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シィー・ラッチャナライ遺跡の旅


2005年1月1日にシィー・ラッチャナライ遺跡を訪れました。その旅行記をまとめます。

前日の12月31日のスコタイの様子はスコタイへの旅

● 2005−1−1(土)

シー・サッチャナライはスコタイから北に約60Km、スコタイ王朝が周辺に築いた直轄地の中でも副王が居住するスコタイ王朝でも第二の規模を誇っていたそうです。 今日はこのシー・サッチャナライ遺跡公園にはバスで行く方法もあるのですが、今回は車をチャーターしました。理由は遺跡見学の後、ピサヌロークまで行く予定ですので、乗換え等の時間的なロスを少なくしたいと考えたからです。 ホテルで車をチャーターし午前8時には出発いたしました。60Kmもあるのでゆっくり出来るかなと思いましたが、走ってすぐにガソリンスタンドに立ち寄る。とにかくタイで車をチャーターすると必ずこの行為がなされる。ガソリンを入れていないのが普通ですね。ひょっとしたら車を借りてきているのかもしれません。 1時間くらい走って着いたのはON―SITE MUSUEMなるところでした。よく分からないのですが、何か昔の遺跡のようでした。車の運転手はガイドさんではないので良く分かりません。
  
上の左の写真はシィー・サッチャナライの郊外にある博物館です。
右はこの博物館のなかにある遺跡の一部です。 2005-1-1撮影

次に行った所も、焼物の博物館でした。たぶんサワンカローク焼だと思います。安土桃山時代に日本にも輸入された陶器だとある本に書いてあった。私はこの陶器は門外漢ですので、その良さすばらしさは分かりませんでした。
  
上の左の写真はシィー・サッチャナライの郊外にある焼き物の博物館です。右の写真はこの博物館の塀の上にある焼物です。2005-1-1撮影

次に行ったのはワット・チャンロムである。ここは第3代ラムカンヘン大王が建立したとされている重要な寺院である。
すぐ前(南側)にワット・チェディー・テーオがある。ここで180バーツにて象に乗りながらこのワット・チェディー・テーオを1周した。
ワット・チャンロムは大きな仏塔と緑の木々が美しい。
ワット・チェディー・テーオは多様なスタイルの仏塔が壮観である。名前は七つの塔という意味だそうです。クメール、スリランカ、ランナータイと多様な仏塔が存在しています。


    
上の左の写真はワット・チャンロンです。このように仏塔の台座を像がささえています。右はこの像が風化しこのような姿になってしまっています。いずれも2005-1-1撮影

   
上の写真はワット・チェディー・テーオを裏側から見たところです。実は像の背中に乗って撮影しています。右はワット・チャンロンの全景です。 2005-1-1撮影
   
上の写真はワット・チャロンを左側から見たところです。右はワット・チェディー・テーオの全景です。いろいろな形式の仏塔がこのように混在しています。 2005-1-1撮影

このワット・チェディー・テーオを後にして最も有名な
ワット・プラシー・ラタナマハタートへ行った。ワット・プラシー・ラタナマハタートはもしバスで行くとつり橋を渡った所にある。私は車で行ったのでこのつり橋の反対側をヨム川沿いにここまで来たのである。
           
上の写真の左はワット・プラシー・ラタナマハタートの前にあるつり橋です。二義はワット・プラシー・ラタナマハタートの全景であります。2004-12-31撮影


  
上の写真はワット・プラシー・ラタナマハタートをつり橋を渡ったところに有る土産物屋から眺めたものである。右はこのワット・プラシー・ラタナマハタートの仏塔の中心に鎮座しているものである。なんと言う名前のものか分からないが・・・・。

クメール様式の色濃い寺院でとうもろこし型の仏塔は周囲に何もないので目立つ。ここでもゆっくりと見学した。
仏塔の上まで登って見たが周囲は美しい田園風景であった。とにかくここで見学を終わって、ピサヌロークまで飛ばしてもらった。最も途中の村でレストランを見つけ昼食をとってみた。

ピサヌロークへは午後3時頃到着した。とりあえずワット・ヤイを訪れてみた。金色の仏像に多くのタイ人は新年のお参りに来ていた。私も20バーツのタンブンをして、新年のお参りをした。結構長い時間おまいりして屋台などをみながらチャーターした車まで戻った。
  
上の左の写真はピサヌロークのワット・ヤイの中心に安置されている金色の仏像です。正月なので多くの参拝者でにぎわっていました。 右の写真はこのワットの全景であります。2005-1-1撮影

その後、ピサヌロークの鉄道駅まで出かけてみた。予定ではここで泊まるつもりなのであるが、列車の発車時刻を確認したかったのだ。 すると午後6時頃の列車に空席があるとの事なので、この切符を買い込んでロップリーまで行くことにした。
ロップリーには午後9時30分くらいに着く予定である。
ロップリーで泊まればゆっくりと遺跡めぐりが出来ると思った。 実はこれが大失敗であったのはロップリーに到着した時に分かるのであるが、この時は、ラッキーと思った。
列車の席は2等指定席である。びっくりしたのはなんと夕食のお弁当が出た事である。さらにロップリーに到着前にも夜食が出た。

  
上の左の写真は車内で出たお弁当です。右は2等指定席の様子、結構快適でした。 2005-1-1-撮影

何もない夜汽車に揺られて着いたロップリーは全くの田舎でホテルらしいものが全く無いではないか。 仕方なくモーターバイクの運転手にホテルへ連れて行ってくれと依頼したら、なんと駅前から200mくらい走った所で止まった。(これで20バーツの運賃)
ホテルは1泊300バーツとの事、部屋を見せてもらう事にした。
部屋は比較的きれいであったがエレベータは無い3階の隅の部屋だった。ここでも良いかなと思ったがシャワーが水しかでない。
これでは困るので別のホテルを探す事にした。 しかたなく、歩きながら探して、お湯の出る350バーツのホテル(ゲストハウスみたい?)にて1泊した。全くの期待はずれであった。ロップリーは泊まる所では無いことが分かった。
(HOTEL:NETT HOTEL  TEL:0-3641-1738)


  
上の左の写真はロッブリーの駅に到着した列車。右はロッブリーにて泊まったホテルです。2005-1-1撮影

翌日(1月2日)のロッブリー様子はロッブリーへの旅


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