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スコタイへの旅


2004年12月28日に訪タイいたしました。その前後の旅行記をまとめます。
2004年12月28日、日本出国、2005年1月5日(日)に帰国しました。途中で12月30日の夜行のバスにてスコタイまで行き、その後列車やバスを乗り継いで、ロッブリー、アユタヤなどを見てまわり1月3日にバンコクに戻ってまいりました。

1月3日のアユタヤの様子はアユタヤからバンコクへの旅

●2004−12−28(火)

出国 2004年も終わりに近い28日の名古屋空港にたどり着いたのは午後2時頃だった。26日(日)にスマトラ沖に大地震が発生し、大津波がインド洋に発生し、プーケット、ピピ、ランタの各島々とかバンガー県を襲ったので、多くの観光客はタイへの出国をとりやめたのであろうと思われます。
名古屋空港は昨年の5月のサーズ(鶏インフルエンザ)騒動の時のように、本当に静かでこれが年末の国際空港かと疑いたくなるような状態でした。飛行機の中もがらがらで各列2〜3席の空席が存在し、私としては隣の席が空席なので快適な空の旅が満喫できたのであります。
しかしながらこの時には多くの犠牲者が発生したとは夢にも思いませんでした。まあ数千人規模の犠牲者かなと思っていましたらその後のニュースで18万人を越える犠牲者が出たことを後に知りました。
でも私は個人旅行でしかも今回は北部への旅の予定でしたので、中止する気は起きませんでした。
ドンムアン国際空港に予定通りの到着した時にも、いつもの通りにTAXIを拾い、スクンビットの定宿に着いたのも予定通りの午後9時でした。
機内食は控えめにしたので、スクンビットの通りに出てセンレックをほおばりながらタイの味を確かめ数人の友人に訪タイの連絡をして早めにベッドに入りました。

● 2004−12−29(水)

朝、まだ暗いうちに友人がホテルまで迎えに来てくれました。
日本出国前からこの日はローズガーデンでのゴルフと決めていました。
現地に滞在している友人の一人がこのメンバーですので、お誘いをいただいていました。
また昨年の夏休みにもPLAYしたのですが、その時には散々なスコアで雷にも遭遇しリベンジを誓ったものでした。
友人のおかげでこのラウンドが実行できました。(本当にありがたいことであります) この友人が本日、仕事の都合で午後にはお店に戻らなくてはなりませんので、TEE OFFはなんとまだ薄暗い7時であります。
ホテルでの食事が出来ませんでしたので、このゴルフ場の食堂で朝食をとりましたので、薄暗いスタートにはなりませんでしたが、朝の涼しい時にスタートするのは気持ちの良いものであります。

  
上の左の写真はローズガーデンのコースである。前回ここでPLAYした時にここで大きな雷に出会い、このコースの右の溝に落ちて胸まで水につかってしまいました。右の茶店では 大きなイグアナが出てきてびっくりしたものであります。今日は絶好の天候でスコアも前回よりは大幅に改善できました。 2004-12-29撮影

リベンジをそこそこ出来まして、満足の初日でありました。
これもひとえによき友人のお蔭であります。
午後は年末ので友人と日本食で一杯であります。
いろいろな話に花が咲き、午後3時頃にホテルに帰ってきました。
忘れないうちにと思い、旅行代理店におもむいて、帰国の為のバンコク発券の1年OPEN航空券を購入して、ホテルに戻りました。
ホテルに戻って在タイで頑張っておられます先輩のSさんにお電話して、夕食をご一緒していただける事になりました。
このSさんは毎月バンコク便りをお届けいただいている方で本当にタイ語の堪能な方であります。
私の知っている限りの日本人の中ではナンバーワンのタイ語の理解者であります。
レストランは例のSOIルアンムルディーにあるバーンカニタにいたしました。人気のお店なので、予約を入れてTAXIにて出かけましたが以外にもTAXIの運転手が知りませんでした。
でも問題なく到着いたしまして美味しいタイ料理で夜遅くまでSさんと世間話とかタイの特集とか、今回の津波の話とか、男同士の長話は珍しいのですが、話に花が咲きました。

  
上の左の写真はローズガーデンの最終ホールをあがって正面のクラブハウスに戻ってきたところであります。右の写真はSOIルアンムルディーにあるバーンカニタの店内であります。高級な雰囲気が出ていると思います。おいしいですよ。 2004-12-29撮影
baan khanitha & gallerry  thai cuisine 0-2253-4638-9であります。
Sさんはシーナカリンに近いところにお住まいで周囲には日本人は全くいませんので、久しぶりに会える日本人には日本語が使える嬉しさで、話が次から次へと進行いたします。 日本にいるときにはむしろ寡黙であられたSさんでしたが、変わられました。 それほどに久しぶりに使う日本語はストレス解消には良薬なのだそうです。 夜の遅いスクンビットでは珍しくないでしょうが12時頃ホテルに戻り、就寝でした。
●2004−12−30(木)

実はこの日の予定はいつも実行している単独で予約無しぶっつけ本番ゴルフ場訪問のつもりでありました。
ところが昨日のローズガーデンでのラウンドをご一緒してくれました友人のお一人が、TACさん、もしよろしかったらムアンゲオでラウンドしませんか?とお声を掛けていただきまして、本当に渡りに船と言うか天にも昇る思いで二つ返事で、是非ともお願いいたします。とお願いして決まりました。
このムアンゲオは私は始めてのコースでありました。すぐ近くにグリ−ンバレーとかタナシティーなどがありましたが、ここでは何故ラウンドしていなかったのだろう?と思いました。
多分、ここは難しいコースであることとグリーンフィーが高い為かと思われます。
本来の価格は一般客ならば2700バーツ、クラブタイランドを使って1800バーツでした。
私はこの友人のゲスト扱いでなんと1300バーツでPLAY出来ました。 このコースは距離も長めですが。それ以上にグリーンの起伏が激しく、練習グリーンもかなり起伏がありましたが、本来のコースがこんなにはなっていないであろうと思っていましたら、練習グリーンのようになっていました。(これは逆で、コースのグリーンがうねっているので練習グリーンも同じように起伏を設けているのですね)
  
上の写真はムアンゲオの正面玄関とブーゲンビリアの花も美しいコースであります。2004-12-30撮影

従ってグリーン周りの寄せとパットの感じがホール毎に変わってきますので、調子が出ません。少なくともグリーンオーバーは禁物であります。
難コースを攻略し、スコアは不満足でしたが最初のチャレンジなので悪いなりに納得し、ラウンド後シャワーを浴びて、冷たいビールを飲み干す時のさわやかさは格別でありました。 ホテルに帰ってきた後、身支度を整えてホテルを一時チェックアウトして、タイマッサージを2時間いたしました。これからのスコタイへの旅の為と、バス発車時間の時間調整の為もありました。

友人とのゴルフが終わって、夜になり、いよいよスコタイへ出発です。

モーチットマイまでTAXIにて出かけまして到着したのが午後10時10分でした。バスの発車予定は10時42分ですので間に合うはずだと思っていました。
これが甘かったです。まずどこで切符を売っているのか分からない。そこでインフォメーションで"スコタイ行きはどこですか?"と聞くと、"51番の窓口ですよ"と教えてくれた。
この位のタイ語のやり取りは出来る様になっていました。そこでその51番の窓口を探し回ったのですが、年末の帰省客でごった返し、さっぱり分かりません。
また元に戻ってインフォメーションで聞きなおすと、どうもこのバスステーションの屋内側ではなく屋外側に売り場があるみたいである。
急ぎ屋外に出るとありました。しかし時刻は10時40分を過ぎていました。
やばいかな?と思ってその窓口に並ぶと、数人のタイ人がスコタイに行くにはここで待っていろ、と言います。窓口は閉まっています。
どういう意味か分からずに数分いると、一人のおばさんが"スコタイに行く人はついて来い"と言う意味みたいな事を行っている。
この際ついて行った。
近くに高速道路が有りますがその道路の下まで引っ張ってこられました。大丈夫かなと思いながら、この高速道路の下からもひっきりなしに各地へバスが発車しています。
時刻はもう11時を過ぎてしまいました。もしバスが出なければ明日の朝、列車で行けば良いやと半ばあきらめていた時、スコタイはこちらとの声がかかり、急ぎその列に並んだ、女性と老人が多いので、私はその列の最後尾に遠慮して並んだ。
これがまた失敗であった。このバスは50人乗りの大きなVIPバスなのだが、最後に乗った私の席がないのである。
仕方が無いのでガイド(若い男の子)用の席に座らされた。この席はリクライニングにもならないしベルトも無い。でも仕方が無い立っているよりは良いのである。
256バーツを支払って、とにかく出発しました。タイ語が読めませんので、このバスはスコタイ行きとばかり思って乗り込んだのですがどうも違うようでした。
でもスコタイには行けそうです。日中のゴルフの疲れも手伝って、うとうとしてしまい、実はうたたねしていてこのガイド用の椅子から転げ落ちドアのガラスに頭をぶつけてしまいました。
幸い大きな怪我はありませんでしたが、7時間半も乗る長距離にこの席では、危ないなと思いました。
またこれらのバスは100Km/h以上のスピードでぶっ飛ばします。
万一この席で追突事故でもあったら真っ先にガイドの若い男と私は死ぬであろうと思いました。小一時間走ってトイレ休憩がりました。
トイレだけでなく少しばかりの夜食用の焼き鳥とビールを買い込んでいると、タイ人が私に話しかけてきます。
どうも意味が分かりません。でも良く聞いてみると席を変わっても良いといっているみたいである。
それもビール一缶と交換です。二つ返事でOKとし、席を交代しました。
これで事故があっても死ぬ事は無いと思い、こんなにラッキーな取引は無いと思ったらやはり落とし穴がありました。
その席はなんと冷房の噴出し口の真下で、とても我慢が出来ないくらい寒い席でした。
なるほど、これでは交換したくなるはずである。うまい話にはとげがあるものだ。
タイ人は寒さに弱いし、その対策(支度)もしていない。
今の時期は本来はバスは冷房をしないで走れば丁度快適なのであるが、そんなタイ語が通じるわけが無いし、この寒さが良いと思っている客もいるはずであるので、なんとかしなくてはと考えました。
まずは長袖のシャツを着込んでみましたが、まだ寒いのです。何とかならないかなと考えてズボンのポケットに手を入れるとそこには通常のハンカチとタオル地のハンカチの2種類が指に触りました。
これで行こう!と決め、このハンカチで吹き出し口をしっかりと塞いで見ました。バッチリでした。風さえ来なければ快適そのもの(サバーイ)であります。
シートベルトをしっかりと締め、ビールを飲み干し焼き鳥を食べて就寝であります。バスの中でも寝る事の出来る習性は本当に便利であると同時に旅には不可欠であります。


●2004−12−31(金)

朝、白々としてきた時に、ガイドの男の子がスコタイと言ってきました。だれも降りる気配がありません。私一人ぽつんと下ろされました。それも街のど真ん中に。 本当にここはスコタイかなと思って店を見るとスコタイホテルと英語で書いてあるのが見えた。間違いなく此処がスコタイである。しかしなんと田舎ではないか。多分スコタイの新市街のはずである。
  
上の左の写真はスコタイの新市街の中心です。ここでバスから降ろされました。たった一人で・・・。この右の車の前にスコタイホテルと看板には書いてあったのですが、よろい戸が下りていまして、チェックインできそうもありませんでした。仕方が無いので、この正面を左に曲がって50mくらい行った所でとりあえず朝飯を食べ、ここからモーター付きサムローでパイリンホテルまで行ったのです。右はこの朝食をとった屋台です。朝6時頃でしたが人通りは少なくのんびりとしたものでした。屋台の朝飯は美味しかったですよ。いずれも2004-12-31撮影

スコタイは世界遺産である。幸福の夜明けを意味するタイ初の統一王朝が興った古都であります。バンコクの北約440Km。タイ族による初の統一王朝の都が置かれた街であります。1238年に興り第3代ラムカムヘーン大王の時代に最盛期を向かえました。
スリランカの上座部仏教を取り入れ、タイ文字を創案するなど、現代タイ文化への基礎を築いた古都であります。

朝食を済ませた私は宿を探しました。モーター付きサムローの運転手にホテルに連れて行って欲しいと交渉すると、なんとこの町の最高級ホテルである、Pailyn Hotel(TEL:055-613-310-5)へ連れて来てくれた。
新市街からここまで約10Kmはあった。真っ直ぐの幅の広い道路を一路、旧市街の方に進んだ所にありますが、行けども行けども着かないので、少し不安になり、引き返せよ、と声を掛けると、にこにこ笑っているだけの中年のおじさんでした。
万一の時はこのおじさんと格闘になるかな?と覚悟を決めて数十分したらこの最高級ホテルに到着したのでした。
このモーター付きサムローは50ccのエンジンがついている前輪が2個、後輪が1個のヤツで力が無い。
このホテルの玄関アプローチの坂を昇れないのである。
おじさんはなんとエンジンを掛けたまま私を乗せたまま手で押している。驚いたし、欧州人がこの姿を見て笑っていた。
私も恥ずかしかったが仕方が無い。モーター付きサムローに100バーツを支払って、ホテルにチェックインした。
このホテルのFRONTの壁には日本の今上天皇皇后両陛下のお写真が大きく貼り付けられていた。
12年前にお泊りになられたそうである。午前7時30分に部屋に入れた。(1泊1300バーツでした) シャワーを浴びて少し休んだ後に、いよいよ遺跡公園の視察である。

右も左も分からないので、FRONTに遺跡公園へ行きたいと言うと、100バーツで行けるとの事であった。公園までホテル専用車にて旧市街まで出かけてみた。
なんと5分くらい走ったら到着した。ここで、モーター付きサムローを1日チャーターを(500バーツ)し、公園内を巡回してもらうことにした。
とにかく初めてのスコタイなので勝手が分からないので、今回は少々の出費は仕方が無いと思った。 まずは正面(東側・・・・たぶんアンコールワットの方向のはず)から入って、右に曲がって公園内を走るとまもなく、ワット・ソラサクに着いた。
  
上の左の写真は最初に訪れたワット・ソラサクです。午前中なので空気が澄んでいて綺麗でした池に浮かぶ仏塔ですが右はこの仏塔を近くに寄って撮影してみました。私は左にそびえている椰子の木の一種が好きです。この姿を見るとアンコールワットを思い出します。いずれも2004-12-31撮影

広い公園の中にぽつんとプラーン(仏塔)が鎮座している。
小さな池があり、その池に浮かぶ景色も美しい。とにかくここが遺跡公園めぐりのスタートになった。トクトクの運転手にお任せである。

次に向ったのはサンルアン門を出て、場外に移動した。観光客は誰もいない。
たった一人でこの世界遺産を独り占めとは贅沢な旅であった。着いたのは
ワット・プラパイ・ルアンであった。

            
上の左の写真はワット・ソラサクです。このように仏塔の台座を像がささえています。これはスコタイ様式と言うのだそうです。右はこのあと訪れたワット・プラバイ・ルアンです。正面からみた写真ですがこの木の根元はこのように多くの根が大地に根ざしていました。いずれも2004-12-31撮影

           

上の写真は最初に訪れたワット・ソラサクです。2004-12-31撮影

ここはたった一つのプラーン(仏塔)が残っていたが、かつては3基あったプラーン(仏塔)の、北側にあったもののみが残されている寺院であります。
カンボジアのアンコール・トムを造営したクメール王朝の王ジャヤパルマン7世の時に建立されたと言われています。
当初はヒンズー教の寺院であったそうですが、仏教徒であった王が改修させて仏教寺院の色合いを強めたそうであります。
周囲は二重の堀に囲まれてその中心に建っていました。静かでのんびりと出来ました。なぜかたった一人の地元の若者がバイクに乗って来ていましたが、その昔のクメール人の活躍が想い偲ばれました。

トクトクは次に向ったのは
ワット・シーチュムでした。わずか数分で到着です。ここはタイ国内最大の仏像が観光客を見下ろします。方形の巨大なモンドップから覗く大仏は高さ14.7mです。壁の厚さも3mもあり、小さな入り口から入ると思わず見あげます。このモンドップが大仏をさらに大きく見せている。この大仏はアチャナ大仏と呼ばれています。上半身に比べて下半身の比率が大きく作られています。
           

上の写真の左はワット・シーチュムの正面入り口から見たものです。左はこの中に入って見あげながら撮った写真です。2004-12-31撮影

またこのモンドップは上に向うほどその内壁が内側に迫り出していて、遠近法を取り入れて実際の大きさ以上に大きく見せる工夫がされています。もう800年も前にこのような技術が駆使されていたのですからタイの技術はすばらしいものがありますね。


この後、向ったのは遺跡を見晴らす丘の上の寺院
ワット・サパーンヒンであります。
ここでアクシデントが発生しました。私のトクトクを消防自動車が追い抜いていきました。
見渡す限り建物らしいものがない田園風景なのにサイレンを鳴らして追い抜いていきました。
私が、このワット・サパーンヒンの入り口に着くとなんとこの消防自動車が周囲の畑の火事を消す為に放水中でありました。最新鋭の消防自動車がこんな田舎において活躍しているのでね。
  
上の写真はワット・サパーン・ヒンの上り口での消火作業。右はこの丘に登って遺跡群あるスコタイの平原を望んだ所、正面の小道を下からテクテクとこの丘まで歩いてくるのである。


ところでこのワット・サパーンヒンに行くには約100段ほどある石段を登ります。結構きつい登りであります。頂上では高さ12.5mの立像が右手を上げ、東の方向を向いています。
その昔、ラムカムヘーン大王が象にまたがり参拝したそうです。頂上からは遺跡公園のパノラマが開けています。帰りには消防自動車が消火を終わり帰る所でした。

  
上の左の写真は丘の頂上にあるワット・サパーン・ヒンの全景です。丘の上からスコタイの遺跡を優しく眺める仏像がこのように安置されています。近くによって撮影したのが右の写真です。2004-12-31撮影


モーター付きサムローは大きく迂回し今度は南側の遺跡に向いました。こんなに広いのではレンタル自転車で来なくて良かったと思いました。着いたのは
ワット・チェトウポーンでした。



  
上の左の写真はワット・チェトウポーンの全景です。このワットは畑の中にぽつんと存在し、誰もが自由に入れるのですが、もう少ししっかりとした保護をしておかないと取り返しが出来ない事になると困ります。2004-12-31撮影

ワット・チェトウポーンはスコタイ美術の傑作レリーフが見所であります。草原にそびえるモンドップ(仏像などを納める建物)であります。
滑らかな曲線を描く身体の線はスコタイ美術の傑作で崩壊寸前の所を修復された貴重な美術品なのだそうです。こんなに重要な歴史遺産なのに入場は自由でしたし、寺院の中では近くの農家の女性が数頭の牛を放牧していました。なんともタイらしい風物でしたが・・・。良いのかな?


次に訪れたのは
ワット・チャン・ロムです。ワット・チェトウポーンから比較的近いのですが、あまり観光客がいませんでした。でも立派な仏塔が象によって支えられています

  
上の左の写真はワット・チャンロムの像の台座です。右は全景です。2004-12-31撮影

これはスコタイ独特の様式なのだそうです。静かな遺跡の中でもここは特別静かだと思いました。ゆっくりと眺めながらスコタイ王朝の在りし日の想いを偲びました。象の像が支える見事な仏塔であります。 ここで小腹が空いてきたので昼食としました。旧市街の正門近くのタイ料理屋で美味しくいただきました。

  
上の左の写真は昼食を取ったレストランです。遺跡公園への入り口に近く、結構美味しいタイ料理でした。右はラムカムヘーン国立博物館全景です。2004-12-31撮影

さあ、午後からはメインの遺跡公園の中心を視察していく事にしました。食事後の最初の訪問は
ラムカムヘーン国立博物館です。ここは正門の左側に位置しています。スコタイ、シーサッチャナライ、カンペーンペッの出土品を陳列してあります。

いよいよメインの
ワット・マハタートに出掛けました。


本当に大きなワットであります。都の中央に建っていたのだそうです。200m四方の境内を一周歩いてみました。さすがにスコタイ最大の寺院、王宮跡のほど近くに有り、大小多くの仏塔があります。都の中核をなす、重要な王室寺院であったそうです。
13世紀にスコタイ王朝を興したイシー・イントラティット王による建立だそうです。スコタイ朝以前のクメール様式とスリランカ様式が混在する寺院でもあります。
遊行するブッダの弟子を表した基壇のレリーフも面白い。中央にある高さ9mの立仏像はスリランカ様式です。ゆっくりと歩いて廻りましたので1時間以上費やしましたが、それだけの価値のあるワットだと思いました。
  
上の写真は遊行するブッダの弟子を表した基壇のレリーフです。このレリーフは有名であります。右の写真はワット。マハタートの中央の仏像です。2004-12-31撮影

  
上の写真はワット・マハタートを1周したときに斜め後ろからワットを見たところであります。池に映ったわっとは美しい姿でした。右はほぼ正面から見たワットです。中央に仏像があります。お姿を池に映しスコタイ遺跡の中心であります。2004-12-31撮影

次に伺ったのはワット・シーサワイでした。ワット・マハタートの南側にあります。トクトクで数分で到着です。クメール王朝時代の12世紀末に創建されたそうです。とうもろこし型の独特の3基のプラーン(仏塔)はクメール様式の典型的な形です。スコタイ王朝がクメールを追放して独立した後に仏教寺院として完成させたそうです。 そして隣にあるワット・トランパン・グーンを見ました。
  
上の写真はワット・シーサワイの中央です。右はその内部です。2004-12-31撮影

ワット・トランパン・グーンは銀の池を意味する寺院だそうです。池の小島に残る本堂跡も美しかった。今ではわずかに残る土台と支柱の一部が当時の栄華を偲ばせています。 そろそろ疲れてきたので、最後にラムカムヘーン大王の像をお参りしてホテルに帰って来た。面白い1日でした。

  
上の写真はワット・トランパン・グーンです。右は池に浮かぶ本堂跡です。2004-12-31撮影

夕飯を新市街のナイトバザールで食べようと思い、またホテルの車をチャーターし10Km先の新市街へ行きました。でも予想していたナイトバザールは全く無し。大晦日だと言うのに全く期待外れ。折角こんなに遠い所まで出てきたので、ローカルの人達でにぎわっているレストラン(屋台にちょっと毛が生えたくらいのお店)に入って、タイ料理を数点とビール1本を注文して、大晦日、2004年最後の食事をここスコタイの新市街で済ませました。 ホテルまでの足はモーター付きサムローを捕まえて、寒さ(タイでも相当寒いですよ)をこらえて帰ってきました。紅白歌合戦は残念ながらここスコタイのホテルでは映りませんでした。

  
上の写真はラムカムヘーン大王の像です。右は夕食を食べた後、新市街からの帰りに乗ったモーター付きサムローです。なぜか子供も同乗していました。ホテルまで乗って帰ってきたのですが、寒くて、彼らも日本の真冬並の服装でした。100バーツ支払いましたが、この子供に20バーツあげたら喜んでいました。一人旅の気軽さは本当に自由で楽しいものでした。2004-12-31撮影

いよいよ2004年の最後の夜、スコタイ随一のホテルでの宿泊でしたが、衛星放送も見られず、静かに静かに深い眠りについたのであります。

翌日(1日)日のシィーラッチャナライの様子はシィー・ラッチャナライへの旅


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