桂林・昆明・麗江・広州への旅


     2007−4−8日)

天気は快晴。朝早く(4時)に静岡のバス停を出発し順調にセントレアに着いた。事前にWebチェックインしておいたので全てが順調で、ラウンジにて休憩した後、中国に旅立った。

今回は友人3名と共にする旅行で、久しぶりの中国でした。

広州を経由して桂林に到着したのは午後の5時頃でした。

迎えの案内人ともすぐに会えて、桂林市内のホテルにチェックインしシャワーを浴びた後、桂林料理を食べ、その後に桂林市内の雑技団のショウを見に行きました。その昔、上海の雑技団を見たことがありましたが、それと比較すると、技ははるかに少なく、どちらかと言うと少数民族の踊りとか、歴史の語りを演じていました。それでも多くの席は満席で、技の決まるたびに多くの拍手が沸きましたので、結構、地元では人気のあるショウだなと感じました。

ショウが終わると、ロビーにてショウ参加者との記念撮影でごった返す風景は上海の雑技団にはなかった光景でした。

少なくとも例のサーカス的な技術は相当低いかなと思いましたが、それでも楽しめました。

雑技団を見た後はライトアップした桂林市内を徒歩で散策しましたが、本当にきれいな夜でありました。観光で食べていく事を明白にしている桂林市の方向性を垣間見る事が出来ました。

 

きれいにライトアップされた川とか湖を眺めながら、予定通りホテルに戻ったのは夜10時頃でしたが、初日の疲れからかぐっすりと熟睡できた一日になりました。

  ホテル:桂林桂湖大酒店

住所:桂林?彩区螺?山路1 ??86-773-2558899

 

     2007−4−9()

時差が日本と1時間のこの桂林では現地時間で6時に目が覚めました。一通りの身支度をして、レストランに下りていったのは朝の6時30分でしたが、まだ開店はしていません。仕方が無いので、外を散歩してみました。目の前の湖(確か桂湖というはず)のほとりを友人と歩いてみました。数人が気孔をしていましたが、回りはあまり人がいません。きれいな湖の水辺を眺めてホテルに戻りましたが、今日は曇り空で今にも雨が落ちそうでありました。

さあ、本日は今回の旅行のメインであります。璃江の川くだりであります。桂林市内よりも下流に位置する船着場に到着し、いよいよ川くだり開始であります。

この船はかなり大きなもので200人くらいは楽に乗れますし、船内で調理する設備が整っていますので、料理を食べながらの船旅であります。

通常は3時間くらいの川くだりになるそうです。でも1月から2月までの数日の渇水期には1時間くらいしか楽しめない時があるそうです。お気をつけてください。

我々は、水も豊富な4月でしたので3時間たっぷりと楽しめました。

途中、1時間と少し川を下った所に鍾乳洞があります。今回はここに立ち寄り、1時間30分くらいを使って見学しましたが、ここはお奨めです。せっかく桂林に来たのでしたら、川くだりだけでなくこの鍾乳洞も見てください。

 

これが川くだりの途中にある鍾乳洞です。 右はまさに桂林の墨絵の世界・・・・すばらしい!2007-4-9撮影

この鍾乳洞は奥行きが2.5KMもあるので、途中、トロッコへ乗ったり、船に乗ったり、エレベータを使ったりするスケールの大きなものでした。私は過去大きな鍾乳洞をいくつか見たことがあります(沖縄の玉泉洞とか秋吉台)がここはそれをはるかにしのぐ規模でした。1昨年、ベトナムの“海の桂林”を見に行った時に見た鍾乳洞も大きかったけれども、ここは必見であります。

“海の桂林”は世界遺産ですが、本物の桂林は世界遺産ではないのだそうです。同じ桂林と言う名前では登録できないのだそうです。

 

このような景色が4時間くらい堪能できる。右は川べりの馬の飼育である。2007-4-9撮影

川くだりの途中、サントリーのコマーシャルで有名になったロケーションを通過したり、20元紙幣の裏に印刷されている所を見たり、桂林のすばらしい山々を眺める船旅は、予想通りの満足する墨絵の世界を堪能できた時間でありました。途中鍾乳洞で1時間半ほど散策しましたので、船旅の延べ時間は5時間になりました。

途中缶ビールを数個買い込みましたが、なんと1個5元(約75円)でしたので、ホテルとかレストランで飲むビールはこの5倍くらいと言う事が分かりました。

天気は曇天でしたが、今回の旅行の目的を達成出来た満足感で夕食もおいしく頂き、そのあとマッサージをしてホテルに戻りました。マッサージはタイのバンコクと比べて高い(200元(約4500円)/1時間)し技術は低いし、満足は出来ませんでした。

(この数日あとに行った麗江のマッサージは45元でしたので、ガイドにぼられたものと推定します)

この日のホテルはお奨めできませんでした。設備は良いのですが、部屋に冷蔵庫がなく備品に欠品(飲料水など)もあり、どうもいただけませんでした。

川くだりの終点の近くのホテルでした。

?朔地址:?朔???(?童山300)  ホテル:?朔唐人街建国假日大酒店

??: 86-773-8813688

 

     2007−4−10()

この日は朝から雨でした。雨の為に朝の散歩は中止しました。そして、川くだりの終点から、一路車で北上し、鍾乳洞にやってきました。結構大きなもので昨日の川くだりの途中で見たもの程の奥行きはありませんが、鍾乳洞としてのドームみたいな洞の大きさはむしろ大きかったです。照明がきれいに施され、飽く事も無く1時間くらいの散策が終わりました。それでも見てよかったと思えるものでした。

 

左は象鼻岩。 右は鍾乳洞内にあるミニ桂林。水面に浮かぶ神秘な石筍郡  2007-4-10撮影

その後、象鼻岩を見にやってきました。この象鼻山は桂林のシンボルだそうです。確かにどんなパンフレットにも掲載されている代表的な観光地であります。

そして、おいしい桂林料理の昼食をとってから空路、昆明に向かいました。飛行機は満席で、かなりの中国人が観光している事が理解できました。

昆明は飛行機の空から見ると赤い土の高原で1900メートルくらいの高度に位置する大都市で、雲南省の中心であります。

1999年に花博が開催されて、周囲のインフラが整備されて後に観光客が押し寄せるようになったそうです。飛行場はダウンタウンから車で8分でした。こんなに近い飛行場は日本にはないと思います。

飛行場からレストランに直行し、小民族のショウを見ながら雲南料理の夕食にしました。大きな熱いスープの中に肉とか野菜を入れ、最後にうどん(材料は米)を入れ、しばらくしてから食べますがおいしかったですね。その他、川魚の煮付け、ジャガイモの薄切り煮物、黄身と白身が旨く混ざり合ったゆで卵などが出ましたが、どれもおいしかったです。

                    

上の写真の手前にある大きな器は最初熱せられてテーブルに着きました。それに米で出来たうどんをたっぷり入れ、肉とか野菜も入れられ一人分には多すぎる食事でした。  2007-4-10撮影

  昆明ホテル:泰??酒店  住所:昆明 ?? ?城南路39

 TEL86-871-3305888

     2007--11()

この日もうす曇で今にも落ちてきそうな空を見ながら一路、石林に向かいました。昆明から石林までは約80Kmです。

途中、高速道路ではなく一般道路を通りましたが、ベトナムまで行く鉄道が走っていました。山の中にこの鉄道を敷くのに約7万人の人が犠牲になったそうです。またこの道路を10時間くらい車で走るとミャンマーに到着するのだそうです。まさにここは国境の町なのであります。途中に大きな火力発電所を建設中でありました。またこの道路で横転しているトラックを3回見ましたが、いずれも積載物は石炭でした。過積載でスピードを出し過ぎた為に曲がりきれずに横転したものと思われます。とにかく交通事故が多く、追い越し禁止でも追い越しますし、かなり危険な交通事情でした。

2時間くらいで石林に到着でした。

 

左は会場に入場して最初に目に付く不安定な岩。右はこの石林のまさに入場口に当たる有名なアングル。世界各国からの観光客でごった返していました。 2007-4-11撮影

ここも観光地としての定番で、いろいろな旅行パンフレットに載っています。

 

歩いて1時間30分くらい掛かりましたが、まさに圧巻でありました。途中には珊瑚の化石があったり、象の形の岩などがあり、見所が一杯ある散策であります。

 

左の写真の上に載っているような岩は、この地でガイドをしている少数j民族の冠に良く似ているので、人気があるところです。この少数民族の冠のとがった部分を触ると、婚約をもうしこんだことになるのだそうです。 右の写真は石林の全景。    2007-4-11撮影

世界各国の観光客でごった返していましたし、観光のドル箱みたいでした。

帰りに七彩と言う所のお茶の販売所に立ち寄り、試飲してお土産に買ってまいりました。

ここも観光客で満員でしたが、こんなに混雑するのには、他に観光地らしいものが無いのではないかと思いました。

  昆明ホテル:泰??酒店  住所:昆明 ?? ?城南路39

 ??86-871-3305888

 

     2007--12()

朝から雲行きが怪しかったが、予定通り昆明市内の観光したあと、昼食はきのこの鍋を食べた。お茶のスープの中に少しの肉と野菜が入れられ、数種類のきのこをたっぷりと入れて煮込みます。おいしい鍋でした。

                     

その後、昆明飛行場に向かったが、ここでトラブルになった。なんと目的地の麗江の天候が思わしくないとの理由で、飛行機の中で待機です。それも2時間半くらい待たされました。それでも予定より3時間くらい遅れて、麗江の飛行場に到着しほっとしました。飛行場は麗江市内から車で30分くらいの所にあります。麗江市内は、旧市街である古城地区と10年くらい前に建設された新市街に分かれていました。旧市街は世界文化遺産です。この旧市街からみる玉竜雪山はとてもきれいで、中国人の観光の憧れだそうです。人口の57%はナシ族で残りが漢民族だそうです。

 

飛行機の中から見た麗江。上方に見える雪山が玉龍雪山です。  飛行場からダウンタウンに行く途中に見えた玉龍雪山。いずれも 2007-4-12撮影。

もうミャンマー国境にすぐの所であります。

このような国境の街(現地では奇境麗江と書いてありましたが・・・)にも片側3斜線の立派な道路が出来ていて、中国の発展ぶりが伺えました。また私の予想をはるかに超えている中国の奥地の様子は驚かされました。

この日は、予定よりも大幅に到着が遅れたので、何も出来ずにホテルに泊まりました。

  江ホテル:力大酒店(shiner hotel)  住所: 香格里拉大道

  TEL86-888-3107777

     2007--13()

本日も朝は晴れているのですが、山の方向には分厚い雲が覆っていました。それでも、麗江の市内から約1時間の所にある甘海子という所に行きました。ここから環境専用バス乗り場に行って、そこから観光を始めました。ここは昔、湖だったそうです。1960年代から渇きが進んで今では水のない盆地に変わったそうです。氷河侵食湖でしたが、温暖化で雪線が上がり、溜まっていた水が渇いていったそうです。今ではここに観光客奉仕デンターが出来て食事とかバスの発着が出来ます。すぐ隣がゴルフ場でした。誰もラウンドしていないけれどもフェアーウエーの緑が美しく、今度訪れる機会があったら前もって時間を作り、ゴルフをしたいと思いました。

 

麗江に10年前に出来たシャングリラ路、この路沿いに新しいホテルとか銀行などが出来上がっています。この写真の中央に雲を抱いた玉龍雪山が薄く見えますが・・・・分かりますか? 右の写真は甘海子にあった地図です。玉龍雪山に向かってケーブルカーが建設されている事が分かると思います。

ここから奥地にバスで30分くらい行った所(白水河)まで観光をし、Uターンして元の所まで帰ってきました。この白水河は、雪山の東麓から始まります。川床は石灰岩類ですので、水が白くなっていますので白水河と名づけられました。清く美しい水は玉龍雪山の一帯を潤しています。昼食を済ませたあと、ケーブルカー乗り場に向かいました。もともと麗江は海抜2500メートルくらいあります。この甘海子(渇いた湖)もそれからさらに高度を増して3000メートルくらいにありますがバスで3365メートルまで行って、ここからさらに高度を1500メートル強一揆に上り詰めるゴンドラ型ケーブルカーで雪山までのぼります。なんと高さは4506メートルでした。寒い人には30元でオーバーコートを貸してくれますし、40元で酸素ボンベを売っています。私はその昔、富士山で高山病になりかかりました。さらに心臓にステントを2個入れていますので、心配でしたが、このゴンドラに乗ってみました。乗客はこのゴンドラに乗るために長蛇の列で待っています。

 

これが白水河。    右は渇いた湖のあと、正面は玉龍雪山です。中央の白い道を一路バスがケーブルカー乗り場まで連れて行ってくれます。

雪を見たことの無い中国人(広東など南の地方の方々)とかタイ人なども多くいました。自分の足で一歩も歩かなくても、雪山に立てるのであります。

 

ここがゴンドラの終着駅前です。右に写真の石碑に4506と掘り込まれていますが、まさに4506メートルの高度であります。

私は、案の定、高山病になりかかりました。ゴンドラは約15分くらい乗るのですが、終点の駅に近くなったときに睡魔が襲ってきました。到着後トイレに行って用を済ませて階段を2、3段上がった途端に、頭がくらくらとしてきましたし、胸がきゅっと締め付けられるような思いがしてきました。すぐに酸素ボンベを取り出して、胸に酸素を補給しました。これはまずいなと思いながら、記念撮影だけして帰りのゴンドラに乗りました。この日は視界が利かないので何も見えません。もし天気が良ければすばらしい景観が眺めた事でしょう。この終点駅の周りは氷河公園と言っています。ここからさらに歩いて4680メートルまで行けるのだそうです。ここが氷河になっているそうですので、高山病に強い方はお試しください。

私はこの酸素ボンベの助けが無いと、そのまま高山病になっていたでしょう。救急病院もありましたが結構そこで寝ている人を見かけました。

この酸素ボンベは必需品です。なおホテルでもこの酸素ボンベを売っていました。30元でした。

その後、世界遺産である古城を散策しました。1640年に出来たそうですが、まさに400年くらいタイムスリップした家々であります。日本で言えば関が原の戦いが終わった直後に出来た家々であります。それも

 

(古城の街並みです。左の写真は下から上に行く街路です。ずっと上まで屋根が見えます。右の写真は途中で飲んだ茶店の窓から上の方を撮影してみました。家々の屋根がこの街の上の方まで繋がっていました。)

1軒ではなく数百軒が集団で保存されているとは脅威であります。ここに住むナシ族の家なのだそうです。ガイドのチャンさんも現地の雲南大学を卒業したばかりの純朴な女性でした。ナシ族の女性は良く働くのだそうです。男性は、定職も無くお酒を飲んでばかりいて、家事(掃除、洗濯、食事など)をするのだそうです。ですから漢族の男性と結婚したいのだと言っていました。
古城と言うので、日本で言うお城があって戦争があったのか?ガイドさんに聞いたのですが良く分からないそうです。どうも城とはお店の事らしいのです。コンピュータ店を電脳城といいますから。つまり1600年頃に建てられたお店群のようであります。・・・・でも地図には麗江城というものも書かれていました。

 

(左の写真は古城の水路であります。右は古城の最も高い所から下に向かって眺めた所です。屋根が所狭しと並んでいました。まさに世界遺産の貫禄が垣間見えました。)

すばらしい世界遺産を堪能して、夕食をとってからマッサージに行って体をほぐしてから寝ました。マッサージは通常の足マッサージが1時間で45元(約700円)、泰式は60元でした。桂林のマッサージはガイドさんのぼられた事がこの時に分かりました。

 

  ?江ホテル:??力大酒店(shiner hotel)  住所:? 香格里拉大道

  ??86-888-3107777

     2007--14()

順調に飛行機は麗江から昆明へ、そして広州へと向かった。予定通りのお昼過ぎに広州新空港に到着し、迎えに来ていた朱さんに会えた。

早速、広州市内のレストランで水餃子を食べ(5人でビール2本と餃子2皿・・・40個)でなんと32元(約500円)でびっくりです。

市内を観光し、孫文の記念館、お寺、市場などを見て回り、最後に“食の広州”を味わいに海鮮料理で総仕上げです。ワニの煮込みとか、象貝の刺身など珍味に舌ツツミを打って大満足の夜になりました。

 

ここが孫文記念館(正しくは中山記念館)です。パンフレットには広州公園と書かれていました。右は9重の塔。この一番上まで上ってみました。

この日は、広東国際交易会?がありましてどこのホテルも満員満席でした。日本を出発する前から分かっていたのでありますが、この数日間はどこのホテルも宿泊代が数倍に跳ね上がっていました。値段だけでなくホテルそのものが確保できずに、今回の旅行が延期になるかも知れない危機を救ってくれたのは、現地駐在員の世話で確保してもらえた、開発区の東園ホテルでありました。とにかく贅沢は言えません。おかげさまですばらしい中国東南旅行が出来ました。

 

ここは陳氏書院といいます。1894年に陳姓の人達の寄付により建てられました。重要文化財に指定されていまして、中には右の写真のようにすばらしい彫刻(台北の故宮博物館にあるものと同等のもの)を数点見ることが出来ました。

   

     2007--15()

  帰国の朝は快晴でした。予定通りに帰国であります。

今回のたびの締めくくりに広東の飲茶を御馳走になりました。現地の駐在員の友人が連れて行ってくれた飲茶専門店であります。日曜なのに朝から超満員であります。

私は飲茶の食べ方を間違っていました。飲茶はそもそも広東料理で、毎日離れ離れに住んでいる家族が休日の朝から昼にかけて、時間をかけてお茶を飲みながら、食べる料理が飲茶なのだそうです。

 

その種類も沢山在りすぎて、オーダーはお任せいたしました。いろいろな飲茶が出てきましたが、本物の飲茶は味が芋やら、皮やらに染み込んで本当においしいものでした。

席上、ビールを注文したら、本来はビールは飲まないでお茶でおしゃべりをするのが本式だそうです。腹がはっては飲茶の本来の味が出ないだけでなく、多品種、少量を食べる良さがビールで台無しになるとの事でした。

楽しかった中国東南旅行も終わり無事にセントレアに到着しました。