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アンコールトム周辺への旅
2003年9月15日(月)の夜にカンボジアのシェムリアップに到着し翌日はアンコールワットを散策しました。
一度ホテルで休養した後、 午後はアンコールトムならびにその周辺とシェムリアップ市内の散策をしました。
アンコールワットの旅は
- ・アンコールワットへの旅へを見てください。
途中でガソリンを補給して、さあアンコールトムへお出かけです。
例によって観光許可証のチェックを受けて、アンコールワットを通り過ぎ
て10分くらい走るとアンコールトムの入り口に着いた。
さらに数分走るとアンコールトムの中心であるバイロンに到着した。
まさにアンコールワットとともにこのバイロンは遺跡の中の遺跡であった。
VICTORY GATEの前に並んでいる群像です。 まさに王者の風格です。
アンコールトムの入り口の一つで最も有名なVICTORY GATEです。 2003-9-16撮影
いよいよ、バイロンの中に入っていきました。
まずは目に付くのは多くの面石造です。
また柱とか壁に施された彫刻は、当時の謳歌を忍ばせます。
バイロンの柱にある彫刻。 (2003年9月16日撮影)
東門から入りガイドさんと別れて自由の身になって、目いっぱい散策しました。
落ち合うのは2時間後の北門入り口。
一つ一つをじっくりと味わう散策になりました。
さらに歩を進めると。
バイロンの柱にある彫刻。 (2003年9月16日撮影)
あちらこちらに石像が存在する。
すごいものだ。ゆっくりと見つめると1時間以上かかってします。
バイロンの代表的な石像であります。この石像の石はどこから運んできたのであろうか?この近くには見当たらない。しかも加工するとは! 翌日の散策でこの石の産地が東の方向約80Kmである事が分かりました額縁の向こう側にある石像の唇が見えますか?ここに立って横顔を撮影すると、石像とキスするポーズになるので人気があります。 (2003年9月16日撮影) バイロンはそれほど登りはきつくありません。
バイロンの石像群。 (2003年9月16日撮影)
ゆっくりとじっくりと見て回りました。
回廊の中側から外の石像を撮影しまたバイロン頂上を下から覗いてみました。 (2003年9月16日撮影)
バイロンの頂上です。 (2003年9月16日撮影)
回廊ならびに壁には彫刻が存在し、とても楽しみです。
すごい技術と芸術が存在したものですね。
不勉強でよく分からないのですが、戦いの様子が描かれているようです。
回廊の壁に存在する彫刻。 (2003年9月16日撮影)
バイロンをゆっくり見て北門のところでガイドを待っていた。
バイロンの全景。 (2003年9月16日撮影)
しかしいくら待っても来ない。仕方が無いので勝手に隣の遺跡に入っていった。
そこは、これまたアンコールワットにも勝るとも劣らない遺跡で、現在は工事中であった。
完成したら、本当に大きな財産として活用されるであろう。 その名はTHE BAPHUONである。
THE BAPHUONへの入り口の空中回廊。 (2003年9月16日撮影)空中回廊を支えている円柱。 (2003年9月16日撮影)
さらに隣にあるTERACE OF ELEPHAENTSは見ものであった。
こんな立派なTERACEは世界中にここだけであろう。
単にエレファントだけでなく、ガルーダが支えている絵柄もありました。 このTERACEは最も好きな所の一つになりました。時間をかけてゆっくりと眺めた幸せの空間がここにありました。大事に保存してほしいと思いました。
TERACE OF ELEPHAENTS。 (2003年9月16日撮影)
TERACE OF ELEPHAENTS。 (2003年9月16日撮影)
TERACE OF ELEPHAENTS。 (2003年9月16日撮影)
アンコールトムから少し走った所にあるTAKEOの全景です。 (2003年9月16日撮影)この寺院は、今日ではタ・プロムと言う名称で知られています。
TAKEOの頂上から下を見る。 石製面像。 (2003年9月16日撮影)- が、創設当初はラジャヴィハラ、すなわち<王家の僧院> となずけられたのだそうです。
タ・プロムの入り口。中にはこのような大きな木が・・・・・。 (2003年9月16日撮影)
歴史を感じますこの大きな根・・・。 (2003年9月16日撮影)
この寺院はバンテアイ・クダイ遺跡であります。ここからは日本の上智大学の発掘調査で多くの石製仏像が確認された そうです。それも多くのものは首を切り取られていたそうです。
タ・プロムの荒れた石の状態。なんとかしたいと・・・。 バンテアイ・クダイ遺跡を見るためにここを入っていく。 (2003年9月16日撮影)
仏教を信仰する王とヒンズー教を信仰する王の、覇権争いがあったものではないかと思われますが、門外漢の私には 不明であります。
しかし、もう少し遺跡として保存状態を確保しないといけないと思いました。
バンテアイ・クダイ遺跡の中央に鎮座している仏像。 バンテアイ・クダイ遺跡の中の柱が傾いていました。 (2003年9月16日撮影)
バンテアイ・クダイ遺跡の回廊。 (2003年9月16日撮影)
暑さのせいで、ばてて来ました。早めにホテルへ引き上げて疲れを取って、
遺跡の前にある大きな池。 池では現地の子供たちが水遊び。 (2003年9月16日撮影)
夕食をとってからまたお出掛けです。
例によってガイドの背中にしがみついてバイクで夕日の丘へやってきました。
この日の夕方、ホテルを出て夕日見物に出かけた。
●夕日見学
夕日の丘である、PHENOM BKHENGのふもとに待機する登り用の像。11$で丘の上に連れて行ってくれる。一方、自力でこのPHENOM BKHENGを登る人々。結構きついのぼりであるが、がんばって登る人は多い。 (2003年9月16日撮影)
夕日の丘の頂上からカンボジアのジャングルの地平線を望む。像の降り場が画面の下の方に見えますね。 (2003年9月16日撮影)
夕日見物の全世界の観光客の皆様。 頂上で出会った日本の女子大生。 (2003年9月16日撮影)
夕日。 (2003年9月16日撮影)
●9月17日(近郊散策)
夕日。 (2003年9月16日撮影)
この日は朝は、ゆっくりとして、近くを散策した。
滝。ガイドのソフィア君のお奨めで出かけたが、日本人には珍しいものではなかった。カンボジアでは、こんなにきれいな水の流れは 珍しいのでしょう。 (2003年9月17日撮影)石。遺跡から80KM離れたこの地に大きな石がありました。多くの労力を用いて、アンコールワットへ運んで いったのでありましょう。 (2003年9月17日撮影) ●東洋のモナリザ
滝への往復の悪路。こんな道を2時間以上かけて。つい数年前まではポリポト派の支配地域の為、観光はできなかった。 (2003年9月17日撮影)
バンテアイ・スレイ寺院
アンコールトムから北に約40km、シェムリアップ川のほとりにたたずむヒンドゥー寺院です。 東西95m、南北110mの周壁に囲まれた小さな寺院ですが、赤色砂岩の建物の破風や壁面を埋め尽くすように彫刻が施され、 その繊細な美に圧倒されます。
なかでも祠堂の壁面のデヴァター(女神)像は、フランスの作家アンドレ・マルローがその美しさに魅せられ、 国外に持ち出そうとして逮捕されたといういわく付きのもので、 「東洋のモナリザ」と呼ばれています。
その時のてんまつをもとに書かれたのが「王道」です。
バンテアイ・スレイとは、「女の砦」という意味です。ほかでは見られない浮き彫りは必見です。
バンテアイ・スレイ寺院、東洋のモナリザへの入り口。 (2003年9月17日撮影)
残念ながら東洋のモナリザの近くに近寄る事は出来ませんでした。ロープが張られて、見張り人が4人もいました。
バンテアイ・スレイ寺院、東洋のモナリザへの入り口。 左の塔の向って右の彫刻が東洋のモナリザと言われている。 (2003年9月17日撮影)
15メートルくらい距離がありますので、よく見えません。
ズームの利いたデジカメを買わないといけないと思いました。
でも、遠くからでもなんとなくその雰囲気は伝わってきましたが、やはり近寄って見たいと思うのは私だけではなかったようです。
●シェムリアップ市内
この向って右の像が、東洋のモナリザのはず。ズームのあるデジカメが必要である事痛感。 (2003年9月17日撮影)
シェムリアップの最大の繁華街であるオールドマーケットです。
まさに日本の50年前でも、もう少し賑やか?
でも、のんびりとした街でした
オールドマーケットはこの左の建物を入ったところでした。夜にはここで食事をしました。 (2003年9月17日撮影)
オールドマーケットの風景。 (2003年9月17日撮影)
シェムリアップ川のほとりを散歩。 (2003年9月17日撮影)
シェムリアップはアンコールワットのある市です。
国際空港もありますが、南北2Kmくらい東西も1Kmくらいではないでしょうか?
小さなこじんまりとしたカンボジアの都市でした。
これかはアンコールワットという観光財産を有効に活用して発展するのでは無いでしょうか?
大きなホテルが数箇所建設中でした。