トップページに戻る

アンコールトム周辺への旅


アンコールトム周辺への旅U

2005年2月26日(土)の夜にカンボジアのシェムリアップに到着し翌日はアンコールワットとアンコールトム周辺を散策しました。
2度目の訪問になるアンコールトムならびにその周辺の旅行記を書き込みます。

アンコールワットのにつきましては
・アンコールワットへの旅Uへを見てください。

アンコールワットからわずか車で数分(1Km)の所にアンコールトムがある。

下図はアンコールトム周辺の地図であります。
(C)日本アセアンセンター

途中、南大門をくぐりました。いよいよアンコールトムの世界であります。

■バイヨン寺院

 これは12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世が観世音菩薩を祭るために建立した、アンコールトムの中心に立つ仏教寺院です。
すべての道はアンコールに通じ、訪れし旅人にはバイヨンが微笑む。「バイヨン」がアンコール・トムの中心なので、この寺院に一日の半分から三分の一を費やしてもよいと思います。
この寺院自体は、アンコール・ワットほど大きくないので、まず回廊の彫刻を意識しながら周ったら良いと思います。

バイヨン寺院は観音菩薩の四面像(「クメールの微笑」といわれる)が特徴で、これが196面もあるため、たくさんのシャッターポイントがあります。
実は東京ディズニーランドのアトラクション「ジャングルクルーズ」の中に、この「バイヨン」が登場している。本物と見比べてみましょう。



 
左の写真は南大門に入るレンタカー、右の写真はバイロンの全景、この山のような岩に196面の仏像が彫られている。すごい迫力であります。2005-2-27撮影

このアンコールトムはアンコール朝の絶頂期を演出したジャヤヴァルマン7世によって造営された都城。その中心には仏教寺院バイヨンが立ち、慈悲深い微笑を浮かべた観世音菩薩の四面仏が、四方を見渡しています。

 

アンコールトムとは「大きな町」という意味であり、周囲十二キロの城壁内には十字に主要道路が配置され、その中央にそびえるのが、寺院「バイヨン」である。
一時 運転手と別れ、バイヨンに入ってみることにしました。

以下いろいろな微笑を持つ今回の傑作集を添付します。

 

 

 


アンコール・トムは一辺3q、つまり9平方qの広さを持つ。「トム」は「大きい」の意味で、カンボジア人はこれを大アンコールと呼ぶ一方、アンコール・ワットを小アンコールと呼ぶ。


トップページに戻る

■バプーオン

 ピラミッド形のヒンドゥー寺院で、11世紀中頃にウダヤーディティヤヴァルマン2世によって建立されました。シャムとカンボジアの戦争に際して、カンボジアの王妃が王子をここに隠した、という伝説のある寺院。
「バプーオン」とは「隠し子」という意味である。私たちが訪れた時(1990年半ばからまだ修復工事中であります)は、修復中で中に入れなかったが、特に第二回廊のレリーフには一見の価値があるようです。
この寺院への入り口にある空中回廊が印象的でした。


 
左の写真はバプーオンです。長い事工事をしています。
右はライ王のテラスからバイロンの方向を見たところです。この道路を大きな軍隊が勝利を凱旋し、このテラスで王がこの凱旋を迎えたのです。
当時の東南アジアを掌握しタイを支配しベトナムを従えたクメール王朝は、800年後に地雷原により多くの近隣諸国よりも立ち遅れる国家に成り下がっていようとは思いも及ばなかった事でしょう。


■王宮跡



王宮跡です。                

■男池・女池

 当時の水浴場であるが、やたら大きいのでプールといった感じ。


  ライ王のテラス

 通路に描かれたデヴァター(女神)像はみな違う表情をたたえています。テラスにあったライ王像は、現在はプノンペン国立博物館に。 「癩病の王」の彫像が安置されていたため、こう呼ばれているが、実際には、バラモン教の地獄神「ダルマラージャ」がモデルだと言われている。この彫像と、蛇を恐れかつ愛したアンコール文明にヒントを得て「癩王のテラス」という戯曲が書かれた。作者はあの三島由紀夫である。



このテラスはすごい!表面にあった彫刻はプノンペンの博物館に移設されているそうです。それでも残存するものでも、それはそれはすばらしいものです。
このテラスは本来のテラスの壁の裏側にもう一つの壁があります。右の写真がその裏側の壁の彫刻です。表面上に見えるものだけでなく裏側の壁も是非、ご覧ください。

    勝利の門

 戦いに勝利を収めたクメール軍は、この門をくぐって城内へ入り、王の立つ「象のテラス」へとまっすぐに行進していきました。

この勝利の門を将兵が凱旋した時に、どのような気持ちでクメール人は迎えたのであろう。左の写真の右奥に見えるのが勝利の門である。このように多くの石像が並んでいる。
もちろん右の写真は勝利の門の全景。


  象のテラス

 南北350mの王宮のテラス。東側の壁面には象が彫られていることから、こう呼ばれています。王はこのテラスで戦いから凱旋した軍を迎えました。


    南大門

 四面仏が門の上に鎮座し、参道には「乳海攪拌」をテーマにしたナーガを引き合う神々と阿修羅の像が並んでいます。

■タ・プロム

 自然に破壊された遺跡に達するまでの長い道を歩いていると、現在から取り残されそうになります。以下に今回の写真集を掲載しますが、この写真以上に実際は迫力がございます。
それほど長いわけではないのに、いつまでも続く道のような気がします。
自然に侵されたこの遺跡には心を奪われるでしょう。
とにかく長い間埋もれていたこの遺跡は本当に自然界の力をあらためてすごいものだと教えています。

  
たった一羽の鳥が落とした種がこのように大きな樹木に成長しました。その間、全く閉鎖されていたこの遺跡は、ご覧のように周囲の塀を簡単に乗り越えてしまった樹木で覆われています。

  

  

  
最初に訪れた時にはこのような西側に大きな樹木がある事に気が付きませんでした。今回はこの遺跡の裏側(西側)にも足を伸ばしてみました。


  
この右の写真の左側の塀の少し壊れたところから西側の庭に廻れる小道がありました。ここを進んでいくと、さまざまな形の巨大な樹木に出会えます。いずれも2005-2-27撮影

■タ・ケウ

 幾何学的立体美のピラミッド形寺院。どうやって石を積み上げたのだろう、などと考えながらのぼってみよう。すばらしいのはやはりその外観である。
 
左の写真がタ・ケウです。とにかく昇ってみましょう。左の写真はアンコールワットの頂上から出でる朝日をこの2月27日の午前7時に撮影しました。
トップページに戻る

■ バンテアイスレイ

今回のアンコールトムの最後の観光にバンテアイスレイへと向った。少し遠いのでさらに5$の運賃の上乗せを要求してきた。5$余分に支払っても行って見たい東洋のモナリザがあるここバンテアイスレイへは車で30分くらいで到着した。

 
左の門がバンテアイスレイの入り口です。この門をくぐると右の写真のようにこぎれいな道になっています。

 
中門をくぐる時に上を見てください。すばらしい彫刻が拝めます。


  
東洋のモナリザはこの中にあるそうです。実際は見せていただけません。
写真はこのモナリザと類似した像が周囲に数体ありましたので撮影いたしました。

 

  


午後2時頃に一度ホテルに戻りシャワーを浴びて休憩し、午後4時に再びプノン・パケンへと向った。夕日を見るためである。すでに多くの観光客が集まっていた。

■プノン・バケン

日の出、日没を見るために行く高地である。丘の上の寺院で、それ自体たいした遺跡ではない。しかし、ここから観るアンコール・ワットは美しい。
一種の展望台である。その意味でも、雨期は避けた方がいいだろう。一見の価値あり。
夕陽の絶好のビューポイントであります。
アンコール聖3山のひとつで、第1次アンコール王都の中心です。
高さ約60mの小さな丘はメール山に模され、9世紀末にヤショヴァルマン1世によって、ヒンドゥー教のピラミッド形の寺院が丘の上に建てられました。
頂上からは樹海の中に浮かび上がるアンコールワット、巨大な貯水池の西バライなどが一望のもと。
特に夕陽を眺める絶好のビューポイントとして知られ、夕暮れ時には多くの観光客が訪れます。ここからはまた、アンコール朝の石建造物の素材である砂岩の石切り場だったプノンクレーン丘陵も、はるかかなたに見渡せます。

  
プノンパケンの夕日です。 右はこの夕日を見に来た観光客です。

2日間の観光コースを1日で消化し、夕方にはバイロンレストランでカンボジア踊りを見ながら夕食となった。楽しかった一日の思い出を語りながら良い日であった本日に感謝。(2005−2−27)

  

アンコールワットのにつきましては
・アンコールワットへの旅Uへを見てください。


トップページに戻る