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バンコク訪問(2002ー5月)


●2002ー5月のバンコク市内

毎年訪れているバンコクへ今年もお出掛けしました。ゴールデンウイークをフルに使って!皆様も是非”天使の住む都”へお出掛け下さい。



でもこの頃、評判の良くない話(つまりまずい蟹味噌カレー)を耳にする。
その理由は次の通りです。
ソンブーンは市内に5店舗あります。バンタットン、チャイニーズ、スリフォン、バンナー、ラチャダです。
スリフォン店はその昔は本当においしかったですよ。しかし、ご承知のように繁華街のど真ん中で観光客の多いこの店は数年前から、お客をはかせる為に、本来のシェフではない人も調理場に手を出すのだそうです。
(かなり、詳しいタイ人が言っていました)故に混み合う時にはこの店は味が落ちるという事です。(特に日本人は適当でもアロイ、アロイと言ってツアー客が来ると思っています)
本当はそうではなく、本来の味、サービスを提供すべきなのでしょうが、日本人をなめていますね。
そこで御薦めのお店はバンタットンです。ここが本来のソンブーンの本店ですし、発祥の店だそうです。
BTSの終点のインターナショナルスタジアムの近くです。スタジマムの西側でBTSの設置してある道をそのままチャオプラヤ川の方向に約500メートる位行くと信号があります。
(確か2個めの信号)を南側(つまりスリフォン側)に曲って2ブロック行って左に曲る(スタジアム側に戻る)と右側にバンタットン店があります。
ソンブーンの店を出て、100メートル程歩いた所にスタジアムがありまして、アジア大会の金メダルをとった選手の名前がスタジマムの壁にプリントされているのを(日本選手が殆どです)思い出します。
この店のカニミソカレーを食べに行く目的だけでバンコクに行く友人がいます。つまりおいしいのです。
BTSで行ってもよいのですが、ご存知のように、ソンブーンまでは歩くには暗すぎます。
やはりTAXIが良いです。どうもお店により味が違う事はタイ人も知っています。
スリ


フォンはまずい(マイアロイ)といって行かないそうです。

昔のバンコクは本当に移動に苦労した。僅か数百メートルに数時間掛かった事もある。
しかし、今では相当改善されている。今回、ラマ8世橋が2000-5-7に開通し、たまたま当日の記念すべき日にこの橋を渡ってみた。
この開通日に渡る事が出来た数少ない日本人になれた事を嬉しく思います。
この橋の為に王宮前の交通量が減り渋滞が大幅に緩和されました。トンブリの方に渡るのに王宮前まで行かなくても良くなりましたし、帰りも順調です。
橋もさる事ながら、下の写真のスカイトレイン(BTS)の開通も本当にありがたいですね。
バンコクの行きたい所の殆どがこのBTSで行けるし、渋滞知らずはお金に換えられません。
特に夜の外出の帰りはTAXIでこのBTSのSTATIONまで行って、BTSで帰ってくるのが良いですね。

ソンブン          BTS
日本人にもタイ人にも人気のある、ソンブーンの蟹味噌カレー。これを御飯にかけて食べると何ともいえない 良い味で、これを食べる為にバンコクへ行く人もいる。

2002-5-4 撮影

このスカイトレインでバンコクの主要な所へは殆ど行くことが出来る。回数券を買込んでおくと便利です。この回数券 を買う時、循環バスの無料券をくれますので、このバスも合わせ活用すれば、スクミットとペプリの殆ど主要な所をカバー出来ます。

2002-5-4 撮影
SOGOの前                 ZENの前
SOGOの前のエラワンをお祈りをする人々。

2002-5-6 撮影

ZENの前からペプリの方向を見る。ご覧の通り、一方通行であるので、バンコクでは 目的地に近づいても車ではとんでもなく遠くまで行って引き返してこないと、着かない。 一方通行でもバスだけは対面交通が出来る。(右端)バスを使うと便利です。

2002-5-4 撮影
EXCHANGE     プレジデントゴルフ
この様なEXCHANGE車をトレーディングセンターの入り口で見かけました。日本にも見かけません。 タイはもう部分的には日本に追いつき、追い越していますね。

2002-5-4 撮影

プレジデントゴルフのスタート時に撮影しました。本当にきれいなゴルフ場で特にグリーンの仕上げはアメリカ並みです。 キャディの質も良く(中にはオカマも居ますよ)気持ち良くPLAY出来ます。それでいて1ラウンド1400B(4200円)で出来ました。火曜日にPLAYした時には特別料金で700Bでした。

2002-5-5 撮影
タイ1番の仏塔    寝像
バンコクから1時間半ほど車でいった所(ナコン・バトム)にタイで1番大きな仏塔(プラ・パトム・チェディ)があります。 仏教の聖地としてタイ人に親しまれています。

2002-5-7 撮影

この仏塔(プラ・パトム・チェディ)の周りを歩くと約30分で1周で来ますが、途中にこの黄金の像があります。

2002-5-7 撮影




●ワットポーと王宮とワットアルン(暁の寺)災難続きの一日

2002年5月4日(土)にワットポーと王宮とワットアルン(暁の寺)へ出掛けた。この日はバイオリズム的には最低の日では無かったか?
ホテルの前からTAXIに乗ってワットポーへ向かった。運チャンがさかんに1日チャーターしてくれれば、600Bで良いとか、門の外で待つとか言って(英語)交渉を始めた。
断るのだが、なかなか彼は諦めない。スクミットを真っ直ぐに西へ行けばよいのにルンビニ公園の方向に曲ってしまった。
良く見るんとメータを倒してない。”メータ”としかるように言いつけたが、彼は受け付けない。”STOP”しろ、と日本語でどなったら、なんとか止めた。
すぐに車を下りて、ただ乗りしてやろうと思ったが、何か面倒が起こるといやなので、20Bの紙幣を2枚助手席へほうり込んだ。
そしてそのTAXIが走り去るのを見て、手を下げて(手を挙げるのは日本式で下げるのがタイ式)TAXIを止めて、”バイ、ワトポー、ダイマイ"と覚えたてのタイ語で交渉し、やっとワットポーに着いた。
皆さん!メーターを倒さないTAXIは料金をぼるのです。思いきって、勇気を出して、降りましょう。これがこの日のケチのつきはじめでした。

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●カンチャナブリ・・戦場に賭ける橋

カンチャナブリ、それは我々日本人と欧州ならびにオーストラリア人にとっては忘れられない名前の一つである。 あの第二次世界大戦中にこのタイからビルマ(現在はミャンマー)まで死の鉄道が敷かれた事であまりにも有名だからだ。

ワットポー         ワットポー
ワットポーの雄姿。ここでは例のタイマッサージの技術者の養成も行われている。

2002-5-4 撮影

ワットポーにある御本尊。

2002-5-4 撮影

次に王宮へ出掛けた。ゆっくりとワットポーを見てまわったので王宮には正午を3分ほど過ぎた。チケット売り場に来たら、なんと締め切られた後であった。
月曜日まで開きません。とあっさりと言われて仕方がなく、船着き場に行く。今朝ほどのTAXIが最初の災難としたら、2度目の災難が待っていた。
それはワットアルンに行くのに400Bだと言われた。しつこいばあさんで、そのしつこさを振り切る為に、近くの食堂(屋台に毛が生えた様な)に入った。
友人用にビール2本、私用にナムチャを1杯、注文し、つまみに野菜炒めとヤムウンセン(辛いタイのサラダ)を頼んだ。そして店員に”無効の岸に行くのにどの船に乗るの?
そして幾らなの?”・・勿論、タイ語で聞いたら、なんと2Bだと言う。畜生め、あのばあさんは、ぼるつもりだな。
とにかく、この渡し舟の悪徳商法は有名です。皆さん気をつけて!
そこで、意地でもそのばあさんの言う通りにはしないで2Bの船に乗って、トンブリ側に渡り、TAXIで35Bを払って、ワットアルンへ到着した。
ここでまた災難、なんと大きな寺なので、山門を入る(通常は船で渡ってくる観光客が多いが、我々はTAXIで乗り付けたので山門から入った)と2名のタイ人がやってきて、 記帳して欲しいと言ってきた。
見れば、全世界からやって来ている名簿である。光栄であるので、名前を書いて、FROM:JAPANと書き込んだ。 金額欄があったので1行前の米国人が200Bと書き込んであったので100Bと書き込んだ。だが、待てよ!どうもおかしい。友人は別冊の記帳をして、お金を手渡す所であった。
”チョト待て”と声をかけて、このノートをめちゃくちゃに線を書き込んで、タイ人の手に手渡した。”いんちき”というのが分かったからだ。皆様も気を付けてください。
友人は”良く気が付きましたね”としきりに感心してくれたが、冷静になって考えれば、賽銭を記帳し手渡しでタイ人に渡すのはおかしいですよ。
でも実際に賽銭箱でも置かれて、それなりの服装をしたタイ人がいたらだまされていますね。 これは物凄い収入になる。・・・タイ人さん:再検討したら?

暁の寺             暁の寺
写真はワットアルン(暁の寺)である。三島由紀夫の小説で一躍有名になったトンブリの寺院で、チャオプラヤ川 に映るその姿は美しい。


ワットアルンはタクシン王の像が今も守る。このアングルが最も人気のあるアングルです。とても暑い日でした。

2002-5-4 撮影
第二次世界大戦記念館   第二次世界大戦記念館
ここは第二次世界大戦記念館。この粗末な台が当時の捕虜が使ったベッドです。 うなぎの寝床みたいな博物館を入る、入り口から少し進んだ所の写真です。

2002-5-6 撮影

第二次世界大戦記念館の出口なのです。記念館と言っても当時の日本軍のチェックが厳しく、 証拠になる物は全て廃棄させた為と言われています。 当時の面影を残すものは殆ど有りません。もし持っていたら銃殺なのでしょう。故に展示されているのもは寂しい物ですが、後世に訴えている物が何なのかは分かります。

2002-5-6 撮影
連合軍墓地   戦場に賭ける橋
このカンチャナブリで無くなった連合軍の墓地です。二十歳前後の若者が日本軍の強制労働でこの地に果てた事実は多くの 欧州人の心に焼き付いているし、観光客も一字一字ゆっくりと読んでいる。日本人にとっていたたまれない、気持ちになってくる墓地です。とても暑い日でしたが、一つ一つの墓地を 丁寧に見つめながら、お参りしている、欧州人の老夫婦には、頭が下がりました。

2002-5-6 撮影

戦場に賭ける橋。ここが有名な橋なのです。この橋を作り、当時のビルマまで兵器や兵員や武器弾薬の輸送を託したのでしょう。

2002-5-6 撮影
戦場に賭ける橋   戦場に賭ける橋
戦場に賭ける橋。この時にはブーゲンビリアが美しかったが・・・あの当時は?今は観光客で賑わっています。

2002-5-6 撮影

戦場に賭ける橋を歩いてわたる。鉄橋ですので、それほど恐くは有りませんが、板、数枚を交互通行しますし、足でも つかえたら、川に落下する恐れはあります。気をつけて渡って下さい。

2002-5-6 撮影
戦場に賭ける橋を渡る汽車の中   汽車
戦場に賭ける橋を渡る汽車の中。冷房も無く、決して快適な椅子でもないが、満員の客を乗せて、ビルマ国境近くまで、行っている。 この写真は丁度橋を渡っている最中で、客は窓の外に目をやって、クワイ川の美しさを端野しています。なお、料金はカンチャナブリ駅から5バーツ(15円)で約1時間半の汽車の旅が出来ます。

2002-5-6 撮影

戦場に賭ける橋を過ぎて1時間程走ると高級リゾートホテルがクエー川に浮んでいる。右は断崖絶壁、左はクエー川で、この鉄道を開設する時の苦労がしのばれます。 ここの食堂で昼食を摂りましたが、結構美味かった。(アローイ、マーク)

2002-5-6 撮影
汽車
川はリゾートホテル、山は絶壁を削って鉄道を敷いた。こんな所でゆっくりと1日を過ごすと、時計がゆっくりと廻っている事が実感出来ます。 帰りはここから、車でカンチャナブリまで戻りました。

2002-5-6 撮影


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バンコク散策2002


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