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アメリカ横断の旅


 1996年の夏にアメリカ横断の旅をしました。。
その時の思い出をたどりながら2001年8月下旬から10月に以下を書き上げました。 たまたま、2001年9月11日に世界貿易センターへの航空機突入のテロが発生しました。何ともいえない悲しい気持ちになりましたが、書き込んでみました。



ゲートシティーのロスアンゼルスへ
第1日はロスアンゼルスへ。

暑い7月、新幹線の窓から見る富士山は夏特有のかすみに覆われていた。
東京駅で成田までの特急の席で"今度はどのような旅になるのでしょうね"とNoncyが言った。
"今までに無い、いつまでも忘れない旅になるような気がする"とTACは答えながら、なにか仕事に励むサラリーマンの姿を思い浮かべて、何ともいえない優越感が湧いてきていた。
成田でのチェックインを済ませると、Noncyは例の成田アサリに余念がない。
化粧品、香水、などを入念に時間を掛けて出発時間まで楽しんでいた。
飛行機はほぼ満席であった。ロスまでのフライトは快適で、特にトラブルもなくブラッドレー空港に到着し、めでたくアメリカに入国した。
入国の時に前にいた若者がなんと入国審査に30分以上掛かっていた。留学生である。留学生の後に並んでは入国が遅くなるという教訓を得て、ホテルまで直行した。
Noncyとの二人だけの旅であるので、気楽だった。
ホテルはリトル東京のすぐ近くで、"なーんだここだったのか"とさらに気楽になりました。
初日はゆっくりと時差ぼけ調整をしながら、リトル東京を散策し、その中のお寿司屋で昼食をとりながら、初めての訪問のNoncyにロスの話とかこれからの日程についての見所などを話しながら、時間を潰した。翌日にはユニバーサルスタジオに行ってみようと、ツアー会社に予約をして一日目は静かに過ぎていった。
ホテルからはヤオハンとか松坂屋とか安心堂とか紀伊国屋とか日本企業が真近かであったので、日本語で通じるアメリカを感じた。 わずかにホテルの中の会話に英語が入っていた。
ユニバーサルスタジオへ
翌日はユニバーサルスタジオへ。

翌朝は快晴であった。ゆっくりとホテルの食堂で朝食を取りながら、アメリカにいる事を忘れるくらい、周りは日本人ばかりであった。朝、8時30分に迎えの車がホテルの玄関前に来て、私たちをユニバーサルスタジオに連れていってくれた。
入り口には大きな地球儀のモニュメントがあり、多くの観光客で賑わっていた。入場券を買って、内部の様子を知る為のパンフレットを貰って、一日の遊びの作戦を建てた。
見たいアトラクションのスタート時間をチェックし、どの順で見てまわるの効率が良いかを決めた。とりあえず、入り口の右側にある、海賊船のショーを見る事にした。たまたま待ち時間がほとんどなく、すぐにショーが始まった。思っていたよりも迫力があり、これなら、一日楽しめそうだと、感じた。TACはこのユニバーサルスタジオの訪問は3度目の訪問であったが、以前に訪問した時には15年も前の事なので、何故か新鮮に思えました。
Noncyは初めての訪問なので、見るもの全てが新しく、次から次へと思い付くままにアトラクションを見て回りました。本当に心から喜んでくれました。連れてきてよかったと思いました。
専用のトレインに乗りながら見る、西部劇の舞台とかスタントマンの演技、キングコングの迫力ある登場、観客のすぐ近くまでやってくる大洪水、サイコの家、インディージョーズの強襲などを体験しながら、一日をゆっくり活用しました。昼食の時、メキシコ料理店に入ったのが間違いで、本当にまずい野菜料理(まるでウサギのエサ)を食べる羽目になったのは大失敗でした。
午後にはET館に入り、ETの可愛らしさに、思わずNoncyがET人形を買い求めたものでした。このスケールの大きさはさすがにアメリカであり、眼下に広がるGOLF場も、目を楽しませてくれました。
映画のふるさとHOLLY WOODは素晴らしいスタジオを後世に残してくれました。空はどこまでも青く、カリフォルニアの風は爽やかでした。
ドジャーススタジアムへ
今度はドジャーススタジアムへ。

夕方は早めにホテルに戻り、シャワーを浴びて、夜の散策にお出掛け、目的地はドジャーススタジアムへ。
まだ薄明るいスタジアムに到着して、すぐに席に着く。相手はブルージェイズである。
観客は超満員。試合開始前にドジャーススタジアム名物のホットドックとコーラのラージを買いに出掛けた。たっぷりとケチャップとからしをつけて、大きなカップのコーラを手に席に戻る。
隣りのアメリカ人が、凄い応援風景で家族全部で来ているみたい。"お前はどこから来たんだい"と声を掛けてきた。"日本から"と答えると、それだけで仲よくなってしまった。こちらも負けてなんかいられない。はるばる日本から来たのだから。TACはドジャースが得点する度に、大歓声とハイタッチを、そのアメリカ人とするので、最初はおとなしかったNoncyが笑いながら、同じように歓声を上げていった。
初対面でも持っている菓子とかチップスをTACに分けてくれる、アメリカ人はまるで昔からの旧友みたいだった。
試合はドジャースの快勝で終わった。日本のプロ野球では味わえない、興奮と応援体験をして七回の攻撃の時には応援歌を皆で大きな声で歌った。観客と選手が一塊に楽しむ風景がそこにはあった。
恐らく5万人以上は入っているであろう観客のなかにブルージェイズのファンがわずか20人ほど、たまたまTACの斜め後ろに陣取って応援していたのが印象的であった。
オーロラビジョンにその姿が大きく映し出されると、大観衆が称えるエールを送る姿も印象的でした。
このオーロラビジョンも世界で初めてここに据え付けられた日本の商品であります。
その昔、このオーロラビジョンを発売する時の思い出を今更ながらTACは思い出していた。今では多くの野球場とか競馬場にお目見えしていますが当時は半信半疑でこの様なものが売れるかどうか議論をしたものでした。
その夜はゆっくりと疲れを取り、リトル東京のホテルでぐっすりと寝込んだ。
ロス見物
ロスアンゼルス見物。

翌朝も、快晴であった。例によって朝食を済ませた我々はホテルの売店を一回りして、今日はロスを一回りする事に決めた。
最初に訪れたのは、市役所である。リトル東京からも程近く、中に入ると、姉妹都市である名古屋市から寄贈された立派な御神輿が目に飛込んできました。戦後の日本がなんとかアメリカとの友好を模索したシンボルなのかな?とも思いました。
最上階へいくエレベータへ乗って、のこのこと展望階へと上がると、さして広くないテラスから一望するロスは広く、美しく、近くのビル群から遠くの山々まで楽しめました。
全て無料の観光ですが、なぜかここを訪れる人は少ないみたいですね。
目の下にはリトル東京の火の見櫓が可愛く映っています。ロスの観光の隠れたお薦めの場所ではないでしょうか。
その後、チャイニーズシアターまで車をとばして、例の映画スターの足型、手形を眺めました。
当日はたまたまフランク・シナトラが亡くなったという事で、彼のレリーフ(記念碑)の上に花束が飾ってあり、多くのファンがなごりを惜しんでいたのが印象的でした。
Noncyは初めてのチャイニーズシアターをゆっくりと時間を掛け、マリリンモンローの人形の前で写真を撮ってほしい、とか、ソフィアローレンの足型の上に自分の足を乗せたり、あんなにたくさんある、サインを一つ一つ読んで、これは誰ですね、と確認しながら一時を過ごしました。
ひっきりなしに押し寄せる観光客に互いに見失わないように気配りしながら、金色の星のマークが埋め込まれている歩道を端から端まで歩いてみました。
その後、サンタモニカの海岸に移動しました。高い断崖の上にある公園から、海を眺めながら、ベンチに腰を下ろし、この海の向こうに日本がある事をしみじみと感じました。
水平線がわずかに丸みを帯びて地球が丸い事を実感できるこのサンタモニカの海岸をTACは好きです。
近くには真っ赤なブラウスを着込んだ初老のご婦人が本を読んでいます。
その後JTBの事務所の裏にある小さなショッピングモールを見て、近くのレストランでコーヒーを飲みながら、ゆっくりと時間を使いました。
これから横断するアメリカ大陸にどんな事が待っているのか大きな希望と少しの不安が頭をかすめながら、来て良かったと思った一日になりました。
この時には、数日後に経験するあの素晴らしいアーミッシュとの出会いがあろうとは夢にも思わなかったものでした。
ラスベガスへ
いよいよラスベガスへ。

快晴が続くロスの空港を飛び立って、ラスベガスに着いたのは午前10時頃だった。
飛行機の窓から見える山々は全くの茶色一色でありました。木が生えていないのです。いわゆる岩山とか禿山の連続で、周囲の山は皆、同じでありました。そんな山々に囲まれた盆地がラスベガスであります。
この盆地が、また砂漠そのものでありまして、その風景は、そのむかしサウジアラビアのリヤドに降り立った時の思い出に重なるものがありました。
でもその砂漠の中にそびえるホテル群とGOLF場を見ると、この人造の大都市に驚嘆させられました。
飛行機から降りると、その暑さに体中からプチュと汗が噴き出てきます。急いで冷房の効いたTAXIで予約済みのホテルへ直行でした。空港からわずかに10分でホテルへ到着です。とにかくそのホテル群が凄い。ルクソール、ニューヨーク・ニューヨーク、ミラージュ、ヒルトン、シェラトンと泊りたくなるホテルばかりです。
また、一歩入るとどこのホテルもカジノのものすごさ。見渡す限りカジノマシンで一杯だ。ホテルはこのカジノの売上げが多いので、本来のホテルのルームチャージは比較的安い。
疲れの出ないうちに、とにかくMAIN STREETを端から歩きながら、とりあえずホテル巡りをしてみました。
でも、近く見えるようでも、距離は結構あるので、途中バスに乗ったり、TAXIに乗ったりして、ホテルのほぼ全てを見てまわりました。その中でもミラージュに行くには専用の地下街を歩いて行くのですが、空が照明で朝から夜までの演出をしますし、その下でお店が数えられない位、存在しています。
その地下街は縦横無尽に道があるので、道案内がないと迷いますね。しかも所々で、歌とか演劇とか演奏などを実施しているので、ショッピング以外の楽しみも、味わえました。この地下街に入った瞬間の一種のショックは今でも忘れません。(このそっくりさんが1999年、東京の台場に出来ています)
TACはカジノを苦手にしています。やり方が分かりません。勿論、教えてくれますが、儲かる筈も無いし、見るだけでした。
"折角来たのだから少しやってみたら"とNoncyが言うのですが、イマイチ乗りが悪いので、やめました。
MAIN STREETをまっすぐに行くとラスベガスタワーがそびえています。そこに駆け上る事にしました。入場料は12$と思いましたが、エレベータで最上階まで昇ると、そこは展望台です。ラスベガスの盆地が一目で見渡せます。午後4時頃に行ったのですが、夕日が山々に沈むまでの3時間をここで過ごしました。夕日から星空とネオンの夜景までの移り変わりをこの展望台の上にて二人で眺めていた姿をアメリカ人はどう見ていたでしょう。
とにかくきれいでした。忘れられません。
タワーの展望台はそれだけで、かなり高い所に位置しますが、その展望台に、さらに80Mくらいさかのぼってから急降下する超絶叫マシンがある。一度乗ったら後悔しても、もう遅い。あとは真っ直ぐ落ちるだけ。乗車後、絶句・号泣など人さまざま、笑ってごまかす客もいるが恐らく高さでは世界一と思われます。これには乗るのはゴメンであったが見るのは結構楽しかった。
アメリカは大きく広い。
このタワーから見るとなんと空港が3つもある事がわかる。大きな国際空港と、国内専用空港と今一つ、ローカルのものを見る事が出来る。明日はこの空港からグランドキャニオンへ行くつもりだ。 ベガスの夜景を見飽きた二人はTAXIを拾って、ネオンの点滅の演出がすばらし"xxxxxストリート"・・・少し名前が違うかも・・・に出掛けた。
TAXIで15分くらいの所であるが、このネオンサインの演出は必見である。
この様なネオンは日本にはない。きれいである。ストリートの全てが一つになり、光の洪水となる。道端のカフェーでマックをかじりながら、コーラを飲みながら眺めるネオンの大仕掛けは、まさにアメリカそのものであり、ベガスの見所であろう。
多くのアメリカ人が夜9時まで楽しんでいる。そのあとは、ひっそりとしているのでこれも面白い。ベガスの第1日はこれで終わりと思って、TAXIでホテルへ戻ると、ミラージュの前が黒山の人だかりである。そうだ"海賊船"のアクションが始る。
すぐにTAXIを降り、比較的見易いところに陣取って、光と火と水のショーを無料で見る事が出来た。これも毎晩、無料で実施しているとの事であった。スケールの大きなべガスの一端を垣間見る事が出来た。
ホテルに戻っても窓から見るベガスの夜景も素晴らしく、第1夜の眠りについた。
グランドキャニオンへ
憧れのグランドキャニオン

ベガスでの朝は、これまた快晴であった。Noncyは今日一日の、楽しいグランドキャニオンへの旅行を、あれこれ想像しているのであろう。 朝食の時から、ご機嫌であった。ローカルの飛行場まで車で行って、そこからセスナへ乗った。乗客はわずかに6名であった。
その操縦席には二人のパイロットが乗った。狭い機内であるので、操縦席のやり取りが全て分かる。 なんと1人は全くの素人ぽいではないか。その人が隣りのベテランにいちいち指示を受けながら操縦している。"大丈夫なのかな"と心配しながら、機体が左右にぶれたり、上下に揺れる。
これは参ったな、と思ったがTACが気持ちが悪いと言うわけにはいかない。案の定"はきそうだわ"とNoncyが言う。
なんとか我慢して欲しいが"どうしようもなかった時だけこの袋に吐き出していいよ"と軽く言いながら、あれがベガスの街並みだ、あれがコロラド川などと眼下の景色に神経がいくように話題を持って行くTACでした。
30分も飛んだ頃、眼下に大きな湖が見えてきた。コロラド川を塞き止めたダムがこの湖を形成している。何でも満水になるまで1年以上も掛かったという、最大級の人造湖である。
これがあるので、砂漠のラスベガスでも人が住めるし、不況の時の公共事業にもなっている。ただこのための自然破壊はものすごいものですね。
そしてさらに数十分の飛行後に、グランドキャニオンに入っていった。セスナは落ち着きを取り戻して、この雄大な渓谷に沿って飛行して行く。
素晴らしい眺めであった。
それも生れてこのかた、この様な素晴らしい迫力を見た事がなかった。
カメラのシャッターを押しながら、その素晴らしさの為、フィルムの枚数が極端に減っていった。
現地の飛行場につくと、専用のバスが待っていてくれて、その運ちゃんが日本語がうまく、レストランへの時間も短く思えた。
そこで軽い昼食をとり、いよいよグランドキャニオンを歩いて見物である。展望台までバスで行き、そこから二人でゆっくりと散策した。
今までTVで見たり雑誌のグラビアでお目にかかっていたが、本物を見ると、その迫力は想像していた以上であった。
あまりのスケールの大きさに最初は度肝を抜かれたのであるが、どこを見ても凄いので、その内、免疫が出来て感激が薄くなってしまったほど、環境に恵まれた天候であった。
目の前の深い谷に向かってポニーで出掛ける人もいた。近くのホテルの庭で記念撮影をしながら、そのレストランでコーヒーを飲みながら、"今度来る時にはここで泊りたいね。そして、朝日ときれいな夕日を何時までも眺めたいね"と話し合って、その後、売店でNoncyお気に入りのインディアンのお守りを買込んだ。
その後、ビューポイントを2、3ヶ所周り、グランドキャニオンの素晴らしさをこれでもか、これでもかと脳裏に叩き込んだ。近くの駐車場にはイリノイとかフロリダのナンバーの車もあった。
今度来る時は車で来ようと心に誓った。なぜならば、飛行機は気持ちが悪くなる為である。車でもベガスから6時間くらいで来れると聞いた。
夕方近くに帰りの飛行機に乗り、ベガスに戻ってきたがきれいな夕日にベガスの街並みが光っていた。
何とか、二人とも吐かないで持ちこたえたが、その揺れは上下左右にひどく、通常は5人に1人くらいは吐くそうです。
ベガスのナイトショウ
ナイトショウの楽しい一時。

ホテルに戻る途中、ディナーショウの入場券を買込んだ。大きなフラミンゴのネオンがあるホテル(確かヒルトン)で券をを買って、夜の7時の開演まで、休憩をした。
この券は各ホテルのロビーで当日券を売っています。お茶を飲んでから、そのままディナーに参加する方法(5時30分から9時頃まで)とディナーのみ(7時から9時まで)の2種類がありました。各ホテル毎、催しは違いますので、毎晩違うホテルを渡り歩く事も可能です。
このディナーショウはアメリカの老夫婦と相席でした。困ったな、あまり英会話は得意ではないし、二人きりで楽しもうと思っていたのにと後悔しても後の祭り、第一、二人だけで、なんて席は、どこにも無いので、もう諦めて、なんとか会話になるように努力しようと考えを変えた。
最初はドリンクの注文があった。次は前菜である。すでにディナー券を購入しているので、この費用もインクルーズされていると思いきや、別料金であるので、ご注意を。でもなにも取らないわけにもいかないので、ワインとサラダを注文した。
同席の老夫婦はニューヨークから来た方で、結婚30周年を記念してベガスに来たとの事、我々も結婚25周年と言うと互いに握手し、ハイタッチをしあった。
下手な英語でも結構通じるので、少し安堵し、彼が大のヤンキースファンなので、野球談義に花が咲いた。
多分、向こうさんも、二人きりで気楽にやりたかったのであろうが、変な外人?が同席して苦慮している様子。英語もビックリするほどゆっくりと気をつかって話してくれて、ありがたかった。
アメリカ人はこの様な初対面でもなにも困らない。
その内ディナーが出てきて、食が進む内に、歌あり、踊りあり、さらにマジックショウと盛り沢山のイベントで大いに楽しんだ。
食事はまあまで、上手い方でしょうね。
相席の老夫婦は"これをニューヨークで見たくても見れないのですよ。この芸能人は稼げるベガスに出稼ぎに来るし、ニューヨークではチケットが高くて手に入らないとの説明をしてくれました。
何も知らないで参加したのであるが、素晴らしいショウを見る事が出来たわけですね。大満足してホテルに帰り、今日の良き思い出を部屋で、語り合ってベッドに入った。
あの雄大なグランドキャニオンを見たTACとNoncyはラスベガスの街を今一度、散歩しながら、この人工の街並みを満喫したあと、一路、シカゴ経由でセントルイスへ着いた。
セントルイスへ
西部への入り口セントルイス。

セントルイスは、西部への入り口に当たる都市で、大きなアーチがそびえている。このアーチをくぐって、西部へ、西部へと夢を画いて多くの人々がこの街を旅立っていったとの事である。
飛行場に殆どくっついている位近い、マリオットホテルで、セントルイスでの一夜を過ごした。
翌朝、このアーチへ登ってみた。頂上までは特殊な斜坑エレベータでグループ別に登るのである。順番を待つ、行列で、たまたま、TACとNoncyとの間でグループ分けされてしまった。
Noncyはあわてて"私たちは夫婦です。二人を一緒のグループにして下さい。ここで待っていても良いですか?"と日本語で係員に言いました。係員はきょとんとして、何を言っているのか、分からないという顔をしました。
TACがまた下手な英語で、係員に言うと、"問題無いよ"と答えが帰ってきました。
"慌てると日本語になってしまいますが、よく考えると、簡単な英語なのに、いざと言う時に出て来ないですね。"とテレ笑いのNoncyでした。
順番が来て狭いエレベータへ乗り込んで数分でアーチの頂上へ着きました。乗り心地はあまり快適ではありませんでしたが、展望室からみる景色は雄大な西部を地平線まで見渡せました。眼下にはミシシッピ川がうねり、あのマクガイヤで有名なセントルイス・カージナルスの本拠地が見えます。
ヨセミテ
ヨセミテの全景。(1999ー8月撮影)この景色を見てヨセミテが忘れられない所になる人が多い筈である。

ゆっくりと堪能した後、近くの公園を散歩して、ミシシッピー川のクルージングにでました。
僅か2時間半位の船旅でしたが、日本には無いようなトムソーヤの世界を味わう事も出来ました。川の両岸はどこまでも同じ風景で、雑草の草原でした。近くにはカジノを実施する船もいました。
船から下りて、ダウンタウンのショッピングセンターを見学したあと、ホテルに戻りました。迎えのマイクが来ていました。
彼の車でバドワイザのビール工場を見学し、大きな工場を現地のアメリカ人の家族と見学して、出来立てのビールを3種類ほどいただきました。規模の大きさにビックリしましたが、それ以上の気楽に見学させてくれる経営マインドに感心しました。
コロンビアからモーベリーへ
ミズーリ州のほぼど真ん中の田舎町。

夕方食事をして、カンサスシィティの方向へ、車を飛ばし、コロンビアと言う街に着きました。
途中、ある家が真っ赤に燃えあがっていました。つまり火事でしたが、消防自動車が来るわけでもなく、燃え尽きるまで待っている雰囲気でした。
隣りの家まで10から30キロ位あるアメリカでは、火災もこの様な状態です。故に銃を廃絶する事も、この様な光景を見ると、無理かな?と思わざるを得ない。(つまり、悪者が自宅に訪れてきた時に、守るのは自分自身でやるしかないのであるから・・)
そんなアメリカ大陸の真っ只中を西に向かってマイクの車は飛ばして行く。
夜、遅くミズーリのほぼ真ん中のモーベリと言う小さな街に着きました。
モーベリーの初日の朝は曇り空であった。朝食の前に近所をNoncyと散歩した。
同じように散歩している人に出会うと"Good morning"と必ず声を掛けてくる。
本当にアメリカは気持ちの良い国だ。静かな田舎町の雰囲気を味わいながら、"きれいなお花だこと"とNoncyは道端の小さな花を見つけ写真を撮るようにTACに目配りした。
アーミッシュとの出会い
中世のヨーロッパ人:アーミッシュ。

朝食後、マイクがアーミシュに会いに行くが一緒に来るか?と言った。
マイクの奥様は日本人です。
若夫婦がいくと言うので、付いて行く事にした。
このコロンビアにはまず日本人はいない。そのコロンビアからさらに北へ車で30分くらい行ったところにアーミッシュの部落があると聞いて出かけて見た。
その入り口は舗装もしていない。そんな道路に入っていった。
アメリカ人でもこのアーミッシュとの出会いをした人は少ないと言う。
アーミッシュとはヨーロッパから移住してきた家族があの18世紀の時代さながら自給自足の生活をしている人達の事である。信仰深く人々は現代のアメリカ社会から完全断絶して生活をしている。
畑を耕すのは馬とか牛であり、隣りの家に行くのは馬車か歩きである。
男は麦藁帽子と縦縞のシャツとズボンはつりバンドで吊っていある。 そして長靴姿である。誰を見ても同じスタイルで、その他の服装をしている人はいない。
女は頭には帽子(赤ちゃんがするみたいなやつ)をかぶり、縦縞の長袖シャツとスカートは床まで届きそうな長い物でさらにヒップのところが異常に膨らんだ物をはいている。
あのシンデレラの物語に出てくる女性のスタイルであった。それが会う人会う人皆同じスタイルである。
子供たちもみな裸足で飛び跳ねていた。みな人の良さそうな方々で、言語もヨーロッパ時代の物をそのまま持ってきているのでドイツ語とかフランス語もあった。
村の売店には本当に老いたおじいさんが生活用品を売っていた。肥料とか飼料、食料の一部鍬とか鋤、馬具、そして着るものとか布、針、糸などまさに日本でいえば江戸時代のよろずやであった。
誠に残念であるがカメラの撮影は絶対禁止と言われたので、1枚の写真もないが、このIT時代に世界最先端の国で、かなり多くの人々が、この様な生活をされている事に大きな衝撃を受けた一日を過ごした。
今度アメリカに行ったら、思い切って今一度このアーミッシュの部落に行くつもりだ。このアーミッシュの部落で買ったパンの味は今でも忘れない。
おいしかった。(無添加の18世紀のヨーロッパの味・・通常は売らないけれども彼らの食べる分を差し引いたものは交渉次第で売ってくれます・・・・この分は自給自足ではない?)医者もいない、学校もないこの部落は21世紀もこのまま生き続けていくのである。
こんな具合だからこのアーミッシュとの出会いは旅行業者では絶対に扱わない筈である。
マイクでも道に迷うであろうアーミッシュとの出会いは今回の旅行の最大の収穫の一つになった。
ショッピングへ
アウトレットにお出掛け。

アーミッシュとの出会いの翌日はショッピングに出掛けた。
考えてみれば、この近くに名所旧跡はあまり無いので、ショッピングが最大の楽しみかも知れない。
国道を東の方に約2時間走らせて、途中州都にも立ち寄り、州議事堂をみてから、アウトレットに着いた。
セントルイスに、もう近い。行き交う車の中にモーターボートを引っ張っている者があったが、海の無いこの州(ミズーリ)では珍しいなと思っていたら、大きな湖が現れた。
なるほど、アメリカはリッチな国である。国民は色々な事にエンジョイしている。
アウトレットに着くと、さっそく、コーチのカバンを買い求めた。 このカバンは今でも使っている。Noncyもコーチ独特のアーチ型デザインの黄色のバッグをこの時買って、今でも時々外出時に持ち歩いている。
多くのブランドの店をゆっくりと見てまわって、Tシャツとかスニーカとかを買って、セントルイス経由で帰路に着いた。
天気の良い夏の日差しをいっぱいに受けて、のんびりとしたドライブが終わった。
夜にはナイトバーへ出掛けてみた。 アメリカ人が職場の帰りに気楽に立ち寄るビールバーである。
お店に入ると、薄暗い明かりの中から、店員が"何にしますか?"と聞く。すかさず、"beerと答えると、"どれにするの"ときた。なんと数十種類のbeerが並んでいた。
TACは麦系のbeerをNoncyはとうもろこし系のbeerを注文してみた。
とにかく種類が多いアメリカのビール事情であった。
味は正直言っておいしくはない。材料の麦とかトウモロコシのかおりが強調されている。
やはり日本のビールがおいしい。
ゆっくりと寝て、翌日には、ニューヨークへ移動だ。
ニューヨークのミュージカル
いよいよ最終目的地。

翌日は快晴であった。セントルイスからニューヨークへのフライトは順調で、さしたるトラブルはなかった。
むしろ途中で立ち寄ったシカゴが猛暑で20数名の人が亡くなった事がニュースであった。日本では考えられないが、アメリカでは寒くても、暑くても人が死ぬ。(それだけホームレス問題は大きな課題である)午後3時頃にニューヨークのケネッディ空港に到着した。事前に迎えを予約しておいたので、快適な大形ハイヤーでホテルまで直行できた。
5番街に程近い最高級ホテルが取れていたので、今回はかなりリッチに動けた。
Noncyも満足げにチェックインして、疲れを取った。夕方まで一休みして、ニューヨークの第一夜はさっそくミュージカルを見に行った。
これは日本にいる時からのNoncyのご希望であった。
ブロードウエーまで、ゆっくりと歩いて行った、あちこち見学しながら、目指す"キャッツ"の公演をしている劇場を探し当てる事はそれほど難しくはなかった。
ブロードウエイ,タイムズスケア
5番街。この近くのミュージカルでニューヨークの夜を楽しんだ。日本で買うと\12000のチケットがここで60$で買える。昔は夜は危なかったが今は十分安全で歩ける。

ソニーの大きなネオンがあるブロードウエーの中心にはチケットを買い求める全米から来たお客様が長蛇の列を形成していた。
すでに日本でチケットの手当てをしていたので、少し価格は高かったが、シートとしてはまさに最高級のスペシャル席であった。
なんと舞台の中にも座れる席があり、我々の座った席のすぐ隣りに役者が待機して、出て行くのである。
まさに観客席に座っている我々までも、なにかミュージカルの中に引きずり込まれる様な特別席であった。
正直言って、英語のヒアリングが不十分なので細かな事までは理解できない所はあったが、本場のミュージカルを目の当たりに見て、その迫力に圧倒された。
幕間に舞台に自由に上がってみても、装置を眺めてもなにも言われない自由さがアメリカらしかった。
またニューヨークに来たら、美女と野獣をはじめたくさんあるミュージカルを見てみたいとNoncyは感激していた。
夜も10時を過ぎて"キャッツ"は終わった。帰りは狙われるから、TAXIでホテルまで帰りなさいね、と言われていたが、歩いて5分も掛からないし、ブロードウエーの夜を味わいながら、ホテルまで歩いて帰って来た。
なにも起こらなかったし、要は金を持っているような格好で歩くから狙われるのであって、カジュアルで、真面目で、隙の無い服装をしていれば大丈夫だと思う。
楽しかったニューヨークの夜の一日目は静かにふけていった。
ニューヨーク観光
ミュージカルの翌日はニューヨーク観光に費やした。朝食はシェラトンホテルのバフェとした。優雅で気品のある紳士淑女が礼儀正しく向かっているテーブルの一員として、とる朝食に、Noncyは緊張ぎみでした。でもこのゴージャスな雰囲気を味わった後で、ラフな服装で早めにホテルを出て、まず自由の女神の見物とした。船着き場に着くと多くのお客が船に乗るのを待っていた。でも要領よく列に並ぶと、前から100名位の位置に並べたので、”しめた”と思った。(自由の女神は混み合うので、朝一番の船に乗り、前がつかえない内に女神の階段を上るのがコツ、そうしないと長蛇の列の後ろからゆっくりと見物するとなると、一日がかりになってしまうのである)船が車での間、アメリカの若者が列の前でパフォーマンスをして、楽しませてくれた。小銭を欲しいのだそうであるが、時間潰しにはなった。一番の船で自由の女神の島に上陸し、女神の中の階段をなんとCROWNまでのぼってしまった。途中、急な階段の為にNoncyは諦めかけたが、もう2度とこの階段を上がれないかもしれないし、狭い階段は後ろのお客が追い抜けないので、下から押し出されるような形で、なんとかCROWNについた。女神の頭の上に乗っているCROWNから見るニューヨークは格別で、”ヨカッタね、ここまで来て”としばし二人で座り込んで休養した。ここまで来る観光客は多分10%はいないのでは無いでしょうか? 帰りは急な階段を降りながら、来てみて本当に良かったと思いました。ニューヨークのダウンタウンの全景を見ながらの船旅も楽しく、健やかな旅となりました。その後2階建てのバスに乗ってマンハッタンを巡回した。昼は中華街のヤムチャ料理を味わった後、ウオール街のビル群を縫って、ソーホ(Soho)に着いた。ここはNoncyお得意の芸術家と音楽と骨董品の街だ。2人してのんびり散歩しながらウインドウショッピングで時間を費やした。なんでも著名な芸術家が好んで住んでいる所で、その昔は倉庫街であったとの事でした。見るものが珍しく、別世界の感じがした. 少し疲れが出たが、頑張って、5番街に出てショッピングとした。Noncyにエルメルのスカーフとティファニーの小物を買ってあげてホテルに戻って来ました。

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