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アメリカ西海岸の気ままなドライブ


 1999年の夏休みにアメリカの西海岸をドライブしました。。
その時の思い出をたどりながら2001年7月に以下を書き上げました。

アメリカ西海岸の旅
楽しかったアメリカの旅のヒトコマをまとめてみました。

夏休みの初日、さっそうと成田空港に着いた。しばらくは日本食とはオサラバなので、蕎麦を食べてみた。そして入国手続きをしようとしていたら、なんと空港のアナウンスが”TAC”を呼んでいた。”静岡市のTACさま、いらっしゃいましたら御近くのスタッフに、お問合わせください”何事かと一瞬、アメリカには行けない出来事が我家に起こったのかなと脳裏をかすめた。(この頃は携帯電話を持っていなかった)スタッフに取り次ぎを頼んで、電話口に出ると、末の息子からの電話でした。”父さんか、今、アメリカのピットから電話があり、ロスアンゼンルスへ向かっている、フリーウエーで、エンジンンが壊れたので、迎えに行けない。故に、ロスの空港を1人で出て、予約済みのホテルに先に行っててくれ。”との事であった。とりあえず安心した。アメリカへ行けるからだ。でも空港に迎えに来る筈のピットが来れないとなると、1人で、まだ知らないホテルへ行かねばならないかと思うと、少し不安になったが、まあ、何とかなるさ、と心を決めた。なんだか、今回の旅行を予感させる、不吉な予感が・・・。 でも、そのまま飛行機に乗り込み、ぐっすりと寝た。 そして、何度目かのアメリカとしてロスアンゼルスのあの大きなブラッドレー空港に着いた。たった一人の旅なので、気楽に入国手続きをして、自然体で到着ロビーに降り立った。さて、ホテルまでは自力で行かなくてはならない。そこで下手な英語で空港職員にホテルへの行き方を聞き出した。そしたら、なんと専用のバスが循環しているとの事なので、安心した。友人への土産物とか今回の旅行の為にいつもよりは大きめな荷物を引き摺りながら、なんとかそのバスに乗り、無事にホテルへ到着。チェックイン(これが面倒である。ピットがいれば楽出来たのに・・)し、予約済みの部屋に入った。がらんとした部屋に1人で、ぽかんとしてみたが、様にならない。荷物はこのまま車につみたいので、荷ほどきはしない、シャワーを浴びて、その後、ロビーの横にあるレストランへ行ってみた。おいしそうなものは無い。冷たいビールを1本飲んでみた。おいしかった。2本目を注文した時に、ピットが”やあ、御待たせ。今回はすっかりまいっちゃったよ”と元気な声で入ってきた。安心した。車は直っていたが、ロスへの到着は12時間以上遅れてしまったらしい。”他の人なら本当に困ったけど、TACならホテルまでたどり着けると思って日本に電話したよ”と気楽に言って、ビールを飲み干した。
ロスアンゼルスとサンタモニカ
第1日はサンタモニカへ。


アクシデントのあった訪米第1日の夜はぐっすりと寝た。
翌朝、ピットと朝食を食べながら、いよいよ、行き当たりばったりの旅が始る感動を語り合った。
簡単なモーニングセットで腹を一杯にした俺達は、荷物を車に積んで、いざ出発だ。 まずは手始めにサンタモニカの海岸に直行だ。ホテルから1時間くらいのドライブは快適である。 こんなに調子の良い車が昨夜はエンジン故障とは?考えられないくらいだ。
まだ朝9時だというのにカルフォルニアの空はどこまでも青く、めちゃくちゃ暑い夏の日となった。
サンタモニカに到着すると、さっそく、海岸に降りてみた。駐車場にも朝早いせいか、スーと入れた。 砂浜が柔らかく、この海の向こうに日本があるんだなあ、と感じながら、さらに地球の丸い事が実感できる水平線が、目の前にまっすぐに飛込んでくる。
”TAC、さっそくローラーブレードでもやろうか”とピットが声を掛けてくる。よーし。まずはアメリカらしい遊びからだな。 とローラブレードで楽しむ事30分。Tシャツに短パンでまずはローカルの中に溶け込んだカリキュラムであった。
昼近くまで、サンタモニカにてぶらついて、例によって近くのハンバーガーショップでと思ったが、 あまり好きでは無い。近くにJTBの事務所がある。その事務所の近くまで車を飛ばし、おいしいサラダバー にて昼食をとった。そのレストラン街を突き抜けると、サンタモニカらしいショッピングストリートがある。
歩道には適当に椅子とか机が並べてあり、ワゴンセールが所々並んでいて、気ままに好きなものが買えるし、 好きなものをオーダして飲み食いも自由である。気楽な服装で、思ったまま行動できるアメリカは好きだ。
午後はフリーウエーを大きく回ってリトル東京に行ってみた。何時来ても相変わらずの日本語天国である。 最初にここに来た時など、アメリカにいる事を忘れた程であった。
とりあえず、松坂屋で御みやげの価格の下調べに時間を費やした。 ”G-SHOCK、コーチのカバン等の価格を確認、でも絶対に買わない。(数日後に訪れるプレミアムアウトレットの為である)店員は日本人であるので、会話は弾む。
そして、ハードロックのTシャツを買いにハードロックへ出かけた。車で30分くらいかな?(ピットがウオールマートで買った5$の全米の地図が役に立つ、何でも載っている。この旅行中本当にお世話になった地図である)ハードロックに入って、しばらく気分を味わって、ビールを1杯飲んでTシャツを買込んで、次のチャイニーズシアターへと車をまわした。ロスは楽しい。
ビバリーヒルズ
豪邸見物。

行き当たりばったりの旅とはいえ、今夜の宿泊先が決まらないのはチョットさみしい。 そこで、ピットが持っているモーテルの全国ガイドからロス近郊のモーテルを引っ張り出した。
モーテルと聞くと日本ではラブホテルを想像するが、アメリカではこれが一般的なホテルなのだ。 車社会が発達しているので、この様なホテルが人気がある。部屋には台所が付いているし、簡単な料理ならば出来る。 シャワーも完備しているし、ベッドもふかふかですよ。それで全てルームチャージ制であるので、 助かる。1泊、25から30$位かな。この近くのホテルはたまたまハリウッドにある。
そこに電話をした。運良く部屋が空いていた。すぐに予約をして、チェックインをする為にホテルへ 向かった。例のウオールマートで買った地図を開いて住所からホテルを見つけ出す。 そこに行くには、どの道を行くのが良いかを決めてから、ハンドルを握る。 そのホテルにも難なく到着し安心だ。
(例のハリウッドという看板が山の中腹にあるがその看板の真ん前の道を下った所であった) チェックインして、シャワーを浴びてから、夜、あの”理由無き反抗”の部隊になった有名な天文台に行く事にした。
ロスの夜景が奇麗な筈だし、あのジェームスディーンに会えるような気がしてわくわくした。 まだ小学生であったTACはあの映画を見た時にアメリカという国に何か不思議な魅力を感じたものだ。 車を家族皆それぞれがもっている世界が・・・。
夕方ホテルを出て途中、暗くなるまでビバリーヒルズに車を進めて、豪邸をくまなく見てまわった。 凄い家ばかりであるが、本来は玄関から家が見えない家が本当のビバリーヒルズの家なのだそうです。 そのくらい広い敷地と大きな庭が特徴なのです。それこそヒルの下から頂上に向けて車を走らせ、 頂上からまた別の道をゆっくりと下りながら、気に入った家があると降りて、ゆっくりと歩いてみた。 これがアメリカンドリームを成し遂げた人達の住家なのだと心に言い聞かせながらゆっくりと歩いてみた。 犬を連れたご婦人が”ハーイ”と声を掛けて来た。こちらも気楽に”ハーイ”である。眼下にはビバリーヒルズ のショッピング街がちらほらネオンがつき始めた。
きれいだ。この場所が世界一の金持ちの住む所なのだと実感しながら、車がそのショッピング街のブランド の店ばかり並んでいる所を突き抜けて、一路、天文台に向かった。
地図を頼りに、暗い道を信じて山へ山へと向かった。気ままな旅である。
天文台
”理由無き反抗”の世界へ。

かなりな急坂をピットの車は快調に登っていく。暗い並木道だ。何もガイドみたいなものはないが、後は勘である。
しばらく登っていくと、間違いないと思われる道にでた。そして駐車場に着いた。 なんと満車である。”ピット、これでは駐車ができないなあ”と声を掛けると、”仕方がないので、 少し戻ってスペースを見つけよう”と言うピット。かといってすんなりUターン出来そうも無いので、 そのまま前の車についていって奥の方へ車を進めた。もう目の前に天文台が見える。
のろのろ運転していたら、なんとラッキー、もっとも天文台に近くて最高の駐車場のスペースから1台の 車が出たではないか。なんなくそこへ駐車させて、ゆっくりと見物が出来た。
そうだ、この広場でジェームスディーンがカーチェイスをしたんだ、あの生け垣の向こうで友人を助け ようと潜んでいたっけ、と”理由無き反抗”の画面を思い出していた。
HISのバスが到着し、日本人の団体客が乗り込んで来た。みなTACと同じ思い出があるのであろう、 感激していた。天文台から見るロスの夜景はまさに百万ドルであった。
何時までもそのきらびやかな光の芸術を見ていても飽きなかった。どうせ時間はたっぷりとあるので、 ゆっくりと外壁に沿って見学していった。
あの小学生の頃、映画を見て感激した、その場所に今、たってみて何か夢のようであった。 きらびやかなロスの夜景を静かに見納めて、駐車場から出る時に、年配のご婦人と若い男性のカップルに、 この駐車場から出るのならば使っていいのか?とネイテイブな英語で質問を受けた。 すかさずピットが対応してくれたが、同じように駐車場に困っていたらしい。駐車場を空けてあげたら、 大層、感謝された。
帰りの道は適当に下りてきてホテルのあるハリウッドへ比較的楽にたどり着いた。 明日はユニバーサルスタジオでも行って見ようかな?それとももう何度も行っているユニバーサルスタジオ はやめて、ドライブにしようかな?その夜はピットと深夜まで、世間話をしながら、熟睡した。2日目の夜であった。
車中泊:野宿
気ままな旅の欠点が出た。

抜けるような青空、まさにカリフォルニアブルー!こんなに良い日なので、いままで行ったことのある、 ユニバーサルスタジオとかUCLAとかチャイニーズシアターなどは今回はやめて、 郊外のアメリカらしさを味わおうと、意気投合したTACとピットは、ハリウッドのホテルから、 車を北に向けた。
気ままなドライブとしゃれて,このままサンフランシスコまで行く事にした。まずは海岸線を北上だ。
サンタバーバラに向う途中に幾つかのゴルフ場が有った。こんな所でゴルフをしてみたいな。 そう思いながら、車を飛ばす。左側は太平洋、右側は山、また山。きれいなゴルフ場はこの次に御預けして 、快適なドライブでアメリカを満喫した。途中、ショッピングモールがあったので、少し立ち寄ってみた。
倉庫型のスーパーマーケットには必要なものは何でも揃っている。大きな駐車場とだだっ広い店舗は、 買物をするのには誠に便利である。ここで、昼食をとった。コカコーラは何杯でもお換わり自由、 ハンバーグをぱくつきながら、これがアメリカだなと感じた。とにかくこのショッピングモールを見つける 事が生活の必要条件である.
日本の個人商店などは全く無い。あんなに大きな国なのにこのモールの数が少ないように思えるのは TACだけでしょうか?昼食も終わったので、また車を飛ばして、サンタマリアの街を過ぎた頃、 今夜の宿はどこにしようかとピットが言うので、”どこでも良いですよ”と答えると、 例のモーテルの本から幾つかの近くのホテルをピックアップして、印をつけてみた。
もうすぐ夕暮れになるので、予約でもするかと思い、ホテルのある地域に車を向けた。 きれいなネオンにホテルの表示がくっきりと浮かぶ。玄関で車を下りて、部屋が空いているかと訪ねると、 あいにく、満室とのことであった。仕方が無いので、次のホテルへと車を飛ばして、また掛け合った。 同じ答えであった。
あれ!おかしいな、そうだ明日はアメリカの祝日だ。故にどこのモーテルも満室なのだ。 行き当たりばったりの欠点が出てしまった。仕方が無いので車の中で野宿とすることに心を決めた。
もっとも寝る前においしいイタリア料理のレストランを見つけて腹ごしらえをした。ワインを飲みながら スパゲッティーの特製を平らげて、そのレストランの駐車場の最も遠い所に車を停めて、二人で寝ること にした.
昼はうだるような暑さなのに、夜は結構冷える。トランクから寝袋を引っ張り出して、 その中に潜り込んでリクライニングシートを目一杯倒して、寝てみた。外はきれいな星空だ。 きれいだ。でもたちの悪いやつに襲われたら命が無いかもしれないなと思いながらも疲れの為か、 すぐに寝る事が出来た。
ペブルビーチ
アメリカ西海岸の有名なゴルフ場。

1999年の8月中旬の朝を迎えた。幸い、駐車場に野宿したのに、悪漢に襲われる事も無く、さわやかな朝に、 すっきりとした気分で目覚めた。まだ薄暗かったが、何もする事が無いので、車の中を簡単に片付けて出発した。
フリーウエイではないので距離は稼げない。しかし北に伸びる道路は限りなく続く。 朝も明けたが、まだ早い時間にあるショッピングモールについた。
森の中の妖精がそのまま出てきそうなロマンチックなお店が何と数10軒が並んでいる。 駐車場もかなり広い。お客はまだ誰もいない。こんなところで買物をするのは楽しいだろうな。 カミサンが居たら本当に喜びそうな所だ。お店が1軒1軒独立していて、店毎に個性がある。 店作りも商品の並べ方もそれぞれ面白い。
早朝の為、店の中に入れないのが残念であったが、その中にコーヒーショップはOPENしていたので、 熱いコーヒーとサンドイッチをオーダーした。おいしかった。
ゆっくりと時の経つのを味わいながら、そろそろ次へ移動しようかとピットが言うので、 なごりを惜しみつつ、今度またこの落ち着いたモールへきっと来る事を決意して、車を走らせた。
少し走るとあの有名なペブルビーチのゴルフ場に着いた。全米オープンが翌年開催予定のコースである。
ペブルビーチ
ペブルビーチ(1999ー8月撮影)

(2000年の記念大会にはあのタイガーウッズが優勝した)車を停めて、クラブハウスに入ると、 特に緊張感があるわけでもなく、普通のハウスであった。記念にセータを買った。
昨夜の野宿が身に染みたからかな?コースに出てみた。素晴らしい芝と、海とのコントラストは見てい るだけでも凄い感動を覚える。来年にはこのコースで世界の精鋭が戦うと思うと、そのような場所に立って いる事が何か不思議に思えてきた。
ここはチョットした半島なのである。この半島を1周ドライブが出来る。このドライブのコース沿いに ゴルフコースが幾つかあって、それがまた素晴らしい景観を呼んでいる。ゆっくりとドライブをしてみた。
ハンドルを切る度に飛込んでくる景観はまさにアメリカ西海岸の代表的なロケーションである。 珍しくこのドライブコースは有料であった。昨夜の事があるので、この日は早めにモーテルを確保して、 ゆっくりとベッドに寝た。この時に身分証明所の提示を求められて、写真付きでないといけないと言われて 、たまたま持っていた写真付きのVISAカードがものを言って難なく泊る事ができた。
サンフランシスコ
感激のシスコへの訪問。

このモーテルは設備が良い。ベッドは勿論シャワーが新しい。それに向えがガソリンスタンドだ。 このガソリンスタンドで例のVISAカードで満タンにして出発だ。 (操作は簡単で、このカードを機械に入れて、満タンになるまで注油するだけだ。念のため、 どれだけ入ったかを確認し、その伝票を必ず保管しておく。時には二重請求などもあるので)
しばらく行くと風車のお化けが乱立している丘に出た。なんと風力発電である。アメリカは大きいな。 この様な光景は日本では見かけない。いつか日本も真似をするであろう。
ピットの車は先日のエンジンの故障もあるので、エアコンは時々OFFしながらのドライブになった。 外は暑い。天気も申し分ない。 そしてシリコンバレーへと入っていった。もう少しでサンフランシスコだ。
わくわくしてきた。フリーウエーをひた走りながら、目的地に近くなるにつれて、気持ちの高ぶりが 自分でも大きく感じた。尾根沿いに走っているフリーウエーが一気に海に下りてくると、眼下にシスコの 全景が現れた。これがシスコか!どこのインターで下りようか迷ったが、初めてのシスコだからダウンタウン のど真ん中に下りることにして、車を進めた。
感激だ!一般道に下りてきた。なんと店には丈夫なシャッターが付いている。パーキングメータは根本 から折れている。まともなものは1本も見当たらない。これは治安の悪い都市であるとの第一印象だ。
とりあえず、今夜の宿を見つけようとあらかじめ、狙いを付けたホームステイの住所に車を向けた。 比較的簡単に見つける事が出来たが、情報が古くて今では違う人が住んでいるみたいで、諦めた。そして また例のモーテル探しであった。ゴールデンゲートの近くのロード沿いのモーテルを見つけ2泊の交渉を したら、気持ち良くOKとの答えが帰ってきた。
ゆっくりとシャワーを浴びてから、夕食を食べに、チャイナタウンまで足を伸ばした。 左手にゴールデンゲートを見ながらのドライブを楽しみながらチャイナタウンへ到着だ。 今夜は中華で一杯だ!

チャイナタウンは混み合っていた。とりあえず適当な所に駐車場を見つけ、ピットと二人で 2ブロックほど歩いてみた。歌の文句には知っている”サンフランシスコのチャイナタウン” は夜霧には濡れていなかったけれども、その活動的な息吹は感じられた。
とにかく凄い人込みであるし、どこの店がおいしいのか分からないので、適当な店に入り、コースを頼 んだ。特においしいわけではないが、勿論まずくはない。どやどやとした落ち着きの無さも中華街らしい。
横浜の中華街の3倍くらいの規模はあると思われた。近くを散歩してみたが、中国人の生活力を あらためて、感じながら土産物屋を冷やかした。腹一杯にしたあと、夕暮れが迫る中、山の手の中心にある ツインピークに車を進めた。
途中の登り口が分かり難かったが、頂上に着いてみると、きれいな夜景は世界3大美港 ・・3S(シドニー、シンガポールとシスコ)の中でも最も美しいなと感じた。
このツインピークからの眺めはまさに百万ドルの夜景であった。函館とか神戸とかあのロスの天文台か らの眺めなどは足元にも及ばない美しさである。ちりばめられた光の筋があのフィッシャーマンズワーフに 向かって延びている。
ここへ来て良かったと感じた。そして例のゴールデンゲートが光っている。まさにアメリカそのものだ。 ゆっくりと見てまわって今宵の宿までドライブだ。気ままな旅の真骨頂である。
ホテルに着いて、ピットとゆっくりシスコの印象を語り合った。
シスコの素晴らしさ
気ままな旅の長所。

ピットとの二人の気ままな旅も、最高潮に達した。朝、起きたら快晴である。まず、ゴールデンゲートの 真下まで行って、その偉大な大きさをあらためて感じると共に、時間の許す限りじっくりと見ていた。
近くにはこの橋を構成するロープの実物が展示されていて、その大きさを手に触って感じる事もできる。
時間があるので、少し橋の端を歩いてみた。凄い迫力である。こんな大きなものをすでに50年以上も 前に作る技術と経済力を持っているアメリカという国を相手に戦争をした日本は勝つわけが無いと感じた。
ゴールデンブリッジ
朝方のゴールデンブリッジ。(1999ー8月撮影)ここから見ているとアメリカの偉大さを感じる。

この道があのカナダ国境の街シアトルに続いているのである。海岸沿いにダウンタウンの方向にドライブ すると、大きな石碑に日本語が飛込んで来た。
例のかんりん丸の寄港地記念碑であった。あの江戸幕府末期に勝海舟はここに来て何を感じたので あろう。凄いカルチュアーショックを受けたに違いない。今でも相当ショックを感じるのでありますから・ ・・。その記念碑の近くはお年寄りが楽しくゴルフに興じていました。
こんなにダウンタウンに近いところでゴルフが楽しめるなんて、本当にアメリカは違う。
昼にはフィッシャーマンズワーフで食事を取った。蟹とかえびとか海鮮料理をたらふく食べた。 そしてその周りをゆっくりと散歩した。ヨットハーバがさりげなくあり、マリンスポーツを楽しむ国民を見 ると、その日本との富の差が大きく、まだ足元にも及ばないと感じるのはTACだけではない筈だ。 観光で有名な例の市内電車もこのフィッシャーマンズワーフが終点で、その電車の方向転換を見る事が 出来る。ゆっくりとみてまわりながら。電車が山の手に登って行くのを車で追いかけながら、本当に美しい 街シスコを堪能した。
振り返ればまっすぐに延びた道の向こうにフィッシャーマンズワーフが見え、その向こうの海に浮かぶ のが監獄島、まさによく絵葉書とか観光ポスターとか映画のシーンに出てくる所そのものである。 その電車をバックに記念写真を撮りながら、美しい花で飾られた世界一の坂道(急坂)を下りながら、 その急坂と両側のお花の見事さを味わった。全米から観光客が車で来ているので、この急坂を下りるには、 数分の待ち時間が必要であったが、ミズーリナンバーのピットの車を見て珍しがるシスコ人もいた。
ゴールデンブリッジ
夕方のゴールデンブリッジ。(1999ー8月撮影)この様な美しい所を時間を掛けて心行くまで満喫できました。旅に出て本当に良かったと感じる一時でした。このまま真っ暗になるまで海を見ていました。

午後は今一度ツインピークスへ登ってシスコの全景を心行くまで見て楽しんだ。上半身裸で気持ちの良い風 を受けながら、眼下にシスコの街とゴールデンゲートと監獄島、 さらにサンフランシスコ・オークランド橋を眺めながら時の経つのを忘れ、昼寝をした。贅沢な旅である。
団体旅行では味わえない自由な気ままな旅である。生きていて良かった。このツインピークスはシスコへ行ったならば必ず立ち寄って欲しい所の一つである。夕暮れになってきたので、食事の為に郊外に出てみた。海を見ながらの夕食としゃれて、快晴の一日を閉じた。ホテルに帰って明日行く予定のヨセミテの観光管理事務所にホテルの空がないかピットが電話してくれた。たまたまテントのロッジならば空いているとの返事であったのですぐに予約した。ラッキーであった。この時期は全米からヨセミテへ夏休みに訪れるのでロッジは満室が当たり前なのである。たまたまキャンセルがあったみたいである。よかった。明日はアメリカの国立公園のど真ん中での宿泊となる。2泊目のシスコの夜も楽しいお喋りがピットと夜更けまで続いた。
ヨセミテ
国立公園のキャンプ

さよなら。シスコ。有り難う。又来るからね。と心でつぶやきながらモーテルを出発した俺達は ゴールデンゲートとサンフランシスコ・オークランド橋のどちらを渡って帰ろうか話をした。 どちらも魅力的であるがサンフランシスコ・オークランド橋を選んだ。あのシスコ地震の時に多くの人が 犠牲になった橋である。走ってみて、この様な時に地震が来てさぞビックリしたのであろうなと想像しなが ら、ハンドルを握った。
あっと言う間に渡ったサンフランシスコ湾であった。オークランドに着いた我々は一路南下しヨセミテ に向かった。途中から東に分け入り、例の地図だけが頼りである。”そうだガソリンが少ないからスタンド に立ち寄ろう”とピットが言う。しかし郊外に出てしまったので中々見つからない。こんな所でガス欠に なったら悲劇だな、と思って目を皿のようにしてスタンドの案内がないか探したが見つからない。 困ったなと思いながらもヨセミテ目指して車を飛ばす。途中きれいな湖に出会った。そこで小休憩を取った。 まるでここがヨセミテ?と思ったほどきれいな所であったが、そこを後にして30分位走った所にスタンド を見つけた。ホッとして満タンにしてさらに山に分け入る。
公園の入り口で20$を取られた。多分環境保全の為の資金にするのであろう。 この入り口ではボランティアの人みたいな方が親切に全ての質問を聞いてくれた。 予約のロッジへの行き方とか現地での注意事項、さらに帰る時の道順などである。 この入り口からさらに一時間位走った所に観光事務所があった。まさに大キャンプ場という感じであった。
最大の注意事項は食料は全て所定の箱(金属製の鍵付きのもの)に入れてロッジの中には持ち込まない 事であった。夜食用のビスケットなど絶対にいけない。食事を取る時には全てその箱の鍵を開けてその中か ら必要なものだけを取り出して、食べる事である。食べ残してはいけない。
理由は熊がその食料を狙って襲ってくるからだそうだ。勿論車の中に残しておいてもいけない。 その熊が襲っているVTRも見せられて、十分注意するように言われて、ロッジの鍵と食料の箱の鍵を 渡された。さっそくテントロッジに入って休憩だ。床は丈夫な木材で真っ平である。 これなら良いな。しかし周りは布制のテントである。熊に襲われたら役に立たないな。
それでもこのキャンプ場なら立派なロッジである。この様なロッジが数百個所点在し、理路整然と並ん でいた。
ヨセミテのキャンプ場
夕方のヨセミテ全景。(1999ー8月撮影)多くの市民がこの大自然の中で夏休みを謳歌していた。余裕のある生活が日本と違う。

外は森林浴が十分出来るし近くの川ではボートを漕いでいる。魚釣りも楽しんでいる。サイクリングをしている人もいるし自由にキャンプを満喫している。あの有名なハーフドームが目の前である。とりあえず、ピットと近くを散歩しに行った。道は平らで舗装されているので例のブレードローラを二人で履いて近くを回ってみた。ここがあの有名なヨセミテなんだと、味わいながら・・・・。
大きな熊に出会う
今回の旅の最大の危機と最大の収穫

一通りの散歩を終えてロッジに戻った。夕飯はなにが良いかと考えたが、キャンプ場の食堂で済ます事に した。近くに売店があり、ここでワインを1本買った、おいしそうなカリフォルニアワインである。 ピットと二人でこのワインを開けながら、この大自然の素晴らしさと明日の予定を話し合った。
多分TACの年齢を考えたら、ヨセミテに来る事は少ないであろう。もし来ても山には登らないで あろう。従って明日は山に登ろうと言う話になった。TACは”ピットが1人で行って来いよ。 俺はこのキャンプ場で待っているから”と言うと、ピットが”二度と行けないかも知れないんだよ。 このチャンスに行こうよ”と必死に説得してきた。何故か自分でも山に登れそうな気がしてきた。 ”それではご一緒するかな”としぶしぶ同意した。
何も用意をして来ない行き当たりばったりの旅に大きな変革が来たが、これが行き当たりばったりだ。 ヨセミテの山をバカにする気は全く無いが持てる装備の中で万全をきして最後の力を絞って登る決意を ワインの力を借りて心を決めた。若い頃には日本の南アルプスの赤石山脈を縦走した思い出が浮んできた が何しろ30年以上も前の話であるので、思い出す方がおかしかった。
何かにすがりたかったからかもしれない。とにかく話が決まったから、シャワーに入りに出かけた。 歩いて300m位の所に共同のシャワールームがあるのです。二人で冗談を言いながらシャワールームを 出てロッジに戻りワインの残りを飲んで気持ち良く寝た。熟睡である。今日は良い日であった。
夜中の2時頃、トイレに行きたくなって、ロッジのドアーを開けて、外に出た。満天の星空に、 天気の良いのに感謝しながら、トイレに行こうと2、3歩歩いた途端に足がすくんだ。
何と20m位、先に大きな熊が俺を見つめているではないか。身の丈2m位の赤毛の熊が月明かりに TACを見ている。TACは”ああ、俺はここで殺されるかもしれない。目と目が合っているが、 こんな時には目を背けるべきかな?いや、背けた瞬間に襲ってくるのではないか?確か死んだふりを したら助かったという話も聞いた事がある。どうしよう。”多分僅か数十秒間であったと思われるが、 とても長く感じた。”あいつから俺は見られている。でも近寄って来ない。近くに武器らしいものも無いし 、襲われたら、素手で戦うしかないな。
何とか後ずさりしてみたいが、俺が逃げてもその代わり寝ているピットがやられると男の一生の後悔 が残るな。”どうするTAC。こんな思いが回転の鋭い走馬灯のように頭の中をぐるぐる廻っていた。
次の瞬間、彼が目をそらした。熊は向かって右に振り向いてのっそりのっそりと歩き出した。 しめた。助かりそうだ。10m以上移動した時に、急いでロッジに入ってピットをたたき起こした。 ”今、トイレに行こうとしたら、熊に出くわした。まだその辺にいるので、身支度をした方が良い” と早口でまくし立てた。
”嘘を言うなよTAC。”と取り合わない。”嘘と思うのなら外に出てみろ”と彼をロッジの外に 出した、そしたらあの熊がまた戻って立っているではないか。ピットも目を丸くして声も出ない。 またにらみ合いの時間が過ぎた後、今度は向かって左の方向にのっそりと歩いていった。 ”嘘と思ったら、本当なんだね”とピットも眠気が覚めた。
危険だからこの布制のロッジを引き払いたいのであるが、おかしなもので、鍵を掛けて二人で夜明け を待っていた。鍵なんか掛けてもなんの用もしない布制のテントの中で夜明けを迎えた。
あんなに行きたかったトイレは行こうとも思わなかったから人間の生理現象はいい加減なのである。 まだ薄暗い夜明けの中でもういないであろう熊を予想してロッジを出た。

まんじりともしないで迎えた朝はこれまた快晴であった。寝不足をものともせず、1日分の食料と 十分なる水を持って山を登り始めた。本来ヨセミテに泊るなんて考えてもいなかったので、当然登山支度は して来なかった。でも靴はナイキのAIRを履いていたので、何とかなるなと思って出発した。
途中、日本人の観光客とすれ違った。久しぶりの日本語とそのご年配ぶりに元気付けられて 、一気に急な山道を登っていった。さすがにピットは元気である。若さに任せて、ぐいぐいと登る。 少し間をあけてマイペースのTACとの間に少しの距離感が出来たがそれも彼にとってはゆっくりと おいしいヨセミテの空気を一杯に吸い込む時間になったと思われる。2時間位で小さな滝についた。
ここから見るとキャンプ場あたりから煙が立ちあがっていた。昨夜の熊はどうしているかな? と思いながら上へ上へとよじ登る。さらに1時間くらい歩くと、また滝に出会う。心地よい風が顔をすり 抜けて行く。景色は最高である。しかし登りはつらい。55歳の足にはやはりきつい登りである。
後ろから若い娘さんの集団とか家族連れが”ハーイ”と声かけて追い抜いて行く。 アメリカ人らしいオープンさが心地よい。ごまかしごまかし登っていくと本日の目的地である 、大滝の頭についた。ここから見るヨセミテはまさに歩いて来なくては味わえない自然の景観そのもの だった。
その頭にTACは立ってみた。滝壷まで真っ逆さまに落ちる水は限りなくピュアで美しい。 遠くまで見渡せる景観は、逆にこの滝を多くの場所から見上げている人がたくさんいるのではないか と思えてきた。まるで舞台に立つスターの気分である。よくぞここまで上ってきたものだ。 持ってきた食料をここで平らげて、少しの間昼寝とした。ピットは元気でそのあたりを散歩していた。 この間数人のパーティーがこの滝にたどり着いて、互いに健闘をたたえて、挨拶をした。疲れを取った 体に夏風が心地よく、そろそろ帰ろうと来た道を引き返した。
気に入った場所で記念写真を撮り合いながらゆっくりと下りてきた。そして午後3時頃ロッジについた 。よかった。2度と登らないであろうヨセミテの山の素晴らしさを疲れた足だけでなく、脳裏にも植え付け て、その夜はぐっすりと寝た。 また熊が出るかもしれない。でもそんな事はどうでもよかった。ヨセミテに来れた。ヨセミテに泊れた。ヨセミテの山に登れた。この充実感が、すっかりTACの体全体を包み込んで旅のすばらしき空間に運んでくれた。ピット有り難う。君がいなければ、今回のこの様な経験は積めなかったと思うよ!
サヨナラ、ヨセミテ
国立公園の真っ只中

昨夜とは違ってぐっすりと寝た朝は清々しかった。まだ外は薄暗いが顔を洗った。近くをドライブして、 朝のヨセミテを満喫するつもりであった。 静かな公園をゆっくりとドライブすると、あちこちで朝の活動が始っていた。
朝食を作る人、登山の準備をする人、ボートに空気を入れる人とそれぞれの活動である。 しばらく運転して行くと、何かが道を横切った。また熊である。所が今度はかわいい小熊である事と こちらは車に乗っている強みがあるので、この間とは気持ちの持ち方が違う。恐くはない。 車の中からカメラを向けて、逃げ惑う小熊を追いかけた。熊も必死でブッシュに逃げ込む。 近くに親がいるかも知れないので、程々にして追いかける事をやめたが、 滅多に経験できない貴重な思い出であるが少しやりすぎたかな?
その後朝食を済ませた後、観光客がよく行く滝まで散歩した。 この公園の中は循環バスが走っていて乗り降りは自由である。勿論無償である。 そのバスに乗って、滝の近くまで行ってあとは散歩気分の滝見物である。
昨日の山の上の大滝とは違って、子供でも気軽に見る事が出来る滝である。 それでも多くの人はそのスケールの大きさに感嘆の声を挙げていた。結構、日本人も多かった。 またバスにて駐車場まで戻り楽しかったヨセミテを後にした。
ヨセミテ
ヨセミテの全景。(1999ー8月撮影)この景色を見てヨセミテが忘れられない所になる人が多い筈である。

来た時に立ち寄った観光事務所に立ち寄ってボランティアにお礼をして帰路についた。 ピットの車は山また山を南下していった。
こんな山の中であるがとてもきれいなゴルフ場があった。何時かプレイをしたいな!と少し名残惜し かったがそのまま、車は進む。少し下ってきた所に大展望台があった。
そこからはヨセミテ全体が見る事が出来る。大きな滝が3つも見れるし、あのハーフドームが目の前に 迫る。絵葉書によくあるアングルから写真を撮って忘れないように目に焼き付けた。この景色を心行くまで 味わって、車に乗り込む。凄い迫力、素晴らしい晴天に恵まれたヨセミテであった。
それからしばらく行くと公園の出口に着いた。管理人が入場の時に20$支払ったかをチェックして いた。(レシートは無くしてはいけない)車は一路ロスアンゼルスを目指して、暑いカリフォルニアの フリーウエーを突き進む。
途中に小さなアウトレットを見つけた。休憩を兼ねて駐車場に入ると、ブランドの店が立ち並んでいた。 お店の人に聞くとアウトレットはこの様なアウトレットもあるが最大のものはプレミアムアウトレット と言う。ロスから西に80キロ位の所にあるデザートヒルにあると教えられた。
勿論気ままな旅の強みでそのプレミアムアウトレットに行く事にした。ショッピングにはかなりの時間 が必要なので明日の朝に行く事にした。例によって近くのモーテルを探して泊まった。
プレミアムアウトレット
ショッピングから国境の町へ

この日も朝から暑かった。真っ青に晴れた空は限りなく青く、ピットの車はプレミアムアウトレットの開 店時間に合わせるべく快調に東に進んだ。かなり走って回りの景色から木々がなくなって砂漠らしい風景 が続く。
昔はロスは全てこのようだった。今、ロスで見かける木々は全て人間の手で植えられたものがそうだ。 ようはロスは砂漠なのだ。あのロッキー山脈からはるばる水を引っ張って、大都市を築いたアメリカ人はや はりただ者ではない。
そんなデザートの中でひときわ目立つ看板が遠くから見えてきた。めざすアウトレットだった 。大きな駐車場に車を停めまず、最初に入口にあるパンフレットに目を通すと、なんと世界中のブランド が揃っている。全部見るにはおそらく1日以上かかるであろう。そこで狙いを定めていきたい店を絞って 印を付けた。以前、リトル東京の松坂屋で調べてある、プライス表を片手に、コーチ、バーバリ、 エルメス、フェラガモ、カシオ、ナイキ、トミフィルと効率よきまわった。 途中、中にあるレストラン でハンバーガとコーラを注文して昼食とした。
カミサンへ買ったコーチのカバンは今でも彼女のお気に入りで、愛用していてくれている。 靴とかバッグとか各種のシャツ、時計、ネクタイ、等々で車のトランクがそこそこ満タンになった。
ロスのダウンタウンから旅行会社がアウトレットへのツアーを開催しているが、お薦めではない。 代金が80$位なので、それだけあればレンタカーが借りられるし、ブランドのカバンの一つくらい買 えますよ。来る時には遅めで、帰り時間が早いのでショッピングの十分な時間がとれません。 はやりレンタカーで開店時間から夜まで楽しむのがコツですね。たっぷりとショッピングを楽しんで、 ピットの車は一路、南下してサンジエゴを目指した。
相変わらず暑い日差しの中で、着いたのは夜になった。例によってモーテル探しをして、 見つけたモーテルはなんとメキシコ国境から300mの所であった。部屋からメキシコが丸見えだ。 きれいなオレンジ色の光がこうこうと輝いていた。腹が減ったのでレストランを探したがどこにもない。
探しに探してやっと見つけたベトナム料理店に飛込んだ。そこにはおいしい中華料理があって、 久しぶりにだしの効いた料理に舌つつみを打った。そしてその食事の残り物を全てお土産に包んで貰って、 翌朝の朝食とした。(少し余分にオーダしてしまったので、もったいないと思ったのでつつんで貰ったが、 これは必要な行為である。)ここが国境の街なのだ、と言い聞かせて、すばらしい設備のモーテルでぐっす りと寝た。隣りの部屋は家族連れの旅行者で夜遅くまで賑やかであった。
翌朝、元気良くサンジエゴ見物に出掛けた。
サンジエゴ
旅の最後

サンジエゴは国境の街であると共に、海軍基地で有名だ。ピットと相談して、アメリカの海軍基地を見に行きたいなと言う事になりました。でも外国人に対して国防の最も極秘扱いである基地を見せてもらえるとは思いませんでした。まあ近くまで行ければと思いながら、車を走らせました。基地はすぐに分かったけれどもその入り口が分からないので、ポリスに聞いたり、市民に聞いたりして基地のゲートにたどり着いた。構わないからそのままゲートに車を停めて、衛兵に、”空母と潜水艦を見たいのだがどこへ行ったら良いのか?”と聞くと、”まっすぐに行かれて突き当たりを右に曲った所であります.”と直立不動の姿勢で答えが返ってきた。”突き当たりを右なんだね。”と念を押すと、”イエスサー”と今度は敬礼し、目をはるかかなたにした姿勢で,誠にきれいなネイティブな英語で丁寧な対応を頂いた。正直言ってビックリした。こちらの下手くそな発音を聞けばアメリカ市民とは思わなかった筈であるのに、アメリカ市民として最高の扱いを受けた。このサーという発音を聞いて歓待を受けたのは初めてであった。なるほど、これならこの海軍は強いはずであると思われた。言われたとおりの道順でたどり着くと、大きな空母が2隻と潜水艦が3隻埠頭に繋がれていた。
空母
サンジエゴの海軍基地の空母の前で記念撮影。(1999ー8月撮影)立ち入りが自由の基地でした。

しかも写真撮影も自由であるし、水兵が案内もしてくれる。しかもその近くの将校クラブで食事を取る事も 自由である。結構おいしくて安い。
腹ごしらえもして、見たいだけ軍艦を見物して、その自由と義務を思いっきり味わった。 義務とは禁煙の厳守とかビールをみだりに戸外で飲まないなどの事である。 (ビールを戸外でそのまま飲むと、ポリスが来て逮捕される事を日本人は意外に知らない。 ビールを買うと必ず茶封筒みたいな袋をレジでくれる。最初はTACも知らないでその袋は捨ててしまって いたが、どうしても飲みたい時にこの袋をビンとか缶にかぶせて、ビールである事をかくして飲むのである。 特にビーチではうるさい。日本の海水浴場での飲酒などは御法度なのである。ご注意のほど。)
横浜の横須賀の海軍基地を見にいった時には玄関払いで全くなにも見れずに帰ってきた記憶があるが、 このサンジエゴの海軍基地は全く自由に出入りできた。思いがかなって、対岸の高級住宅地を見て周り、 ダウンタウンを一周して、車は一路ロスアンゼルスへの向かった。途中ロングビーチに立ち寄り最後の シーフードのごちそうを腹一杯食べて、この夏休みの西海岸旅行の最後の食事にした。ロスの空港の駐車場 にてピットと別れた。
彼はこれからミズーリまで、さらにロングドライブが待っている。気を付けて無事帰って欲しいと願いつつ、楽しかった旅を終えた。

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