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ホアヒンへの旅

ホアヒンへの旅

●4月26日(土)
2003年のゴールデンウイークはタイの王族の避暑地、ホアヒンへ行く事になった。
2003年4月26日(土)のゴールデンウイークの初日に、JR静岡駅の新幹線に乗り込み、名古屋駅からバスにて名古屋空港に着いた。
ところが、SARS(新型肺炎)の大流行で海外旅行が大幅に減ってしまった。
おかげさまで、どこに行っても空いている為にこんなに楽な旅もないものであった。
現に、名古屋空港はいつも、入国審査場へは長蛇の列で、数十分して、やっと手続きが出来るのであるが、今回は、ボーディングパスを手にして、全く誰も並んでいない入国審査室へ、すっと入れた。
また、待合室でも、本当にこれがゴールデンウイークなのかと疑りたいくらい、ガラガラの状態であった。 いつもは海外傷害生命保険などは目もくれないで、出掛けていたが、今回は一人旅なので、
万一病気の時に助けがいないので、せめてお金で不自由はしない様に、
またカミサンにも1億円くらいの保険金をプレゼントしておこうと、保険に入ってから入国審査をした。
飛行機の中も1列で2〜3席が空席で、これでは航空会社は赤字であろうと思われた。
念の為、空港内と飛行機の中ではマスクをしていたが、ドンムアン空港から外に出たら
、このマスクを外して旅行をした。
マンハッタンホテル         名古屋空港       左の写真は今回泊まったマンハッタンホテルのSMOKING専用エリアです。バンコクでは2002年の秋から、この様にタバコは決まったところだけで飲めます。違反をしますと個人は2,000バーツ、業者は20,00バーツの罰金です。(2003年4月27日撮影)
右の写真はSARSの影響でガラガラの入国審査室前、中央のSQのスチュアーディスが思わず、立ち止まって眺めていますね。こんなにすいている名古屋空港は初めてでした。(2003年4月26日撮影)

途中、SARS(新型肺炎)のチェックは全く無く、本当にうわさばかりが先行して、
実際は問題ないのに旅行を取り止めた人には申し訳ないくらいだ。
空港では円をバーツに両替してTAXIに乗り込んだ。
快適なFLIGHTは私を午後8時30分にはドンムアン空港に運んでくれて、
午後10時にはスクンビットのホテルのシャワーを浴びさせてくれた。
バンコク駐在の友人に無事到着の電話をしたのは午後10時30分であった。
友人も“ようこそ御出でくださいました。大歓迎です”と喜んでくれました。
明日の朝のGOLFのPICK UPの約束をして、早々にベッドに潜り込んだのは、午後12時頃になった。
(日本時間では夜中の2時である)

● 4月27日(日)
朝、目が覚めた。午前5時である。天気も良い。
いよいよ、10日間のタイ旅行のスタートである。そのスタートにふさわしい快晴に心も踊り、
早めの準備に取り掛かる。1Fの食堂に朝食を食べに行く。
今回は一人旅の為に体調は自己管理にする為に、腹八分目で止めておいた。
約束の6時30分には、友人のTさんが“いやー、しばらく!お元気でしたか?”
と声をかけてくれました。
Tさんとは昨年末から今年の年始にかけて、7ラウンドを連続消化した仲である。
・2003年正月のGOLFへ
5ヶ月ぶりの再会に日に焼けたお顔は健康そのものでした。
しばらくを、バンコク市内を走り、そのうちに郊外のきれいな景色に移り、
車の中で世間話をしているうちにGOLF場に到着したのは7時10分であった。
ムアンエグというGOLF場で、アユタヤに近いところであった。
いつも、いつも感心させられるタイの手入れの良いGOLF場である。
ムアンエグゴルフクラブ      ムアンエグゴルフクラブ     左の写真はムアンエグゴルフクラブのスタート前、本日担当のキャディーさんと。たまには自分写真も載せます。(2003-4-27撮影)
右の写真はスタート前の1番ホールへ向かう道沿いにある池に9番のグリーンが美しい(2003-4-27撮影)

現地で、友人のSさんとKさんと合流し4人でラウンドをした。
プレイ代金は1000バーツ(約3000円)で、本当に楽しめた。
スコアもまあ、まあでプレイ終了後おいしいタイ料理を食べた。
この食事中にかなり大粒の雨が降った。雨季の始まりである。でもこの雨はすぐに止む。
GOLFが終わった後の雨であるので、池に出来上がる雨粒の輪をぼんやりと眺めながら、
これからのタイ旅行に静かに思いを馳せた。

友人3名に、これからホアヒンへ行くんだよと言ったら、彼らはびっくりしていた。
“TACさん、通常の人はホアヒンへ行くには車をチャーターしていくのですよ。
それも午前中に出発するのが普通でGOLFをしてからとは・・・”との事でした。
私は今から、南バスターミナル(サイ・ターイ)まで行って、
そこからホアヒンまでバスで行くつもりでした。

GOLF場で3人の友人に分かれ、友人の車(タイ人の運ちゃん付き)を借りて、 南バスターミナルまでやってきた。

タイ人は知らない事も知っていると言う傾向が強い。
この運ちゃんも南バスターミナルを知っているか?と聞いたら知っていると答えた。
ところが、実際は知らないのだ。概略は知っているのであるが、たどり着く事が出来ない。
3時にはGOLF場を出たのに、なんと南バスターミナルには午後5時30分になってしまった。
でもこの運ちゃんはホアヒンへの切符の購入場所を探してくれたり、
荷物を持ってくれたり、感謝感謝である。
南バスターミナル    ホアヒンへのバス車内         左の写真は南バスターミナルのひととき。出発前の少しの時間であったが待合所を撮影してみた。本当にココはタイらしいロケーションであります。(2003-4-27)撮影
右の写真はホアヒンへのバス発車前の風景。このあと車掌さんが飲み水のサービスをしてくれました。(2003-1-3 撮影)

ここからの1週間は日本人に全く会わず、日本語を全く使わない1週間になりました。
そして、バスの人になった。バス代金なんと128バーツ(約360円)でした。
安い。距離にして約250km程(静岡から千葉の幕張くらいかな)あるので、
このコストパフォーマンスがグローバルになった経済としてみると
日本のバス賃もこの金額まで近ずくまで、デフレが進行?するかもしれません。

インターネットでの情報は、バスのエアコンが効きすぎて風邪を引くとか、
半ズボンはやめろとかタイ人の客からもらい物をすると、
気がついたら荷物がなくなっているよなどと、情報を得ていた。
しかし、実際に乗ってみると、本当に快適な上等のエアコンバスでした。
温度調節も絶好調、お客様も質が良い。こんなに安いバス旅行は今までにした事が無い。
こんなに快適だったのならばいままで常に飛行機を使っていた タイ国内旅行(チェンマイとかチェンライとかプーケットなどなど) を今後はバス旅行に変更するつもりです。

バスが適当に止まると物売りが乗り込んできて売りまくり、また適当にスピードを緩めた所で、
その物売りが降りますが、そのタイミングというか、阿吽の呼吸というか、まさにお見事で、
ユーモアもあり、タイの暖かさを感じるのはバス旅行の楽しみの一つであります。

長所は
1. 安い。(抜群の経済性)
2. リクライニングがかなりいける。(寝る事も可能)
3. 車内は非常に小奇麗。
4. 乗車後、ミネラルウオータ1本のサービスがつく
5. 乗客とひょっとしたら仲良くなれる。
6.売り子が乗り込んでくるので、飲み物とか食べ物には困らない。

しいて欠点を述べるならば、
1. 夕方、暗くなっても車内照明が点かない。点けない。何か不気味でした。
2. 車掌に愛想がない。(たまたまかも)
3. 全く、案内がないので、今何処を走っているのかは不明(タイ語だから理解できないが)
4. 最後尾の座席の下にトイレがあった。
(実は知らなかったが、途中、美人が通路を後ろの方に移動したので、
何事か?と振り返ったら、その座席の下に消えて行ったので、多分トイレであろう。
照明が点いていたら美人はトイレに行けないのかも?・・・でも昼間もありだな?)
残念ながら照明が全く無いので、明るいうちに一度用を足しに行かないと、要領がわからない。
とに角、多いに気に入ったよ。
座席は車掌が指定してくれた。それが本当にラッキーな事にタイ美人の隣であった。
最初は初対面であるし、共通の話題も無いので互いに黙っていたが、
そのうちに彼女の方から話しかけてくれた。タイ語である。
“どこに行くの?”“いつタイに来て、いつまでいるの”とか“ホテルの予約はしてあるの?” などなど。
彼女はボーイフレンドがホアヒンのバス停まで迎えに来てくれるとの事でしたが、
ホアヒンに着いた時に、そのボーイフレンドが来ていなかったので、
私の為に、トクトクとの交渉をしてくれた。行き先のホテル名もきちんとトクトクの運ちゃんに
タイ語で伝えてくれた。予定よりも遅れて到着したホアヒンでどうしようかと考えていた懸案も
この女性のおかげで、なんなくホテルへ到着できた。
別れ際に、その親切に感謝の言葉を言ったが、うまいタイ語で話せない。
日本語で言っても伝わりっこないので、英語で言ったら、なんときれいな英語で返事が返ってきた。
とてもきれいな英語だねとほめたら、さらにきれいな英語で本当に有難うと答えてくれた。
こんな事なら車内でも英語でやり取りをすれば良かったと思っても後のまつりでしたが、 本当にやさしいタイの女性に会えてよかった。
お礼に日本の菓子である“うなぎぱい”をひと袋渡し、別れた。
名前も聞いたが忘れた。こんな事があるので、一人旅は好きだ。

ホテルに着いたらトクトクの運ちゃんが80バーツをよこせときた。
バス停からホテルまでの通常の料金は30バーツと聞いていたので、
30バーツとばら銭数バーツ(多分10数バーツ)を彼の手のひらに乗せて、
ホテルの中へと足を進めた。
ホアヒンのホテル到着は夜10時になっていた。
シャワーを浴び、朝のGOLFと昼の疲れが眠りを誘った。

● 4月28日(月)
ホアヒンの朝も快晴でした。
海岸を散歩しながら、朝市のあるところまで歩いてみた。
ホアヒンの朝    ホアヒンの朝        ホアヒンの朝、海のビューポイントから見る。散歩の途中に朝日が海の向こう側から昇ってきました。まさにパタヤの海岸方向から朝日が昇ってきます。
本当にきれいなホアヒンの朝、ホテルの窓から見る海と朝日。(2003-4-28)撮影

現地人が“かゆ”とか“センレック”とか“飯”を食べている。その中から、
火を完全に通している鳥とセンレックを注文し朝飯とした。
まさにタイ人になりきった朝飯であった。
ホテルに戻り、GOLFバッグを担いで外に出た。
TAXIがいないではないか。弱ったな。
でもマイペンライ、近寄ってきたバイクタクシーがこれで行けば良いと言い出す。
“まさか”と思ったが、これ以外手は無い。“タオライ?”と問いかけたら、
40バーツとの答えが返って来た。
昨晩は30バーツであったのだから、ほぼ同じはずなので、30バーツと返事を返すと、
交渉成立となった。
ゴルフバッグを肩に抱えて、バイクタクシーにてタイのゴルフ発祥の名門GOLF場である ロイヤルホアヒンゴルフコースへ着いたのはその交渉から五分後でした。

ロイアルホアヒン     ロイアルホアヒン
左の写真はスタートの1番ホールです。名門の風格が漂うスタートです。(2003-4-28撮影)
右の写真は名物の寺院の見えるショートコースです。正面の山の中腹に寺院が見えます。ここから外人親子と同伴したのでした。

朝の6時30分に到着し、憧れの名門でGOLFが出来るのか不安でしたが、
この名門GOLF場はホアヒンの駅のすぐ隣にあります。
ですから、ホアヒンの村内のホテルからならば5分でたどり着けます。
まず到着すると、自分のお好みのキャディーの番号を述べて、キャディーを確保します。
お好みが分からないTACはお任せにしました。018番の男性のキャディーさんでした。
悪くは無かったのですが、キャディーさんはやはり女性の方が良いと後から後悔しましたが後の祭りでした。
そして事務室(FRONT)へ駆け込んで、“予約をしていないがGOLFが出来るか?”
と英語で語りかけましたが、全く問題なくたった一人でのラウンドを難なくプレイする事が出来ました。
本当にずうずうしい限りですが、ウイークデイではお客様は神様のはずですので、
いつもタイではこの方法で成功しています。

名門中の名門である事はプレイすれば分かります。
コースに全く池がないのには驚きます。

(タイのゴルフ場は平地に作りますと、グリーンとかフェアウエイにはどうしても盛り土が必要です。日本では山とか丘がすぐ近くにありますので、あまり苦にはなりませんが、タイではこの盛り土代金が土地の購入費用と同じくらいの費用が掛かります。
故に多くのゴルフ場では、ところどころ、土を掘って、その土で、盛り土に活用します。そこで、掘った跡が自然に池になってしまいます。日本人にはこの池がなんとも言えず綺麗で、高級感がでますので、良いゴルフ場だなあ、という事になりますが、タイではこの池があることは安上がりに作った象徴であります。同じ事が道路にも言えますので、タイの道路の両側に幅の広い溝があるのはこの道路の為の盛り土の為に掘った後が溝になり水がたまっているのです。道路を横断するときに、道路の横断よりも、この溝を横断する事が難儀ですね。横断をよくする所には誰かが板を渡して置きますね。)


さらに開場してすでに数十年を経ていますので、樹木の成長が見事で、折角ナイスショットしても、その枝が邪魔をしてセカンドがスタイミーで打てない事もあります。
ラウンドは一人でいたしました。従って快適そのものでありました。
前もいない、後ろもいない、まさに貸切でした。
ところがハーフを過ぎバックナインに入ってから、かなり前の組をラウンドしていた4名の組に追いついてしまいました。
スルーしてくれとの意思表示がありましたが、暑さもあり、
そんなに急いでいなかったので、お断りいたしました。
そしたら今度は後ろの組に追いつかれて、ご一緒にしてくれないかとのお申込でした。
これはお断りするのは失礼なので、即座にOKを出しました。
この組は外国人親子でした。父親はよく日本にもいっているとの事でした。
40歳くらいに見えましたが、お上手な方でした。
息子はマーク君といって11歳とのことでシャイで、恥ずかしそうにするしぐさがかわいく、
こんな親子がゆっくりとラウンドできるホアヒンはますます好きになりそうでした。

ホアヒン駅      ホアヒン駅
最終の18番です。大きな木の枝がフェアウエーの真ん中くらいまで成長していました。
ナイスショットでもこの木の下にボールが来ると邪魔をする事をご理解いただけますか?(2003-4-28 撮影)
名門である事と客ダネの良さと場所柄、従業員はほとんど英語が出来ますので、あまり困りません。
でも欠点はグリーンの手入れはイマイチでした。これでは1000バーツしか取れないと思いました。
(安い事は歓迎なのですが、パットの感じが出ないので、不満が残ります)
スコアは46,45の91でイマイチであったが、こんなものかも知れないと自分に言い聞かせた。
プレイが終わってシャワーを浴びて午前10時30分です。
なんと3時間ちょっとでラウンドを完了し、ゴルフ場の内部の散策が出来ました。
それでも時間があったので、すぐ隣のホアヒン駅を見学に行ってみました。

グリーンバレー    グリーンバレー
ホアヒンの駅にある王族専用の待合室です。
右の写真の手前が王族用、向こうが一般用の待合室(2003-4-28 撮影)
一般の待合室の隣に王族専用の駅待合室もあり、高級避暑地としての風格が漂います。
でもそれはここだけで、駅前の商店街へ行くと、タイ独特の市場(タラート)でした。
小腹がすいたので、焼き鳥(ガイヤーン)、串焼きの豚肉、を食べ、
さらにぶらぶらしてみました。そうしたら理容所があったので、“タオライ?”と聞いたら、
100バーツとの答えが返ってきました。スクンビットの半額ですので、
早速、お願いいたしました。たった一人の客ですし、冷房もきいていない、
OPENの空間での散発はめったに経験は出来ませんよ。髪型を指示しながら、
小一時間で出来上がりました。(髭剃りはごかんべん頂きました。
タイではかみそりが安っぽく、その刃に万一、ウイルスでもあったら感染しますし、
理容師の腕も不安ですので、いつもお断りしています。
一度お願いして、これはやばいと感じた事も理由です。)

さらにぶらぶらして道路を渡った所に食堂がありました。
お世辞にも綺麗とは言えない店内(オープンスペースで床は土間のまま、テーブルは傾いていて、椅子は丸い4本足)にはお客が3人いた。
気に入ったのは、その店内で鍋の中へ炎が入ってしまうのではないかと思うほど、強火での料理をしている事でした。 これならまずは安全であろう。(菌は熱に弱いから)
そこで、注文であるが、少しばかりの覚えたてのタイ語では通じるはずも無いので、3人の客の注文品をながめて、うまそうな野菜炒め(肉入り)を指差して、“ダイマイ?”と言うと“ダイ”との答えが返ってきたので、“ヌン”と言うと、女性店員はニコッと笑った。
(これできるの?出来るよ。一つください。という事になっているはずであるが、いい加減なタイ語でも要は通じれば良いのである)
しばらくすると、野菜炒めが出来上がり、食べてみたら、これがまた絶品。うまい。ホアヒンの駅前の食堂で是非、試食してください。
(店の名前は知りませんし、看板も出ていませんし、名刺みたいな気の利いたものもおいてありませんでしたが、本当においしいタイ料理でした。)
そこで値段ですが、“、チェックビン、タオライ?”と声をかけると、“ジーシップバーツ”との返事でした。
20バーツ(60円) を支払って、ゴルフ場に戻ってきたのは11時45分でした。
ホアヒン  ホアヒン         左の写真はホアヒンの駅から見たゴルフ場のクラブハウス。
この単線がバンコクまで続いているのであります。(2003-4-29)撮影

朝、乗せてきてもらった、バイクタクシーの運ちゃんとの約束の時間が正午丁度でしたので、
それに間に合わせて戻って来たのでした。ところが12時を過ぎてもやってきません。
“やられた。また約束を破られた。”
との思いで、途方にくれる。“こんな事もあろうかと10バーツのチップをくれてやったのに”と心の中でつぶやいても後のまつりでした。
その時、ラウンドを一緒にした外国人親子が、ワンボックスカーで帰る所でした。
ずうずうしく、ホテルまでご一緒してくれませんか?と言えばよかったけれど、ひょっとしたらバイクタクシーが来たら申し訳ないとの思いも頭をよぎり、私らしくもなく、止めました。
本当に暑い。こんな時にはなおさら暑く感じる。先ほどの食堂でも同じ暑さの筈なのに、モロに暑さが身にしみる。どうしようかな?と困ってししまいました。
帰るしかないので、キャディーマスター室まで歩いていって、“バイタク、ダイマイ?”と声をかけると、なんと“ダイ、ダイ”との声が返ってくるではないか。
私のような客が結構いると見えて、慣れたもので、電話でなにやら指示しています。
するとほどなく、バイクタクシーがやってきました。ホテル名をいって、いくらで行ってくれるの?と聞くと、
今朝はいくらで来たの?ときた。
この運ちゃんもこちらの弱みを掴んでいる。30バーツと答えると。即座にOKの答えでした。
早速バイクの後ろに乗って、ホテルに帰って来たのは正午を過ぎた30分くらいでした。

ホテルの従業員から“ハウメニーバーディー、ドウユーハブ?”と今度は英語で問われ、“オブコース、ナッシング”と笑いながら答えて部屋に入り一休みした。 汗になったものを選択しながら、外をながめると真っ青な海がきれいだった。
午後の予定はなかったので、とりあえず、タイマッサージに行ってみました。

バンコクと比較してはいけないけれど、料金は観光客とみてしまうので、かなり高めに言ってきます。
(多分2倍くらい)故に交渉でまけさせて下さい。
ヒルトンホテルの前のマッサージは料金表が印刷されていましたのでこの店は固定料金のはずです。
(300バーツ/HRで高い)でも一般のお店は交渉すれば300バーツ/2HRSにはなりましたよ。
マッサージの後は海岸で昼寝です。
それでも折角であるので水着を着込んで少しだけ海で泳いでみた
その後カメラを持って散歩をしてから涼しい風を顔一杯に受けながら海を眺めてぽかんとしていました。
外国人はこれを一日中していますね。読書をしている人も見かけますし、水着で日光浴の人も、そしてタイ人の恋人?を連れてのバカンスの外国人も散見されます。
夕方まで寝そべって時を過ごしました。

ホアヒン     ホアヒン
左の写真はホアヒン海岸のリクライニング(2003-4-28)撮影
右の写真はホテルの中の見事な庭木の手入れ(2003-4-28)撮影
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ホアヒン       ホアヒン
左の写真はホアヒン海岸の日傘の大群(2003-4-28)撮影
右の写真はホアヒン海岸の夕暮れ。(2003-4-28)撮影

夜には近くのナイトバザールへ出かけ、またまたここでタイ料理を食べて、(火の良く通ったもの)夕食といたしました。
一人旅はこの“行き当たりばったり”の行動がなんとも言えず心地良い。

● 4月29日(火)
今日もまた、暑くなりそう。
今日はチャームのゴルフ場であるスプリング・フィールド・ロイヤルカントリークラブへ出掛けるつもりである。
距離にして40kmくらいあるはずなので、バイクタクシーというわけにはいくまい。
ホテルの前にたむろっている客引きの中にただ一人、ソウテイ(TAXI)がいた。
チャームのゴルフ場までいくらか聞いた。
そしたら片道800バーツと言って来た。どうしてこう足元を見るのだろう?
そこで、往復、君に頼むのでまけろと交渉すると、最終的に往復400バーツで話がついた。
ゴルフバッグを積み込んで国道4号線をひたすら北へと向かう。

この国道がまた立派なものだ。ところどころ片側3車線両側で6車線にもなる。
通常は片側2車線で、車は100km以上のスピードでぶっ飛ばす。
どこに行ってもこの国道の良さは日本は叶わない。
日本の国道の貧困さが今の日本経済を駄目にしているのかもしれない。
しかもこれらの国道の建設費用は日本のODA(経済援助)で出来ているはずなので、矛盾を感じるのは私だけだろうか?

ホアヒンの空港を過ぎて、チャームのホテルの影を見ながら、程なく山の中の方へ曲がって綺麗なゴルフ場に着いた。
11時に迎えに来るように運ちゃんに念を押し、フロントの手続きに向かった。
そして“Are you stay?”ときた。
意味が分からず困っていると、どうもホテルが隣接されているらしい。
そこに泊まるとプレイ料金が30%から40%offされるらしい事が理解できた。
そこで、プレイのみだよと言ったら、2700バーツと言って来た。
“えー”“うそ?”と耳を疑った。
ウイークデイでこの料金は例のタイガーウッズが優勝して有名になったタイカントリーの料金とほぼ同じではないか。
でも掲示されている料金表をみると、ウイークデイもウイークエンドも同一料金で、2700バーツと書いてあった。少し頭にきたが、このまま帰るわけにも行かず、日本の料金から見れば安いので、一人でやる事にした。
そして、“コンリョウ?・・単独の一人か?”と聞いてきたので“チャイ”と答えると、すぐにカートに乗れと言う。カートに乗ると、フロントナインの1番まで、数組をごぼう抜きで、なんと1番前のスタートにSETしてくれた。
前には誰もいないフェアウエーに向かって、ティー-ショットし、この日をスタートした。
誰もいないのは気持ちいい。少し高い料金もすぐに忘れた。
確かに推薦するだけの価値のある、結構面白いコースであった。
スコアも初めてにしては上出来の45,42の87で周れた。

スプリングフィールドゴルフクラブ    スプリングフィールドゴルフクラブ
きれいに手入れされているスプリングフィールドゴルフクラブ。
ホテルも併設されているので泊まる方が有利です。(2003-4-29)撮影

プレイ終了後、シャワーを浴びてさっぱりし、玄関で例のソウテイを待っていると、感心な事に15分前に運ちゃんは現れた。
ホアヒンのホテルに戻ったのは11時30分であった。
昼食はホテルの食堂で、ヤムウンセンと少しばかりの揚げ物を食べて、あとは例によりタイマッサージを2時間行い、
後は海岸で寝そべって夕方までを過ごした。

ホアヒン    ホアヒン
左の写真は夕方の海岸でこれから漁にでる人たち。
ホアヒンの海岸を眺める・・・・静か!(2003-4-29)撮影
夕方から、夜にかけてホアヒンの街中を散歩を兼ねて、あてもなくぶらぶらし、夜店で適当に食事をしながら歩き回りました。
海岸に近い道路を歩いていると、なんとお葬式にぶち当たりました。多くの人がYをして、なくなった方の遺影に頭を下げています。
その遺影は家の前に飾られ、多くの弔問客は道路を隔てて、その向かい側の空地にいます。
このままホテルに戻るのには、その遺影と弔問客の間を歩いて通らなければ成りません。
つまり数十人の頭を下げている前を、短パンでTシャツのおじさんが道幅約5メートルくらいのところを通り抜けなくてはなりません。
お葬式が終わるまで待てば良いのですが、そうも行きませんし、引き返して違う道を歩くのにはあまりにも地理案内が不足して、危険な裏道を歩かなくてはなりません。
どうしようかと迷っていました。お坊様のお経の声は一段とトーンアップしてくるように思います。そこで意を決して、その道路を歩いて突っ切る事を決意しました。
一応、遺影の前ではYをして通り抜けましたが、かなりの心臓が必要でした。
ほっとして振り返りましたが、なんと夜の8時頃に道路をまたいだ葬式をするとは、ここはホアヒンだなと思いました。
少し明るい所に出てきたら、“ハーイ”と声を掛けてくるかわいい外人の男の子と出くわした。
とりあえず“ハーイ”と返したが、心が通じていない事が相手にも伝わった。
“I know you。”と次の言葉も返ってきた。
あれ、こんなにかわいい男の子を俺は知らないぜ。それもここはタイのホアヒンだから。と思った瞬間に、その男の子が父親を手招きした。
そうだ、昨日、ロイアルホアヒンで一緒にゴルフをしたマーク君であった。
夜という事と彼のルックスがゴルフ姿と違って、散歩のためのカジュアルルックであったために、思い出せなかったのだ。
彼と彼の父親に、思い出せなくてごめんねと挨拶しなおして、分かれた。
お葬式といい、この少年の暖かな心といい、いわゆる行き当たりばったりの個人旅行であるからこそ、味わえる旅の良さを感じた。
旅行のパンフレットにあるパック旅行(これをある人はかるがも旅行とも言うが)では絶対に味わえない極意である。
ホテルに着いたのは9時を少し回ったところでした。

ホアヒン   ホアヒン         左の写真は日中のホアヒン海岸
右の写真は夕方のホアヒンの海岸。綺麗です。いつまでも眺めていても空の変化が時間の経つ事を忘れさせてくれます。日本に居る時にはこんなにゆっくり眺める事はありません。

● 4月30日(水)
移動の日。
楽しかったホアヒンを去る日がやってきた。
朝起きると、窓から日の出が綺麗で開いた。
丁度真正面が、あのパタヤになるはずだと思いながら、綺麗な朝日を眺めながら、身支度をした。そして、バスターミナルまで、トクトクで、やってきた。なんとか8時のバスにまにあったし、席も数席、空いていたが、8時40分のバスで無いと席は無いとの事であった。
多分途中から乗る客がブッキングしているのだろう。
しかたなく8時40分のバスにした。ターミナルの待合室でポケンと辺りを眺めて時の経つのを待っていた。
バスが来て、座席にすわると、すぐに眠ってしまった。気がついたらトイレ休憩で止まる売店の前であった。車掌がタイ語でなんとか説明しているが意味は分からなかったが、お客がゾロゾロと降りるので、私もトイレに降りた。置いてきぼりにされたら困るので、バスが目の前に見える範囲で売店を見回すと、結構いろいろのなものが売り出されていた。
その中で、焼き鳥屋があったので、試しに2種類のものを買ってバスに戻った。
他の客も思い思いのものを買い込んで戻ってきた。
その焼き鳥を食べ始めるとバスは動き出した。
私は見るとも無く見る景色をぼやーと見ているとまた眠気がしてきた。
手荷物を足に絡めて、また寝てしまった。
気がつくと、結構車が多い。トンブリに入ったなと感じた。
程なく、南バスターミナル(サーイタイ)へ到着した。
これからコラートへ行く予定なのです。
・コラートへの旅へ
このターミナルの入り口でバスは止まった。
降りるものと思い、荷物をバスから降ろすと、数人の客引きが“TAXI?”と声をかけてきた。“パイ、モーチットマイ”と言うと、800バーツと言って、荷物を車に乗せ様とする。
私は ノーと答えて、荷物と引き寄せる。
実はホアヒンのマッサージ嬢からこの料金は150バーツである事を事前に聞きだしていたのだった。そこで150バーツなら乗るよというと、大げさな動作で、とても付き合えないというジェスチャーだ。実は#8のマイクロバスに乗ればモーチットに行ける事も事前に知っていたが、その乗り場が分からない。また荷物も多いし、第一くそ暑い。
そこで、違う客引きに200バーツでどうだ?というと、最初、800バーツと言っていた運ちゃんが慌てて200でOKというではないか。本当に足元を見るのもいい加減にして欲しい。それもメータータクシーと表示されているのですが、メーターは使わないと明確に言っています。とに角、暑さと荷物の多さで本来メーターならば150バーツの所を、200で手を打ちました。
それでも快適にモーチットマイに着きました。“しまった。小銭がないぞ”しかたなく、1000バーツでおつりをくれというと、持っている財布を見せつけて、つり銭のない事を強調します。そして、1000バーツを細かくしてくるからと言って取ろうとするので、ノーと強調して、さっさと切符売り場らしき方向へ歩き始めると、運ちゃんは私のゴルフバッグを持ってついてきました。
そして、コラートの売り場は何処だ?と聞くと、運ちゃんはここだと教えてくれました。多分、タイ語だらけで読めない私はコラートへ行く窓口を見つけるのに苦労したと思いますが、このメーターを使わない運ちゃんのおかげで、難なく見つける事ができました。1000バーツ紙幣でコラートまでの料金157バーツを支払い、このつり銭で200バーツを運ちゃんに支払い、バスに乗りました。
ぼられる事を承知の上で乗ったタクシーの運ちゃんをポーター代わりにまたガイド代わりに使えたので、なにが災いなのか幸いなのかわからない、面白さで、コラートへのバスの中でクスクスと笑いました。
なお、タイ人の友人が言うのには、通常タイ人はバンコクの渋滞とかを考慮して、ホアヒンからコラートへの移動はバンコクにて1泊するのだそうです。
バスターミナル間の移動の需要はあまり無いみたいです。


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