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2005年9月京都桂離宮への旅


2005年9月の旅行記

2005−9−9(金)、永年の夢であった、桂離宮の見学が出来ました。
以下、感想を含めて、報告であります。

■桂離宮の歴史(離宮で配布されたパンフレットより抜粋)
  桂離宮は、後陽成天皇の弟、八条宮初代智仁親王により、宮家の別荘として創建されたものである。幼少の頃より文武百般に秀でておられた親王は、17世紀初頭にこの地を得られて後、元和元年(1615年)頃に山荘の造営を起こされ、数年ほどの間に簡素の中にも格調を保った桂山荘を完成されている。親王の40歳台前半の時期に当たり、古書院が建てられたものとみられる。
親王が没せられて後、10年余の間は山荘も荒廃期であったが、二代智忠親王は加賀藩主 前田利常の息女富姫と結婚されて財政的な裏付けも出来、山荘の復興、増築などに意欲的に取り組まれた。智忠親王は父君智仁親王譲りの研ぎ澄まされた美的感覚をもって、寛文2年(1662年)頃までに在来の建物や庭園に巧みに調和させた中書院、さらに新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒等を新増築された。池や庭園にも手を加え、ほぼ今日に見るような山荘の姿に整えられた。
八条宮家はその後、京極宮、桂宮と改称され明治に至り、明治14年(1881年)11代淑子内親王がお亡くなりになるとともに絶えた。宮家の別荘として維持されてきた桂山荘は明治16年に宮内省所轄になり、桂離宮と称されるようになった。創建以来永きにわたり火災にあうことも無く、殆ど完全に創建当時の姿を今日に伝えている。

■ 概説
  桂離宮の総面積は約6万9千平米です。中央には複雑に入り組む汀線を持つ池があり、大小5つの中島に土橋、板橋、岩橋を渡し、書院や茶室に寄せて舟着きを構え、灯篭や手水鉢を要所に配した回遊式庭園と数奇屋風の純日本風建築物とで構成されています。
苑路を進むと池は全く姿を消したり、眼前に洋々と広がったり、知らぬ間に高みにあったり、水辺にあったりしてその変化に驚かされます。
作庭にあたり小堀遠州は直接関与していないとする説が有力であるが、庭園、建築ともに遠州好みの技法が随所に認められることから、桂離宮は遠州の影響を受けた工匠、造園師らの技と智仁親王及び智忠親王の趣味趣向が高い次元で一致して結実した成果であろう。

  
2005−9−9 撮影
多くの自慢話がある桂離宮でありますが、その中で、上の写真のような塀がご自慢なのだそうです。竹とくろもじを組み合わせた独特の塀に囲まれていました。確かにこのような塀はあまり見たことがありませんでした。桂離宮独特の塀の作りなのであります。
               (右の写真の中央を行きますと入り口があります)
しかし、左の写真の竹(青い竹の方です)の塀は世界広しと言えども、ここ桂離宮だけにある塀のつくりだそうであります。沢山植えてある、なんとかという竹の群生の1本1本を茎の適度なところから曲げて、その葉先が塀になるように仕上げてあるのだそうです。庭の内部の方から竹の茎がわずかに見えますがお分かりいただけますでしょうか?

  
左の写真は州浜と言われる場所を、眺める。右は天の橋立と言われる岩橋。  いずれも2005−9−9 撮影

  
左の写真は賞花亭から松琴亭を眺めた所。右はさらに歩を進めて笑意軒から、園林堂を眺めた所です。いずれも歩きながらじっくりと眺めると400年前の造形美のすばらしさが味わえます。

  
離宮の散策で、最初に訪れる松琴亭のお座敷内部。襖の市松模様が特徴です。
その松琴亭のお池側の縁にあるお茶室。本当に触れば壊れそうな作りなのであるが、この巧みな作りが400年の時が経っていても、このように見事に美しい。最高のお茶室であります。

  
松琴亭の内部です。この何でも無いような小さな襖絵が有名な方の作なのだそうです。この部屋の縦の線と横の線のバランスがまさに日本建築の誇りなのかもしれません。右の写真はこの松琴亭からみる天の橋立。

  

左の写真は笑意軒から、園林堂を眺めた所です、右はこの笑意軒の部屋の内部、特に天井は三つの部屋全てにまたいでいる一枚の天井でした。窓の向こうには緑の芝生。

  

左は笑意軒の全景であります。右は桂離宮で最も有名な書院の全景。このお姿も見事な造形美であります。その昔、ドイツの建築家:ブルーノータウトが絶賛した建築であります。

  

書院の東の端。 右の写真はこの書院にある有名な月見台。

  
書院から眺めたお池。  右は書院への玄関口であります。ここにある白い石は沓脱ぎであります。六人分の沓を並べられるので、”六つの沓脱ぎ”と言われています。良く見るとわずかに上に凸に作られていて雨水が貯まらないような細かな細工がしてございます。

このあと、ホテルにチェックインしシャワーを浴びた後に、京都市内に川床料理を食べに行きました。その様子はをご覧ください2005年京都散策の旅


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