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ネグロス島(ドマゲティ)への旅(from CEBU) 

2007年7月のセブの旅
・ボホール島への旅(セブ島より)
・マクタン島でのスキューバ
・バンタヤン島(セブ島の北端)への旅

7月14,15日

ドマゲティー(ネグロス島)への旅

日本では台風4号が猛威を振るったこの日、私はセブシティーからネグロス島へ出掛けました。南バスターミナルへ朝の9時過ぎに到着しましたら、ドマゲティーへ行くバスはすでに発着場に待機していました。早々に乗り込んで見ましたがなかなか出発しません。とにかく30分くらい待った後に、ほぼ満員の乗客を乗せて出発いたしました。

セブシティーの朝の混雑の中をバスは一路、南に向かいます。例によってセンターラインを乗り越しながら、次々と先導車を追い抜いていきます。

前の席に座っていると本当に怖いです。それに、邪魔なものが道路上にいるたびにクラクションを鳴らします。邪魔なものと言ってもその道路を走っている、バイクとかジプニーとかトライシルクとか歩行者ですので、日本ではクラクションを鳴らす事は禁止ですが、ここではまるで、それらに対して、そこのけ、そこのけと我が物顔で走ります。

上の写真はセブの南バスターミナルです。ここからセブ島の南に行くバスが発着します。右はバスの中から見た車窓です。この運転手は乱暴な運転をしていました。

バスは本来、小回りは利きません。しかしここでは乗用車とか小型トラックを追い抜いていきます。そのたびにクラクションを鳴らしますし、同じ会社のバスとすれ違う時にも挨拶代わりに鳴らしますので、かなり気になりました。

セブ島からネグロス島へ行くフェリーに乗り込むバスです。このバスに乗って出掛けました。右はドマゲッティのバスターミナルです。

隣の席には若い女性が座っていました。もっとも隣が女性の方が楽しいはずだし、肩幅が小さいので座るのも楽ですので、通常、私はどこの国でもなるべく女性の隣を選んで座ります。でも今回は私の英語力ではあまり良い会話が出来ませんでした。せいぜい彼女が女子大生で、休日を利用して家に帰る事くらいしか聞き出せませんでした。

それでもスミロン島を通過し、リアロンの船着場に到着したのは出発して4時間後の2時頃でした。ここで乗客がぞろぞろと降りて道路脇にある食堂に入って行きましたので、私も後について食事をしました。バス代は190ペソでしたが、この食事もインクルーズされているのかな(タイではよくある話でした)と思いました。魚のスープと、ゴーヤの炒め物、それに魚の干物とソーセージを食べましたが、食堂から出てくる時に30ペソ請求されました。リアロンの船着場にはすでにフェリーが口をあけて待っています。出航するばかりでした。バスはバックでフェリーの中に入っていきました。我々乗客は船のデッキに移されて、60ペソを支払って、25分間の船旅を満喫いたしました。

このフェリー代金とバス代金を合わせますと、250ペソになります。約680円くらいですので、大変安いと感じましたが、現地の人たちから見るとかなりの高額と思われました。

バスはネグロスのフェリー乗り場に到着し、ここから30分(約20km)かけてドマゲティのバスターミナルへ到着しました。

まずは宿を探さなくてはなりませんが、どこにあるのか分からないので、やむなくバスターミナルにいる多くの客引きの中から誠実そうな者(大差は無いが)を捕まえて、乗り込みました。

ドマゲッティの海岸通りです。この写真は午後に撮影しましたが静かな海岸でした。私が泊まったホテルの前です。

海岸通りにある、BETHELというホテルに泊まる事にしました。スタンダードの部屋は無いとの事でした。(多分あってもないと言っているみたいでした。お客はいなかったし空いているようでしたが)スタンダードは900ペソ、でも1ランク上の部屋で1200ペソでしたが、窓の見える部屋を要求したら1300ペソと言われました。

そこに荷物を降ろして、一休みした後、ドマゲティの街並みを散策いたしました。

当初友人から聞き及んでいたドマゲティの情報では、ごみの無いきれいな田舎町という感じで受け止めていました。

ところがドマゲティは大きな街でした。デパートもありましたし、大きな商店街もスーパーマーケットも大学もありました。

街の市場ですが、ご覧のようにごみがありませんし、すべてのオートバイとかジプニーが整然と並べられていました。

そして街の中央には大きな市場がありました。本来、市場と言うものは雑然としていて汚いものですがここの市場は不思議に整然としている所が気に入りました。道路とか通路にごみが落ちていないし、トライシルクとかバイクが道路わきに整然と並んでいるのには寒心いたしました。多分この街の人々の道徳心とか公共心がそうさせているものと思います。従ってここは比較的治安の良い所のように感じました。

市場も魚売り場は魚、鶏は鶏売り場、肉は肉売り場と決まっています。タイの市場は雑然とごちゃ混ぜの市場ですが数店規模で同業者が集中していますので買いやすいと思います。さらにこの市場にはレストラン街が並んでいましたので、とても便利であります。

上の写真は大学の正門です。右側の写真は夕方の海岸通りです。正面の白いビルが泊まったホテルです。

この市場を5ブロックほど北に上ると大学がありました。大きな大学でSILIMAN UNIVERSITY FOUNDED 1901と書かれていましたので由緒のある大学と思われました。

町の北半分はシリマン大学のキャンパスで、野鳥の保護地域にも指定されており、大木に囲まれた緑の町です。
町の東側は、ミンダナオ海に面しており、森と海に囲まれた静かな都市です。

学生の町でもあり治安も非常に良く女性だけのツアーでも安心していただけます。

夕食は海岸通りにある若木(WAKAGI)という日本レストランに行きました。ホテルから300メートルくらいです。

上の写真は日本レストランの内部。右は海岸通の朝の風景です。

現地の魚の料理と野菜炒め、それにチャーハンとビールを2本でした。

夕食後、ホテルに戻った私はそのままベッドに入りましたが、帰ってきてから友人に聞いた話では、ドマゲッティは夜が賑やかで面白いのだそうです。マニラを小さくしたような繁華街には、遅くまで音楽が流れているのだそうです。

リトルマニラと言っていました。次回はナイト見物もするつもりです。

この日は新潟の地震が報道されました日にでありました。

上の写真がアポ島であります。この正面の岩の下に潜りましたがすばらしかったです。右の写真はスキューバダイビングにはこのような船に乗って出掛けるのです。

翌朝はとても気持ちの良い朝でした。朝日がまん前のミンダナオ島から昇ってきます。多くの人々がジョギングをしたり散歩をしたりとても賑やかでした。

太極拳をしている集団もありますし、健康的な街を垣間見る事が出来ました。

軽い朝食の後、スキューバダイビングに出発です。前日にホテルのロビーにある代理店でスキューバの予約をしました。2700ペソでしたが、とにかく出掛けました。

たまたま、アメリカ人の医者とその奥様?であるフィリピン人と同乗しましたが、陽気なアメリカ人とは野球の話し、旅行の話、当然、スキューバの話と盛り上がり、知らず知らずのうちに船着場に到着しました。

この船着場から40分くらいかけて正面に見えるアポ島まで出掛けました。

このアポ島は日本人にも有名なスキューバダイビングのスポットなのだそうです。

当日は私達だけの貸しきり状態でした。今はシーズンオフなのでしょう。

もう少しすると日本人の大学生が大勢やってくるとの事でした。

海は申し分ありません。透き通ったコバルトブルー、そこにテーブルサンゴが群生し、その周りに熱帯魚が群がっていました。

さらに今回のダイブで新発見したのは海亀でした。大きなやつが海底にへばりついていました。近寄るとゆっくりと移動します。でも一旦泳ぎ始めると早くてとても追いつけませんでした。水深約20メートルでしたが始めての経験でした。もうひとつ初めてのものはマグロでした。たった1匹がゆうゆうとしかもすばやく泳いでいました。決して群れではなく本当の文字通り一匹狼的な泳ぎでした。それも悠然としていてすばやかった。

これでは釣り上げるの大変なわけであります。

海底を覆いつくすサンゴ類、まるで花園を見るような美しさです。

サンゴに戯れる無数の熱帯魚、白砂地には ガーデンイール郡、豪快なドロップオフ、 眼を見張る程の中・大型の回遊魚、 そして、抜群の透明度、ダイバーなら一度は体験すべき「海」、 そこがフィリピン「ドゥマゲッティの海」です。

テーブルサンゴの下側にまわってみると、小さな魚達が泳いでいます。鯵が大群で泳いでいます。見るものみな珍しく、本当に海の中しか味わえない光景を見ること1時間で休憩しました。休憩1時案後に再び別のポイントに移動し、またスキューバを致しました。海底の白い砂に熱帯魚が食いついていきます。こんな白い砂に栄養分があるとは思えませんが、長い時間食べています。

ここは島から200メートルくらいの所ですが、その海溝は一気に深くなっていて、海底は見えません。その谷に向かって多くの魚達が生息していました。

色の異なるいくつかのヒトデも目を楽しませてくれました。

最後に、少し頭にきたのは、ここのエントランスフィーとして300ペソを支払わされた事です。最初に全部で2700ペソと契約しておきながら、さらに300ペソを取られた時にはかなり強い調子で抗議をしましたが、所詮、英語での抗議でこちらの本意は伝わりそうにありません。仕方がないので支払ってきましたが、この抗議を上手く英語で伝えられるようになるまでは勉強をしなくてはなりませんね。

島を離れて元来た船着場に戻ってきましたが、シャワーも無く、どうも合点がいきませんでした。海の中は快適でしたが、それを運営するインフラストラクチャーはイマイチでした。ここの老人が“今日は君達は運がよかった。なぜならば先週は台風の影響でダイブは出来なかったからだ”と言ってきた。そうだ、私達がモアルボアルに行った時には波は大きく、白波が立っていた。今日は穏やかな絶好のダイブ日和でありました。

この車で、そのままバスターミナルまで送ってもらい2時20分発のバスでセブシティーに戻ってきました。

お客も少なく冷房が効きすぎていて、体が凍えそうでした。長袖を上から追加で着込んでも、まだ寒かったです。特に足は冷気が座席よりも下に滞留しますので、ものすごく冷えました。私は当然、車掌に冷房を止めてほしい旨、お願いしましたが、他の地元の乗客はおとなしく黙っていました。私の依頼は無視され続けられましたが、私の英語が通じなかったかも知れませんが、こんな簡単な英語は出来ているはずです。車掌の顔で分かりましたが、私の要求は終点まで遂げられませんでした。ぶるぶると震えながらバスから降りてほっとしました。

長袖シャツはバスの必需品であります。

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