち寄った。
ここには多くの海鮮食堂とか寿司屋が並んでいる。ものすごくおいしい食材が格安に提供されるので、伊豆の帰りには立ち寄るドライバーが多い。
私たち夫婦は行きも帰りもここに立ち寄る事が多い。おすすめのレストラン街なのである。目印は沼津港である。この港の東側一帯がレストラン街になっている。 駐車場も多いがなにせ人気が高いので行列が出来る店も多い。私たちはこの日は駿河湾の地魚特製寿司と地魚どんぶりを食べた。

車はその後、沼津の御用邸の前を抜けて、静浦、三津(みと)に駿河湾沿いに走ってみた。
駿河湾は真冬の西風をもろに受けて白波が立っていた。その波間の向うに真っ白な富士山が望めた。
海を手前に見る富士山はこの伊豆の西海岸と三保の松原から見るくらいである。本当にお奨めの景色であります。
是非とも、訪れていただきたいと思います。
沼津港             駿河湾と富士
左の写真は沼津港のレストラン街。右の写真は駿河湾を前に真冬の富士山。(2004-1-23撮影)

車は富士山をじっくり見たあと伊豆長岡の温泉街を抜けながら大仁、さらに修善寺を抜けて伊豆スカイラインの冷川ICを通り過ぎた所を左に曲がって 大室山の麓に出てきました。
大室山は全山枯れススキで綺麗でした。この山も3月下旬には野焼きで火が放たれます。 その大室山の麓をすり抜けて国道135号線に出て伊豆高原に着きました。
今夜はこの伊豆高原の会社の保養所(ホテルみたいなものです)に1泊です。
このホテルには何度も着ていますが、行くたびに立ち寄るのが城ケ崎のつり橋であります。
ここは東伊豆の代表的な観光SPOTであります。この写真のアングルが絵葉書になったり、絵画になっています。
でもこの写真を撮る場所には通常行きません。(如何ですか?この城ケ崎を訪れた方はこの景色を見たことがありますか?)
理由は簡単でして、ここは少しあぶない危険箇所ですので、観光客が立ち入らないようにしてあるのです。 でも、ここは駐車場の海側の土手を私の背の高さ程度駆け上がると見る事が出来ますので、訪れた方は是非探してみてください。
城ケ崎      城ケ崎
左の写真は最も代表的なアングル。ここから見るつり橋は最高です。でもここを見させてくれる案内看板はありませんので ご自分で探してください。駐車場の直ぐに海側なのです。(2004-1-23撮影)
右の写真はこのつり橋を渡っている観光客です。かなり揺れますが丈夫なワイヤー数本で吊られているので 問題はありません。伊豆に来たならば必ずんここを渡って、相模灘・・太平洋の偉大さと波の砕け散る様を眺めてください(2004-1-23撮影)

2006-3月30日のつり橋です。ここは何時来ても感激です。今回は家族と同行しましたが、私の案内で効率の良い観光が出来ました。(三菱電機保養施設の五景館からから車で10分、歩くと35分くらいかな?)お勧めのSPOTであります。

このつり橋を見学した後、5分ほどで、ホテルに着いた。早速、豪華な風呂で汗を流し、夕食にした。
夕食には地元の高足かにの炭火焼を添えていただいた。おいしかった。そして二人でカラオケを思い切って歌いあって久しぶりにストレスを発散した。
伊豆高原の夜風は冷たいながら気持ちよく、部屋の窓を少し開けて、その心地よさを味わい、世間話をしながら床についた

■1月24日(土)
ゆっくりと朝食を取った後は、東伊豆海岸を散策する事にした。
まず訪れたのは伊豆高原の桜並木を登っていったところにある万華鏡のお店でした。世界中の万華鏡が一堂に展示されています。無料なのです。
結構、面白いし、こんな世界があったのか?と思わせる万華鏡の世界であった、そのお庭には野生のリスが来ていて遊んでいた。 ここは伊豆高原の中でも、お奨めです。なお、毎年3月下旬から4月の中旬まで、ここの吉野桜は本当に綺麗です。 こんなに綺麗な桜並木がふるさと静岡に存在する事を誇りに思う。また是非ともこの美しさを後世に残して欲しいと思います。
万華鏡               万華鏡
万華鏡を見せてくれるお店の庭に戯れるリス(2004-1-24撮影)
右の写真は万華鏡のかずかず、ここに映っている器具類のめがねをのぞくと万華鏡の世界が繰り広げられています。(2004-1-24撮影)

車はそれから東伊豆町に向った。そして稲取の温泉街に入っていった。この稲取はいつも通り抜けてしまう町なのです。しかしながら今回は 立ち寄ってみた。それには2つの理由であった。一つは今、流行のつるし雛である。今ひとつは江戸城の石垣がここ伊豆石で出来ていて、船に 積み込まれたのがこの稲取の港であったので、その名残を見たかったのである。
前者は写真にある通りかわいいお雛様の周りにつるす地元の人達の素朴な願いがつるし雛となった脈々と息づいていました。たまたま町興しで 稲取吊るし雛祭りとして長い間、街としてのイベントを挙行していました。
私にとっては後者の江戸城の石垣の石の方がより興味をひきつけられました。皆様も是非、この石(現地では畳石と言っています)をご覧いただきたいと思います。
むかい庵              ロイヤルチェンマイゴルフクラブ
左はむかい庵という庵です。稲取の港のほとりに建っています。この中に多くの吊るし雛が飾ってありました。 たまたま吊るし雛祭りだったからでしょう。中に入ると右側の写真のように綺麗なお雛さまのオンパレードでしたよ(2004-1-24撮影)

2006年3月30日の好天に恵まれた日、この日で吊るし雛まつりは終わりでした。今回は長男夫婦と孫の智彩とカミさんの5人で出かけました。

ここ稲取は静かな漁村と温泉街です。いつもは通り過ぎるのですが、国道から温泉の方向に曲がってみましたら、長い事捜し求めていた、江戸城の石垣に 出逢う事が出来ました。
畳石            畳石
左の写真はむかい庵の手前300メートルくらいのきんつばやさんの前にある畳石です。左右一個ずつおいてありました。 右は国道沿いにある畳石ですので、車の中からも確認できます。但しあっと言う間に通り過ぎてしまうかも知れませんね。あまり宣伝をしていないので・・・(2004-1-24撮影)
2006年3月31日には稲取の風力発電所を見学しました。伊豆に来たらこの発電所がお奨めのSPOTです。馬瀬ならばこんなにすばらしいパノラマはここしか見ることが出来ません。稲取高校の横をすり抜け、ミカンワインの工場を過ぎて車で10分も走ればこの発電所に到着です。
 
本当に別世界に飛び込んだような迫力がある風力発電所です。稲取にあります。頂上は360度のパノラマです。

  
北の方向は伊東城ヶ崎とか大室山が手に取るようで、伊豆七島もこの日ははっきりと見えました。相模灘はあくまでも青く、空気も大変おいしく感じました。いずれも20006年3月31日に撮影しました。多くの観光客をここに導けばよいと思いますが・・・・なにも案内図もありませんし、施設もありませんが、すばらしいところであります。


いよいよあの有名な下田港の散策であります。
白浜の海岸を過ぎて下田の港に入る国道が須崎の御用邸の方向に左に曲がる道路に差し掛かります。その道路を約200メートルくらい行くと玉泉寺があります。
この玉泉寺は、あの有名なペリーが米国の総領事として活用した所として有名であります。
東京サミットの開催された時に時の米国大統領のカーターがここを訪れてその足跡を残しています。
また時の米国の駐在員5名の墓が下田港を見下ろす丘に建っていました。異国の地で果てた思いはいかばかりであったのでしょうか?
日米のお付き合いがここ下田で始まった事をしみじみ思いますし、あの有名な唐人お吉が通ったのもこの玉泉寺でありました。

玉泉寺              玉泉寺
玉泉寺の境内にある日米の記念碑です。ここが米国の領事館であったと記されています。 右の石碑はこの下田で亡くなった米国人のお墓でした。下田の港を見下ろして遠く米国を思い出しているのでしょうね。(2004-1-24撮影)

この後、この道を海の方に向うとその突き当りが爪木崎である。たまたまここで水仙祭りが行われていたので立ち寄った。
われわれ夫婦が今から40年くらい前に静岡からここにやって来た思い出の地でもあります。あの頃は水仙祭りは無かったけれども、野水仙は崖のあちこちに咲いて いた。
皆様もここに足を伸ばして太平洋のすばらしい景観を味わってください。
爪木崎                爪木崎
爪木崎の水仙祭り。いつも12月から2月上旬まで水仙が咲き誇ります(2004-1-24撮影)
爪木崎は、風も強いですが、お奨めの観光SPOTです。直ぐ近くに須崎の御用邸がございます。皇族の方も。比較的頻繁に訪れています。
爪木崎              爪木崎
爪木崎から稲取の方向を眺める。右は水仙(2004-1-24撮影)

爪木崎を見た後で下田港の方向に戻るのであるが玉泉寺のすぐ隣に吉田松陰の銅像がある。彼はこの公園のまん前の小さな島(弁天島)に身を隠して夜陰にまぎれて 米国へ密航を企てたのでした。
道の直ぐ隣にありますので幕末の一大事件がここで決行されたのだと実感し是非ともこの銅像もご覧いただきたいと思います。

吉田松陰           チェンマイ グリーンバレー カンホテルの朝
左は吉田松陰象。(2004-1-24撮影)右はホテルお庭に降りて太平洋から登る朝日に向かって逆光で撮影してみた(2004-1-25撮影)

車はいよいよ下田港に入ってまいりました。
今日はのんびりと過ごそうと早めのチェックインといたしました。
下田東急ホテルのオーシャンビューの部屋に入り、ゆっくりと温泉につかりました。

■1月25日(日)
サンライズ             エリカ
左はホテルの部屋から見た朝日、まさにサンライズを寝たままで見ることが出来た贅沢でした。 右はエリカの花。名前はしられていますが花は知られていませんね。色々な種類がありますので、これだけではありません。(2004-1-25撮影)

下田散策には本当にお奨めがございます。それは下田観光協会が実施しているボランティアによる歴史コースのご案内(無料)があるのです。 通常、下田駅前の下田観光協会の事務所の前に午前10時に集合します。そして適当な数人のグループで、下田市内の歴史的な見どころを案内してくれるのです。 もちろん徒歩での散策で約2時間掛かります。そのつもりで、歩きやすい靴と服装でご参加ください。
伊東の伊豆高原から電車で下田まで移動して午前10時に間に合えばよいのです。もちろん下田に前泊される事が最も良いのですが・・・。 コースは観光協会を出て稲田寺(トウデンジ)→海善寺→お吉の墓→泰平寺→吉田松陰→了仙寺→ペリーロード→開国記念公園→下田公園→ペリー上陸地→お吉の安直楼→なまこ壁→観光協会。

まずは歩き始めて数分で伊豆の踊り子の宿がある。あの川端康成の作品の踊り子が泊まった宿である。その宿の前にあるのが稲田寺(トウデンジ)である。 幕末開国の悲劇のヒロイン”唐人お吉”の夫となった鶴松が葬られている寺である。その隣にあるのが海善寺というお寺です。ここは格式が高い徳川ゆかりのお寺だそうですが、 残念ながら心無い人の放火で、現在は近代的な建物になっています。山門だけは当時の面影をしのび業火であります。
次に200メートル程歩くと宝福寺に着く。この宝福寺は48歳の不幸な一生を終えたお吉の墓所である。彼女の墓には香華が絶えません。遺品や資料が展示されていました。

吉田松陰            大安寺
左は吉田松陰拘禁の地であります。右は”乳峰山 大安時”(2004-1-25撮影)

その隣には”おっぱいの谷間”みたいな山があります。その山の麓に”乳峰山 大安時”という建物があります。
その隣のお寺が泰平寺であります。この”乳峰山 大安時”は初代下田領主”戸田忠次”のお墓があるところであります。このお寺の入り口の右側に大王松が見事にそびえていました。 これは見ものですよ。
大王松             宝福寺
左は立派な大王松です。泰平寺の入り口にあります。右はお吉の墓で有名な宝福寺(2004-1-25撮影)

そしてこのお寺の前にあの吉田松陰が、泊まっていた宿”下田や”さんがありました。観光客の人気もあるのだそうです。
さらに少し歩くと、伊豆の踊り子に出てくる”たるや”さんがあります。いずれも近代的な建物になってしまっていますが、歴史を感じるには十分な雰囲気が味わえます。
たるや          下田港
左はたるやさん(角から二軒目です)の全景。右は下田公園の上から見る下田港(2004-1-25撮影)

このたるやさんのある角を曲がって少し歩くと吉田松陰拘禁の跡があります。吉田松陰は金子という弟子と共に下田港に停泊していた米艦に密航を企てましたが、 拒否され失敗しました。自首してここに拘禁されました。
いままで歩いてきたのがマイマイ通りであります。マイマイはカタツムリのことなのだそうです。ここが観光のメイン通りですが、このマイマイ通りの突き当りが 有名な了仙寺であります。このお寺には屋根の下に大きなキズがところどころに見受けられますが、つなみの時に 押し寄せてきた船のへさきがぶつかった跡なのだそうです。
了仙寺            了仙寺
了仙寺です。右の写真は条約の調印式の様子を撮影したもので了仙寺の廊下の上に飾ってあります。(2004-1-25撮影)


この了仙寺は1854年5月日米附録下田条約13ヶ条が締結されたところであります。黒船に関する絵画資料では日本有数の宝物館を有しています。
この隣にあるのは長楽寺です。ここは日露の9ヶ条条約を締結されたところとして知られています。1854年12月の事ですが、この年に日米、日露の 条約が隣り合ったお寺でそれぞれ結ばれた事もここに着て初めて知りました。

ペリーロード           長楽寺
左はペリーロードで観光客の人気コースです。了仙寺 の山門からこの小さな川沿いにペリーの上陸地点の船着場まで続いています。まさに下田らしい所ですので是非ここを歩きながら風情を味わってください。右は長楽寺(2004-1-25撮影)


この長楽寺を出て、当日はお吉踊りと言うものを見せていただきました。無料で見せていただきましたが下田市も観光客に特別の配慮をしているものと思われます。
そしてペリーロードを歩きながらそのまま下田公園に向いました。
下田港           安直楼
下田港と安直楼(2004-1-25撮影)

下田公園は港の西にある小高い丘にありますので、ここから見る下田港は本当に綺麗です。真正面に下田富士と寝姿山をみながら下田の街を一望できます。 その下田公園への上り口の途中に下岡蓮杖の碑があります。我が国の営業写真の開祖になった下岡蓮杖は下田の生まれでありました。
そしてゆっくりと下田公園を堪能し、黒船祭りの行われるときの会場を見ながら公園から港に下りてくると、そこにペリーの上陸碑があります。日本最初の 開港となった下田に艦隊を率いて来たペリーはここから上陸したのでありました。そして先ほど見てきた了仙寺に向いました。
このペリー上陸碑のあるところから街中方向に約200メートルくらい歩くと安直楼があります。この安直楼は唐人お吉が晩年に開業した小料理屋であります。ここには当時の 様子をそのまま残した客室などがあります。その後お吉は明治23年3月に下田市中心から少し北に行った稲生沢川角栗(いのうざわかわかどくり)の渕で、そのはかない一生を閉じたのであります。

この安直楼を見た後は下田の観光協会めがけて帰ってくるのですが、この教会から程近い街の一般住宅になまこ壁が幾つかありますので、その家屋を見せていただきながら散策は終わります。
本当に2時間くらいの散策なのですが、勉強にもなりますが、2時間くらいの散歩を兼ねて、本当にお奨めの観光コースであります。

ここで昼食に街の食堂を選んだ。地魚(金目鯛)の煮付けとお寿司である。
ペリー          なまこ壁
左はペリー上陸の記念像。右は下田名物のうろこ壁(2004-1-25撮影)

下田を離れ、静岡に帰る方法は3つあります。東海岸を北上し伊東、熱海を経て十国峠を経由して、三島、沼津から帰る方法と、下田から河津にて、伊豆半島のど真ん中を縦断する天城峠を 超えて帰ってくる方法、そして石廊崎から中木、雲見、松崎、土肥など西海岸をそのまま北上して沼津に戻る方法である。
今回は西海岸を選んだ。この3つのコースの中では最も距離は長い。しかし良い点は景色が綺麗である事と、比較的すいている事である。
まずは石廊崎から中木に抜けた。この奥石廊の景観は伊豆の海岸の中でも最も美しい海岸の一つである。いくら見ていても飽きないくらいの美しさとダイナミックな変化がある。 日の光、雲の流れ、海の色、一つ一つが芸術である。この中木には高校生の時代(もう今から40数年前)の夏休みには欠かさず来たものだ。綺麗な海に潜っては魚を突いたり、貝を摂ったりした。
西伊豆海岸          奥石廊崎
左の写真は小浦を過ぎたあたりの展望台から石廊崎の方向を見る。 まさに伊豆半島の先端であります。右は中木の部落の上から波勝岬の方向を見る。私はここの景色が大好きで伊豆に来ると必ずここでゆっくりと景色を眺めます。 若い時代にこの青い海を中木の部落(右手前の山の向こう側にあります)からこの写真のさらに左に島があるのですが、そこまで泳いで遊んだ思い出があります。(2004-1-25撮影)

西海岸を中心にした旅行記は
伊豆をご覧ください。

その後、雲見温泉、松崎、土肥と順調にドライブし左に駿河湾の雄大な姿を見ながらまた正面には霊峰富士の頂を眺めながらドライブしてみた。 恋人岬で休憩を取りながら、戸田(へだと読む)から大瀬(おせと読む)を経て沼津の港について、行きに立ち寄ったレストランでまた駿河湾の海の幸を口に入れてから静岡に着いたのは午後7時であった。


  
2006年の3月29日に通過した天城越えの時に必ず通る、河津のループ橋であります。標高差を一挙に稼ぎます(落下します)。名物の橋であります。右は城ヶ崎へ行く道に咲いていた菜の花です。この道の近くに桜並木もあります。

  
この写真は伊豆高原の駅から大室山に向かっている桜並木なのです。2006年3月31日に撮影しましたが、まさに満開でした。この季節に伊豆に行かれることをお奨めいたします。本当にきれいでした。


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