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鹿児島訪問


●鹿児島訪問

2003年2月8日(土)の朝は、どんよりと曇り空であった。
朝、5時に自宅を出発した車は東名高速道路を一路、名古屋空港へと走った。
久しぶりのカミさんとの二人旅である。
全て順調に事が進んで、7時には駐車場に到着し、9時20分発のJEXは11時20分には鹿児島空港に到着して、指宿への旅が始まった。
まずはインターネットにて予約しておいたレンタカーを借りて、霧島神宮に向かった。
レンタカー屋の若者に、その行き方を教わり、国道よりも県道の方が早く着く事を知り、これまた順調にドライブをした。
午後1時には霧島神宮へお参りが出来た。
しかし、あいにくの霧雨の天候で、お参りも十分ではなかったが、仕方が無かった。
雨の中の鳥居を眺めながら“晴れていれば良いのにな”とつぶやいても、こればかりは仕方がない。
昼食の為に立ち寄った、xxの里も、もし晴れていれば、すばらしい景観が望める事が、食堂の写真展示で知った。
薩摩の旅の最初の食事は黒豚の薩摩料理を注文した。
折角なので、霧雨の中を霧島の山道をドライブしたが、何も見えないので、国分に出て、高速に乗り、早めに西鹿児島のホテルに到着した。
最初の宿は鹿児島である。
これまたインターネットにて予約したホテルは簡素で安かった。(便利な時代になったものである)
雨も小止みになって、傘がいらないくらいになった。
私は鹿児島を何度か訪れていて、そこそこ土地勘があったので、初めての鹿児島訪問のカミさんを案内した。
とりあえず、市内電車に乗り。天文館まで行って、近くの繁華街を散策し、山形屋デパートにも足を伸ばしてみた。
ここは本当に南九州一番の繁華街である。
天文館
天文館の夜。山形屋さんの夜景。西鹿児島のホテルから市電に乗って天文館で降りてぶらぶらと歩いてみた。 世は不景気と言われて久しいが、ここには、それなりの人通りが感じられた。

2003-2-8 撮影

夕食は鹿児島名物?の鹿児島ステーキにした。
この店は友人に連れて行ってもらって知ったのであるが、地鶏を程よく焼いた股肉なのである。天文館の電車通りから1本港側の細い道路にある。
屋号は“丸万”と言うお店である。丸万鳥焼と書いてあった。
たまたま土曜日なので、サラリーマン風の客は少なかった。
お通しに酢の良く利いた地鶏の皮と海苔を混ぜたものが出てくる。それに冷たいきゅうりの皮を剥いたものが出る。
メインは地鶏の股肉を独特の焼き方で焼いた骨付きのものが出てくる。
丸万
天文館の裏通りの焼き鳥屋。丸万さんの料理。 左の器がお通しの鶏の皮とのり。真ん中が冷たく冷やしたきゅうり。右がメインの股の焼き鳥です。

2003-2-8 撮影

メニューはこれしかないので、注文も楽である。(確かメニューも無かった)
私は今では禁酒の身ですので、飲めませんが、このおつまみで飲むビールとか焼酎は格別で、これを味わいに多くの客が毎晩、ここを訪れます。
有名人の訪問も多く、店内には、幾人かのサインとか紹介が書かれていました。
“でも少し高い料金ですね。ちなみにウーロン茶2杯とこの料理で¥6、400でした”
でも、ここにしかない味をカミさんに味わってもらいました。

この店を出てほんの少し天文館のアーケードの方向に散歩したら、同じ名前のきれいなお店があった。歩いてほんの数分のところである。よく分からないが、間違えて行くと味が違うと思います。

翌日(2月9日)はからりと晴れ渡って、目の前の桜島が青空にくっきりと見えます。
早速、市内の散策に出かけました。
まずはホテルの近くの大久保利通像を眺め、西郷隆盛の生誕地、加治屋町周辺の散策、ザビエル記念像、と写真を撮りながら鹿児島の町並みを味わいました。
大久保 西郷
高見橋のふもと。電車通りにあります。 この日は最高の天候に恵まれ、散策にはもってこいでした。
右は西郷隆盛の生誕地。
2003-2-9 撮影
大久保 ザビエル
大久保利通の生誕地。近くの碑に”近代国家建設に命をささげた大久保”と書いてありました。 子煩悩な私生活とは裏腹に、政治家としての大久保利通は厳格さにも凄みがあった。幕末の激化期に西郷との絶妙のコンビで明治維新を成し遂げ、新政府設立後は、 天才的な手腕で、近代国家を建設していきました。・・・以下省略・・・3つ年上の西郷隆盛とは兄弟以上の信頼で結ばれていました。
2003-2-9 撮影
右の写真はフランシスコ・ザビエルの記念碑。ザビエルの日本上陸が薩摩であったとは意外に知られていない。
2003-2-9 撮影
そして西郷さんの銅像を見て、何度も訪れている城山公園からの桜島をじっくりと眺めさせていただきました。途中、薩摩の義士の墓もおまいりしました。静岡の安倍川の土手も薩摩の人々によって作られました。土手の名前は薩摩土手と言う名前が付いています。その一部を道路にして、薩摩通りという名前がついています。 まさに薩摩の人達の努力があったので静岡市の今が守られている事も知りました。
西南戦争で政府軍から身を隠していた西郷隆盛の洞窟というものも、見させていただきました。あの西郷隆盛の本当の写真を見させていただき、上野の公園の像とは似ても似つかない顔つきにはびっくりしました。(どちらかというと知的で痩せている感じの顔つきですね)
西郷の洞窟 城山
西郷の洞窟。西郷の洞窟は城山へ登る道沿いに存在する。 いつも鹿児島に来ると時間が無いので、ここは見た事は無かったが、今回はじっくりと見させていただいた。まさに西南戦争の最後に近い日々をこの洞窟で過ごした西郷は”おはんたちに預けた命・・・”と言って ここから出て数キロ行った所で自害した。

2003-2-9 撮影
●仙巌園

ここまで来ると、カミさんとの二人旅ものりが良くなり、足はそのまま、仙巌園(磯御殿)へと伸びていきました。行き当たりばったりの個人自由旅行の良いところであります。
鹿児島に何度か訪れていますが、この仙巌園は初めてでした。こんなにすばらしい庭があったとは知りませんでした。
日本3大名園には入っていないと理解していますが、それに勝るとも劣らない名園でした。鹿児島に来られる観光客はここに来ないで島津(薩摩)の事は語れないのではないでしょうか?京都の文化がここ薩摩で開花してしている姿に愕然としました。
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仙巌園 仙巌園
仙厳園の正門。まさにその威厳を感じられる門である。門をじっくりとながめているのはカミさん。
この仙巌園は別名”磯御殿”というがその御殿からみる桜島。
2003-2-9 撮影
仙巌園
仙厳園の最も奥の方に存在する”曲水の庭”である。曲水の庭とは古代中国で発達した庭園でわが国でも宮中時代から曲水の宴が盛んに行われていた。 曲水の宴とは曲がりくねった水路のところどころに席を設け、上流から流れてきた酒盃が流れ去らないうちに詩歌を作り、杯を取り上げて酒を飲むという、宴です。 現在ではこの仙厳園のみが原型を保っているのだそうです。
追記:京都御所の中にある曲水の庭を見てまいりましたが、この鹿児島のお庭の方が数段上であります。見晴らしのよさ、作りの巧みさを比べても全く引けをとりません。島津家の偉大さをあらためて感じました。(2005-9-9に追記)

2003-2-9 撮影
仙巌園 仙巌園
御殿の屋根越しに見る桜島。なんとも言えない風情をかもし出す。

2003-2-9 撮影

仙巌園
獅子乗大石灯篭。これは第29代島津忠義が明治17年に作らせたもので、大きく口を開けた獅子は飛び獅子というのだそうです。 この石灯篭は火袋だけに加工した石を使い、笠石と台石は自然石を組み合わせた山灯篭といわれるもので、獅子と火袋は花倉御仮屋跡にあった者を使い、笠石はこのの磯海岸の防波堤に使われていたもので畳八畳分もあるそうです。

2003-2-9 撮影

3時間じかく掛けてじっくりと見学したあと、隣の島津家の資料館である“尚古集成館”を見て、さらに異人館に立ち寄り、東郷平八郎の像がある“公園”に立ち寄ってみました。ここから見る桜島は見事でしたし、眼下に鹿児島市内が一望できました。
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異人館 異人館
異人館の廊下。
2003-2-9 撮影
東郷 東郷
東郷平八郎の銅像がある公園から見る桜島もすばらしい。隠れた観光地ではないでしょうか・
右は東郷平八郎の銅像。
2003-2-9 撮影
●桜島訪問

その後フェリーで櫻島に渡り、桜島を1週して、桜島観光に時間を使いました。 考えていたよりもずっと道路事情もよく、1週は1時間と少しで出来ました。
林芙美子の像を訪れ、火山灰に埋もれた鳥居を見学して、桜島のすごさを味わいました。
今まで抱いていた桜島とは違った、側面を勉強させられました。
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桜島 桜島
鹿児島からのフェリーから見る桜島もすばらしい。
右は林芙美子の像。あの有名な林芙美子はここ桜島が本籍地なのだそうです。
2003-2-9 撮影
桜島 桜島
みやげ物屋さんの前に並んでいた桜島大根。本物を見たのは初めてである。
2003-2-9 撮影

右の写真は火山の展望台から見る桜島。ここから見る櫻島も格別だった、雲のように見えるけれど、山頂からは噴煙が吹き出ている。 観光客は日本人だけではなく、台湾とか韓国人が目立った。なるほど、外国人を誘致できるようにする事が必要なのですね。
2003-2-9 撮影
桜島
大正3年の桜島の大噴火で鳥居が埋没。 1914年(大正3年)1月12日午前10時5分、西桜島が大噴煙をあげ大爆発した。噴煙は上空700メートルに達し、30億トンの火山灰が海峡を埋め尽くし、大隈半島と桜島を陸続きにしました。 その時、ここ黒神地区は687戸が火山灰に埋め尽くされた。高さ3メートルのこの鳥居は笠木だけ残してかろうじて見えていたそうです。

2003-2-9 撮影
その後、再度、鹿児島に戻り、指宿スカイラインを経て指宿のホテルに着いたのは午後5時を回っっていました。 この旅の続きは
指宿・知覧散策へ をクリックしてみてください。

●薩摩隼人の街:鹿児島

鹿児島を訪れたのは暑い日差しが照り付ける2002年の8月でした。
それでも朝方は曇り空、久しぶりに訪れた鹿児島の空は気まぐれでした。
おいしい、南国料理と美しい景色、特に桜島は雄大で、鹿児島には無くてはならない、存在ですね。
皆様も是非お出掛け下さい。

飛行機の窓から 天文館
飛行機の窓から見る桜島である。鹿児島空港着陸の数分前の左座席の窓です。

2002-8-7 撮影
右は天文館の朝。ホテルから抜け出して散歩した。 きれいな空気が天文館に流れる。昨夜の雑踏が嘘のように静かな天文館であった。

2002-8-8 撮影
 天文館 天文館
天文館の朝。まだ電車は動いていない。 今日も暑くなるだろう。ゆっくりと散歩の足は山形屋の方向へと向く。

2002-8-8 撮影

市役所 西郷さん
市役所の裏手の城跡。 その石垣の幾つかの石には幾つかの弾痕が認められる。西南戦争の時には激しい戦いがここで行われたのであろう。 今は、いかにも落ち着いた城下町の雰囲気を醸し出す。
2002-8-8 撮影
西郷さんの銅像がある。散歩の足を伸ばしてみました。 本当にすがすがしい散歩になりました。

2002-8-8 撮影
西郷さん 城山
西郷さんの銅像がある。夜にはライトアップされている。 市民も観光客もここが憩いの場になっていると感じました。
2002-8-8 撮影
右は城山公園から見る、鹿児島の街と桜島。 TAXIを拾ってここ、城山まで来てみました。
2002-8-8 撮影
城山 桜島
城山公園から見る、鹿児島の街と桜島。 まだ若い頃ここに来て感激した事があった。きれいな桜島を見て、鹿児島が好きになった。

2002-8-8 撮影
散歩はさらに続いて水族館までやってきた。 この海から見上げる桜島である。フェリーから学生が降りてくる。生活が感じられる海でした。

2002-8-8 撮影

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