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アンコールワットへの旅 2003年9月13日(土)の朝は快晴であった。
息子の車でJR静岡駅に着き、東名バスで、上郷まで行き、そこで岡崎から来る 名古屋空港行きのバスにて、無事に名古屋国際空港に到着した。
今回も一人旅になったが、途中では、多くの友人と交流があった。
● 9月13日(バンコク到着)
午後8時30分にはドンムアン空港に到着した。いつもTAXIはいやな思いをす るので、今回は到着ロビー(2F)から乗るのをやめて、出発ロビー(3F)ま でEVで上がってから、そこで捕まえることにした。
捕まえるまでもなく、TAXIの運ちゃんの方から乗ってくれとのお誘いがあ り、なんなくスクンビットのホテルに着いた。いつもよりはだいぶ安く130バ ーツであった。
友人に電話をして、まずは到着したこと、明日のゴルフの集合時間を確認して就 寝した。
● 9月14日(まずはゴルフで一汗)
朝、6時に食堂に下りて行くと、友人が迎えてくれた。
今回はスクンビットのカラオケのコンペだそうです。私は行ったことのないお店 なのですが、そこのところは例によってマイペンライのお国柄ですので、持ち前 のずうずうしさでエントリーをしてしまいました。
総勢6組26名(例によって5人組もあり)の大コンペでした。
エカチャイゴルフ場といって、ダウンタウンから北西に1時間くらいのところに あります。
エカチャイゴルフ場の1番のティーグラウンドでの風景です。 今日の一日を占う貴重なティーショト。おかげでフェアウウェイセンターを確保できました。 |
エカチャイゴルフ場はバンコクではめずらしく山岳的でトリッキーなコースです。 まさに日本的です。距離を出すよりも曲げない事が良いスコアにつながります。 (2003年9月14日撮影) |
全員、ダブルペリアでの争いで、私は43,44の87でHcpが9.5であった為、準優 勝。
危ないところで優勝してしまうところでした。一度も行っていないお店のコンペ で優勝などしたらとんでもないことになっていたので胸をなでおろしました。
実は日本にいるとき五十肩と診断されて、痛くて腕が回らなかったのですが、無 理してなんとかゴルフクラブを振っている状態でしたので、まさか80台で回れる とは夢にも思いませんでしたし、ゴルフが出来るだけでも幸せでした。
終了後、スクンビットに帰還して全員で反省会と表彰式で盛り上がりました。
とにかく30名くらいいた人の中で知り合いは私の友人のみでしたが、ママとかチ ーママはいやな顔もせずに私に接してくれましたので、ありがたかったですね。
その夜は当然、そのカラオケに行って歌を歌いまくり、就寝。
● 9月15日(ゴルフをしてからカンボジアへ移動)
本日はいよいよカンボジアへ出発の日です。しかし私は移動日には必ずゴルフをして 汗を流して、シャワーを浴びてから目的地に行くようにしています。
今日はいつも行っているプレジデントゴルフクラブです。
ホテルの前の流しのTAXIを拾って、出かけました。
帰りはゴルフ場でTAXIを呼んでもらいました。今までは行くのは良いのですが、TAXIを呼んでもらえるとは 思いませんでしたので、貴重な経験を積めました。これからもこの方法でゴルフ通いをしていくつもりです
プレジデントゴルフクラブへ着いたら大雨でした。しばらく待っていたら雨がやみスタートしました。 雨季ですので仕方がありませんが、マイペンライでのんびりプレーをいたしました。 このコースは雄大でOBも少なくバンコクではお奨めの美しいコースの一つです。右の写真はプレジデントゴルフクラブの東コースの最終コース。きれいな池がある名物コースですが、この池が 曲者で、2オンを狙うと、多くの場合この池に入れてしまいます。 難しい、最終のこのホールはバーディーは難しい。とにかくきれいなコースであります (2003年9月15日撮影)
何度も行っているコースなので、レイアウトを知っているおかげで43,43の86で回れてご機嫌 で、おいしいソムタムとカオニョを食べてからドンムアン国際空港へ出かけました。
空港に着いてシェムリアップ行きのプロペラ機に乗り込んで、夕方の6時頃、出発いたしました。
飛行機は80人乗り位の大きさで、満席でした。
陸路、車で行けば15時間くらいかかりますが、飛行機ならば1時間くらいで到着です。
シェムリアップ国際空港に到着すると、入国手続きをいたしますが、この時、前もってビザを取得していたのは 私だけでした。(出発前に東京のカンボジア大使館に行ってビザをもらっておきました)
ビザの無い人(私以外の全ての乗客)はビザ申請をその場でする為、ごった返していました。
おそらく最後の人は数時間後に入国したのではないでしょうか?
最も早い人でも1時間はかかっているようでした。
そんな中、私は悠々と一人だけすんなりと入国できました。
そこでとりあえず2000バーツをリアルに交換し(このEXCHEGEは後から考えると全く不要でした) 外に出ると、何と数十人のお兄様とか小父様が私を取り囲んできます。
ホテルまで案内させてくれといっているのか、それともホテルの客引きかは不明ですが、そのパワーに恐れをなして 、後ずさりしました。
あらためて、その群衆の中の顔色を見て、親切そうに見える青年を指差して、車で案内するよう指示しました。
その青年はソフィアと言います。(正しくはソーというファミリーネームとフィアというギブンネームであります)
これからの4日間は彼との共同行動になったのであります。
事前にホテルの予約も無く、行き当たりばったりでしたが、ホテルは案の定よりどりみどりでした。
その中で一流ではなくかといって不衛生ではない中流のホテルへ案内させました。
空港からダウンタウンまでの車の中で彼が私の希望を聞き取ります。
私は、もちろんクメール語は全く分かりません。彼は日本語はもちろんタイ語も知りません。
我々の共通語は全て英語であります。
とにかく、彼はこの私に4日間の案内役として雇って欲しいのであります。そのひたむきさには敬意を表します。
初めてのシェムリアップでしたので、他に当てもないし、新たにガイドを雇うには、面倒が発生するかもしれませんし、 この男が面倒を起こすかもしれませんが、そこは腹を決めて彼にいたしました。
そのホテルは最初40$/日と主張しましたが、首を横に振って、他のホテルにしようと帰ろうとすると、”Are You Mitsubishi?” と聞いてきた。”Yes”と答えたら、なんと23$にいきなりプライスダウンしました。
どうも、現地で三菱自動車か三菱重工か三菱商事がプロジェクトを実行中で、多くの三菱マンが泊まっているみたいでした。
ホテルのFRONTがプロジェクトの人間と間違えたみたいでした。
こちらは安く泊まれればいいのである。悪乗りをしてしまいました。
確かに観光客みたいな格好ではなく、スーツバッグ1個でカンボジア入りしましたから出張者と間違えたのでしょう。
今回はゴルフ道具とか大きなバッグはバンコクのホテルへ預けてきたので、身軽でした。
ラッキー!
これで契約成立、3泊する事を約束して荷物をおろした。
シャワーを浴びて、その後、夕食を食べにオールドマーケットまで行って、本日はベッドに入った。
エアコン付き、シャワーはお湯がたっぷりと出る、きわめて良好なホテルでありました。
● 9月16日(アンコールワットの朝)
朝5時にソフィアが迎えに来た。 彼との契約は7$/日のガイド料金でした。(ただしモーターバイクです) 車ですと数十$のはずであります。 早すぎるようですが、そうではありません。 なぜならば、早めに観光の許可証を購入しなくてはならないからです。 ここで3日分の遺跡観光料金である40$を支払って、許可証を購入します。 1日券は通常のチケットですが、3日間以上有効な許可証は写真添付が義務つけられています。 ゆえに必ず写真を持参しないといけません。 1分くらいで写真つきの許可証が出来上がります。 40$は高すぎますが、仕方がありません。カンボジア政府に遺跡の復興資金として入るはずです。 いよいよ遺跡めぐりが始まりました。 空はしらじらと明るくなり、アンコールワットに到着した頃はすっかり明るくなっていました。でも 日が上がってくるのはこれからでした。 多くの観光客がアンコールワットの入り口に集合していました。ガイドさんと別れて自由の身になって、目いっぱい散策しました。
観光料金所であります。 まるで日本の高速道路の料金所みたいですが、つくりは全く同じようなものですが、ここで3日間の観光料金40$ を支払いました。 朝はまだ暗いうちにOPENしていました。結構きれいな日本語を話す娘さんがいましたが、毎日日本語の語学学校へ 通って覚えているのだそうです。 (2003年9月16日撮影)右の写真はアンコールワットの朝焼けです。本当にきれいです。おごそかです。 まして、この日は風も無く、名物の池にアンコールワットの全景がくっきりと浮かび上がりました。 自分で言うのも、おこがましいですが、本当に美しい写真が撮れたものと自負しています。まだたくさんの写真が手元にあります。 (2003年9月16日撮影)
ゆっくりと一歩一歩アンコールワットの門に近寄っていきました。
なにか歩いている間に体の中になんとも言えない緊張感が走り出し、いやが上にも、心が躍りました。
さらに歩を進めるとアンコールワットの左右に大きな池がありました。 この池の前から撮る写真がアンコールワットの代表的な写真になっていますので 早速、まず、右の池に出向きました。
朝日に向って、まずこの門をくぐります。 クメール文化の中心であったであろうアンコールワットの入り口に立ったのであります。 (2003年9月16日撮影)天気は快晴、風も無く、まさに私は大歓迎されて、ここアンコールワットに招かれて来た ような思いが強く感じました。じっくりと眺めてその偉大さを味わい写真を撮っていました。
右の池に浮かぶ朝のアンコールワットです。右は池の手前の芝も入れてみたアンコールワットです。 (2003年9月16日撮影)
誰もいません。もったいないような空間と時間を持ち、空がかなり明るくなって、一人のファラン がカメラを持って近づいてきました。
私は、今度は左にある池に移動しました。下の写真は左の池からのアンコールワットです。
中に入ると回廊が3重に作られていて、正しくはこの回廊を外側から順に回りながらおまいりするのでしょう。
左の池に浮かぶ朝のアンコールワットです。さらに左に歩くとこの右の写真のようになります。 (2003年9月16日撮影)
しかしながら、暑さもあるし体力も考えながらおまいりする事にした。
アンコールワットの中の回廊です。 (2003年9月16日撮影)回廊には多くの文様とか彫刻が存在し、専門家でなくても、1000年も前にこれだけの財力、知力、芸術度の充実が 存在した事は当時としてはまさに世界の一級国であったと思われます。
アンコールワットの中の回廊です。 (2003年9月16日撮影)
回廊の壁に存在する文様。 (2003年9月16日撮影)
回廊の壁に存在する文様。 (2003年9月16日撮影)
上に登る事は比較的楽である。階段が東西南北にそれぞれあるが、登るのはなんとかがんばれる。
アンコールワットの上から見る門とその外にあるジャングル。 (2003年9月16日撮影)右はアンコールワットの頂上を真下から見たアングルです・・・・・・・・。
しかし問題は下りであります。現実に先月、ここから転がり落ちて死んだ人がいたそうです。
降りるときには南面の階段だけ手すりが付いていました。
皆様も危険を最大限、回避しておまいりしてください。
アンコールワットの上に上る階段で唯一手すりがある南面。 (2003年9月16日撮影)右はアンコールワットの上から見る周囲のジャングルの風景。
アンコールワットの中の回廊です。 (2003年9月16日撮影)
もともとは、このアンコールワットはヒンズー教の総本山でありました。
アンコールワットの頂上の全貌を把握すると・・・。右は頂上を独特の柱間から見る。 (2003年9月16日撮影)
仏教と間違えやすいのですが、1600年代徳川家光の命を受け、当地を訪れている日本人もいました。
この偉大な遺跡を仏教の総本山と勘違いしても仕方が無かったと思われます。
アンコールワットの頂上の中央にある寝はんぞう。これ以外に数体の仏像が安置されていました。 (2003年9月16日撮影)右の写真はアンコールワットの見学を終わってこの出口があのピーマイ遺跡に繋がっていると思うと感無量。 アンコールワットの入り口には多くの物売り(フイルムとか絵葉書など)がたむろしています。
アンコールワットの見学を終わって振り返ってみた構図。まさにカンボジアの国旗そのままでした。 (2003年9月16日撮影)
実際、うるさいくらいです。でも彼らは他に生きていく方法がない為に必死ではないでしょうか?
それも全て米$での売買であります。
市内の食堂もこの観光入場券もさらにAIRPORT TAXまでもです。
空港でリエルに交換する時に”本当に交換するのですか?”と確認された理由が入国後に分かりました。
カンボジアは$があればどこでも通じます。 リアルは不要なのです。信用されていません。
自国の通貨を信用しない不思議な、それだけ不安定な国なのです。
食堂で、おつりの一部を、近寄ってきた女の子に恵んであげたところ、その数十秒後に、多くの子供たちに お金をくれと囲まれてしまいました。
残念ですが貧しい国なのです。
アンコールワットの見学を終わって・・・・さよなら! (2003年9月16日撮影)朝、6時には入場して散策したアンコールワットでしたが、9時30分頃に出てまいりました。
最も気に入った作品! (2003年9月16日撮影)
しかし、登ったり降りたり、相当の疲れを感じました。
また、この暑さは、あまり無理すると良くないので、一度ホテルに戻り、昼寝をすることにしました。
その後の旅行記についてはアンコールトム周辺の旅に記しますので、ご覧ください。
- ・アンコールトム周辺への旅へ
● 9月18日(アンコールワットへ再訪)
バンコクへ戻る日、今一度、アンコールワットへ行ってみました。
今回は、バルーンに乗って上空からアンコールワットを見てみようと11$を支払って一人でバル−ンに乗り込みました。
バルーンに乗ってみるアンコールワット! (2003年9月18日撮影)
バルーンに乗ってみるアンコールワット! (2003年9月18日撮影)
バルーンに乗ってみるアンコールワット!最後の最後まで、私の心を楽しませてくれたバルーンはお奨めです。 (2003年9月18日撮影)バランスの良いアンコールワット!左右の塔がわずかに傾いている造形芸術は、1000年も前のものである事に驚かされる。
アンコールワット、それは、世界遺産であるというだけでなく、心から親しめる遺跡であると思われました。
また、これはカンボジアにとっても大きな財産であります。
もちろん、世界の人にとっても!
いつまでも現在の状態を維持し後世に残してほしいと思いました。
また、近いうちに必ず訪れてみたいと思いました。
翌日はアンコールトム周辺へ出かけました。
アンコールトム周辺の旅は
- ・アンコールトム周辺の旅へを見てください。